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宮崎県自然

ある人のことを書きます。
同じ時代を共有し、「そうだ。そうだったんだよ!」と思われる方も多いのではないかと思います。


「くやしけど、こういうやつっていたよなあ」
「みんなこうだったんだよなあ」
読まれた方は、いろいろな思いが交錯するのではないかと思います。
読んでて、泣いてしまった方もおいでのようです。
以下に書きます。
実話です。
~~~~~~~~~~~~
時は、だいぶさかのぼります。
産声を上げずに産まれてきた赤ちゃんがいました。
こういうときに、お産婆さんて、実に頼り甲斐があるんですね。
赤ちゃんを逆さにつるし、背中をポンポンと叩くと、オギャーと泣き声をあげはじめます。
昭和十八年六月七日のことです。
赤ちゃんを産んだお母さんも、もう今年で89歳になります。
そのお母さんが、「その人」が赤ちゃんの頃、「雨続きでオムツが乾かなくて困ったものだよ」なんて言っています。
生家は田畑合わせて一町三反歩の農家です。
米、麦、さつまいも、菜種、養蚕等をやっていました。
ほんとうにそうやって、休む間もなく、両親は朝早くから夕方まで働き詰めだった。
当時の農家は、現金収入が少なく、機械化もされていなかったのです。
だから子供たちは貴重な労働力です。
小さな子供でも、田植えや田車押し、畑の草取りなどの手伝いをしました。
学校に行く前には、毎朝早起きして、田んぼの水の見回りをしながら牛馬の餌にするための草を切って、自転車いっぱい積んで帰りました。
ちいさな体で、足もつかないオトナ用の大きな自転車に片足だけをかけ、デコボコの、急な坂道を必死にペダルを踏みました。
つらい上り坂も、「この坂道を踏みあがれないようなら、自分の将来も大したことはないぞ」と、子供心を奮い立たせました。
学校から帰ると、カバンを置くなり、母が残したメモを見て、田んぼや畑に走って行きます。
夕方は牛、馬、羊、山羊、鶏の世話です。
ワラ切り、家畜小屋の掃除、乳搾り、お風呂沸かし、庭掃除。
大忙しです。
母が遅くなるときはカマドでご飯を炊き味噌汁を作りました。
友達とソフトボールやチャンバラゴッコをして夢中で遊んでいても、夕方四時までには帰らないと、その日の作業が間に合いません。
一人だけ遊びの輪から抜けて帰ることは子供心にとても辛いものがありました。
しかし、小学校一年の時、初めて植えたサツマイモが一俵500円の高値で売れたり、中学生の時、朝晩運動させて育てた子牛が市郡の優等になり30万円の高値で売れて喜ぶ父の顔を見て、嬉しくなりました。
「あの子は、私たちがいじめられているといつも助けてくれた。」
同級の女性の話です。
「弱い者いじめをするな、喧嘩は強い者としろ。」
それが父親の口癖だった。
中学校に入ってすぐ大好きな野球部に入ろうと思いました。
でも、「そうなると家畜の世話を誰がするのか、グローブを買うお金などない」と母から言われました。
だから、あきらめて野球部の練習を遠くから眺めていました。
しかし、二年生の秋も深まった頃、野球部監督の竹下先生から、
「ユニフォーム、グローブ、スパイクを貸すから野球部に入らないか」と誘っていただきました。
家の手伝いはちゃんとする。だからと両親に必死に頼み込んで、入部することができました。
入部の日に主将で四番に指名されました。
監督の期待に応えようと部員をまとめて冬の間猛練習し、翌シーズン一試合しか負けなかった程の強いチームになりました。
その人はいま、幼児教育の重要性を説かれています。
しかし本人は、小学校入学時に、自分の名前をひらがなで書けなかったそうです。
中学の最初の英語の時間には、ABCまでしか言えずに廊下に立たされたこともあったそうです。
そういう教育環境でした。
親から勉強しろと言われたことなど一度もありません。
でも、自分で、文学全集や伝記、歴史書を図書館から借りてきて、夜遅くまで読みふけりました。
読書の大切さを教えてくれたのは、小学校の担任だった山口先生でした。
中学三年の冬、校長の田中先生から、この子を鹿児島のラサール高から東大に行かせなさいと、強く勧められたお父さんは、息子をラサール高校に進学させました。
子だくさんです。
ただでさえ家計は苦しい。
その苦しい家計の中から、当時、毎月7~8千円の仕送りをすることは、大変な決心だった。
そのお父さんは、高校二年の夏、破傷風に似たワイルス氏病という風土病にかかり、一週間で急死してしまいます。43歳でした。
お父さんは、危篤の病床で、「期末テストのはずだから知らせるな」と指示したそうです。だから彼は、父の死に目に会えませんでした。
母親は38歳でした。
四人の弟妹たちの一番下は7歳とまだ幼く、彼は、長男として帰って農業を継ぐことを決心します。
しかし、担任の早坂先生は「授業料、寮費を免除し、奨学金も支給してくれる」といいます。
「親父があんなに将来を楽しみにしていたのだから、家のことはみんなで加勢するから」と、親戚中の人も励ましてくれた。
彼は、学業を続けることになりました。
教育というものは、たったひとり生徒を、実に多くの人が支えている。
たったひとりを、たくさんの恩師や故郷や社会が、温かい思いやりで育てている。
彼は、教育の大切さや教育者の影響の大きさを身をもって体験します。
しかし、急に夫に死なれ、幼い五人の子供を残された母親です。
それまで夫の後をついて行けばよかっただけに、その苦労は察しても、余りあるものがあります。
「寝たきりでもいい、生きていて欲しかった」という母の嘆きは、どうしても耳にはいります。
当時は、まだ福祉という言葉も、保険ありません。
リヤカーを引いて肥料や穀物を運ぶ、汗にまみれた母親や、初めて馬を使って農耕する小さかった二つ下の弟の姿を思い浮かべながら、ひとり家を離れて学業に勤しむ長男の心はいかばかりだったでしょうか。
彼には、浪人する余裕はありませんでした。
しかし、幸い東京大学法学部に一発勝負で合格することができました。
彼の奨学金とアルバイトの大学生活が始まりました。
入学試験もまた友人たちの語り草になっています。
試験前に40度近い高熱を出し、試験を受けて宿舎に帰って氷で頭を冷やし、次の日も布団の中から試験を受けに行き、帰ってまた布団に入るという三日間で、最後の日は、数学の答案用紙が鼻血で染まったという壮絶な入学試験でした。
彼の強い信念と体力、不動の精神力は、この時代から備わっていたに違いありません。
小さいころから西郷隆盛を崇拝していた祖父の膝に抱かれながら、
「自分のためだけに生きる人生はつまらん。
西郷さんのように人のため、世のためには命を投げ出せる人間になれ」
と子守唄のように聞かされながら育った「その人」は、意味はよくわからないまま、祖父の言葉は幼い心の奥深く染みとおって行きました。
また、厳しい家計の中から校長先生の強い勧めに応じて、ラサールに行くことを許してくれた父が、入学式の前夜
「お前は世の中に捧げた子だ、これからは家のことは心配しなくてもよい。
その代わり世のため、人のために役に立つ人間になれ」
そう諭した父の遺言ともいえる言葉は、その後の「その人」の人生に大きな影響を与えています。
政治は人なり!
「世のため、人のため」という言葉は今は流行らなくなりました。
しかし弱い立場の人に身を寄せながら大局から政治を語る、そんな政治家が今こそ必要だと思います。
世界情勢は激しく揺れ動いています。世界の中の日本という広い視野と、経済・財政をはじめ、幅広い分野で実績と経験を積んだ政治家が、今、日本に必要とされています。
「その人」は言います。
政治は
国を衛ること
国民を守ること
ふるさとを護ること
~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、この物語は、いったいどなたの物語でしょう。
答えは、
中山成彬先生です。
一昨年九月、国土交通大臣に就任した際日教組発言を撤回せず、五日間で大臣を辞任しました。
更に数日後、次期総選挙には出馬しないと表明しました。
日本中の教育を取り戻したい、教育を再生したい、道徳を取り戻したいと思う我々は、ご本人様のお気持ちも分からないまま、失望と落胆のどん底に突き落とされました。
あれからずっと中山成彬先生は、教育の重要性とこれからの日本、子供たちの未来を語りながら全国を行脚しています。
自分の政治生命をかけてまで中山代議士が訴えたかったこと、そして、政治にかけるあの情熱と信念はどこからくるのか…。
実は、この物語は、中山先生を応援する女性の会のみなさんが、先生の持つその情熱は、もしかしたらその生い立ちにあるのではないかと考え、ご本人、お母様、同級生たちなど、ご本人を知る周りの人達に取材してまとめたものです。
ねずプロにアップするに際して、ブログ向けに、すこし編集して、記事とさせていただきました。
原題は、
~~~~~~~~~~~~~
なりあき少年物語
「強さ」と「やさしさ」と、「ぶれない」心
~~~~~~~~~~~~~
となっています。
この小冊子の編集は中山先生のHPから、ダウンロードできます。
≪中山成彬公式ホームページ≫
http://www.nakayamanariaki.com/
≪なりあき少年物語≫
http://nakayamanariaki.com/uploads/shounen.pdf
この物語の取材や編集をしているとき、中山先生を応援する女性の会のみなさんは、みなさん、たくさんの涙を流されたそうです。
ここに書かれている中山先生の幼い日のできごとは、時代を同じくする多くの人々が、同じようなことを経験してきている。
わたしたち日本人のいわば、原点というか出発点といえるものが、この中山先生の物語にはあるように思います。
ねずきちは、先生のような立派な方とは程遠い、市井のオヤジでしかありません。
出身地も違います。
うちの母は、町の北部の農家で、戦後の農地改革の名前で土地を取られながらも、近代農業のハシリとして、畜産をやったり、養蚕をやったり、いろいろなことにチャレンジしています。
母は、やはり幼いころから毎日農業の手伝いをし、たくさんいる弟や妹たちの面倒を見ながら、学校に通った。
家が農家で、女の子に教育など必要ないというオヤジさんに、学校の先生が、「この子は是非とも進学させるべきだ」と必死に説得してくれて、おかげで大学まで進級しています。
みんなが国家のために、地域のために、家のために、互いが互いを支え合う。
国民のみんなが、いわば家族だった。
考えてみると、それが、日本という国のカタチなのではなかったのだろうか。
そんな気がします。
中山先生は、古いタイプの男です。
そして、この小冊子にあるように、まさに「強さ」と「やさしさ」と「ぶれない」心を持った方です。
ボクは、全力で中山先生を応援したいと思っている。
以下に、水間条項さんからの依頼文を掲載します。
~~~~~~~~~~~~~~
【緊急拡散】
保守を建て直せる求心力を託せるのは中山成彬先生以外におりません!
●八方塞がり政治状況の中で、その都度、皆様方に様々なお願いをさせていただきました。
その時々のお願いは、皆様方の労力が無駄にならないように、極力、永田町関係者からの情報を的確に判断し、ピントはずれにならない結果が出るように心がけて来ました。
最近、インターネット上に様々な呼びかけが散見しますが、その中には、明らかにインターネットの力を「攪乱」することを目的にした「危機偽装情報」が意図的に発信されております。
2007年9月24日の「麻生コール」から2008年3月の「『人権擁護法案』反対要請受付国民集会」、同11月の「国籍法改悪阻止」など、常にご協力くださった皆様方は、確信されていらっしゃる通り、中川昭一先生亡き後、保守勢力が溶解している現状を建て直せる求心力をもっている政治家は中山成彬先生以外におりません
憲法改正に命がけで取り組まれている中山太郎先生。
日本の農業再興に命がけの中川義雄先生。
中山太郎先生と中川義雄先生ともに参議院選挙比例区から立候補を表明されました。
本来、参議院議員は、政治家の中の政治家が、その見識を国家国民のために発揮していただく議院なのです。
ところが、現状は賞味期限切れの「芸能人」や「スポーツ選手」の天下り先にされようとしています。
皆様方に要請をお願いした赤松農水大臣の不信任案が予想通り否決され、鳩山内閣不信任決議案(問責決議案)が衆参両院で提出されることなり、参議院では、予告したようにハプニングが起きる状況です。
この状況で、社民党は同決議案に賛成することを明らかにしました。
いよいよ、一両日中に鳩山内閣は総辞職することになります。この流れは、民主党参議院議員から火の手が上がり止めることは出来ません。
鳩山首相が居座ろうとしても、民主党参議院議員が数人欠席するだけで鳩山首相問責決議案は可決します。欠席するであろう民主党参議院の中には、電力や電気労連選出議員が欠席することが明らかですので、首相に居座ろうとしても無理なことなのです。
小沢一郎幹事長は、すでに予告した通り、前原誠司国交大臣に決めていると思っています。
そして、「口蹄疫問題」や「普天間問題」「強行採決批判」などをリセットするために、国会を延長して「世論の風向き」が変化し、日教組ボランティアが選挙に全力で活動できる夏休み中に、投票日を設定してくることは火を見るより明らかです。
それは、小沢一郎幹事長の盟友、輿石東参議院会長の今参議院選挙を側面支援するためでもあります。
日教組の組織選挙が批判されていても馬耳東風なのです。
この状況では、国民から批判されようとも、日教組の全面支援がなければ,民主党はボロ負けすることが明らかですので、投票日は7月25日か8月1日になるでしょう。
ここまで国民を愚弄する選挙に、真っ向勝負で戦える政治家は、皆様方の認識と同じく中山成彬先生しかいないのです。
日教組を「教育のガン」と断言して批判されても、頑として撤回要求を拒絶した中山先生はサムライです。
いま客観的に見て、保守を建て直せる中山成彬先生に参議院選挙に出馬して戴きたく、中山先生を事務所に訪ねて、政局をお聞きしたところ「少数政党が乱立し民主党を利するだけになっており、この政局を小沢幹事長に籠絡されると、保守勢力は抹殺され、国会はヒトラーの強権政治と同じように翻弄されることになる。それを押し止めるには、批判がありますが、やっぱり自民党が保守勢力の中心になって建て直さなくてはならない…」と、仰ってました。
覚醒されていらっしゃるインターネットユーザーの皆様、参議院選挙告示まで時間がありませんが、中山成彬先生に自民党を建て直していただきく、谷垣総裁、大島幹事長、河村選挙対策委員長に参議院選挙比例区に、中山成彬先生を擁立もらえるように、FAXかメールでお願いしてください。皆様方の強力な支持の要請があれば山も動きます。
宜しくお願いいたします。
◆自民党本部 ホームページ : http://www.jimin.jp/index.html
[TEL]03-3581-6211 (代)
[FAX]03-5511-8855
自民党に対するご意見・ご要望:https://youth.jimin.or.jp/cgi-bin/info/meyasu_form.pl
◆自民党谷垣総裁ホームページ:http://www.tanigaki-s.net/
お問い合わせ:http://entry.tanigaki-s.net/contents/code/inquiry?re=1274840512
Twitter:http://twitter.com/tanigaki_s
◆大島理森自由民主党幹事長ホームページ:http://www.morry.jp/
TEL:03-3508-7502 / FAX 03-3502-5082(国会)
TEL:0178-45-0088 / FAX 0178-45-6193(八戸事務所)
Twitter: http://twitter.com/tadamori_oshima
◆河村建夫選挙対策委員長ホームページ:http://www.tspark.net/
メールアドレス:info@tspark.net、g01410@shugiin.go.jp(東京事務所)、ymg@tspark.net(山口事務所)、hagi@tspark.net(萩事務所)、seibu@tspark.net(西部事務所)、ube@tspark.net(宇部事務所)
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