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よく言われることですが、議論に勝つと恨まれる(笑)
理屈っぽいと、嫌われる(笑)
なにかを行うに際し、理屈は、とても大切なことです。
だって、理屈が間違っていたら、どこまで行っても間違いです。
その理屈と理屈がぶつかるのが議論です。
どちらの理屈が正しいか、そこを議論する。
しかし、いかに論が正しくても、人には心があります。
感情を逆なでしたら、いくらそれが正しいことであっても、「俺知らね」ってなって、これが「へそを曲げる」(笑)
政治討論番組などを見ていると、よく出る言葉が、
「その件については、もっと議論しましょう。」
だけど、互いに相手を信頼し、ちゃんとした答えをだそうという建設的な意思がなければ、最終的に議論に負ければ負けた方は相手を恨むだけです。
されにいえば、よくある政治討論のように、ただ、お互いに自分の言いたいことだけを言い張るようなものは、「議論」ですらない。
つまり、議論の前に、互いの信頼とか、相手に対する尊敬や互譲、あるいは一緒に「正しい答えを見つけ出そう」という建設的な「心」が必要で、それがなければ議論は、単なる「言い張り合戦」にしかならないです。
そして、「論」と「心」に加えて、もうひとつ重要なファクター。
それが「都合」です。
実はこのお話は、先日、日心会の仲間と話していたときに、ほっしんさんから出た言葉です。
どんなに「論」が正しく、「心」も一致していても、「都合」がわるければできない。
つまり「都合」は、「論」や「心」より、どうやら優先する。
たしかにそうです。
今日どうしてもやらなければならないことと、理屈でわかっていても、やるき満々であったとしても、物理的に無理、という場合は、結構多いものです。
してみると、「論」と「心」と「都合」の3つは、どうやら何事かをなすのにあたって、とても大切な要素といえるかもしれません。
言いかえると、何事かをなすのにあたり、
「都合」>「心」>論理
となるのかもしれません。
よく、「保守どおしは仲が悪い」などといわれることがあります。
女系天皇か男系天皇か、親米か反米かなどは、ことさら保守同士の意見の対立となるところです。
いまなら、外国人参政権の問題など、大きな争点でもある。
どちらにつくか、どれを容認し、どれを否定するかなどということは、非常に大きな保守同士の壁であるかと思います。
しかし、いまの日本は、放置しておけば、売国政党と在日議員たちによって、日本のカタチそのものが失われようとしている有史以来の最大級の危機にあります。
なにせ、反日勢力の人たちは、現政権によって日本で「無血革命が出来たのだ」と言っている。政権交代によってできた現政権は、革命政権なのだそうです。
そういう日本の危機にあって、保守どおしが「論」の違いによって反目しあうというのは、たいへん残念なことなのではないかと思います。
いまは、日本を奪われないために、保守が大同団結すべきときです。
そして、そこにおいて大切なことは、なによりもまず、陛下を、そして日本を守らなければという「心」であり、まずは「反民主党」でまとまらなければならないという「都合」なのではないでしょうか。
そして、来たるべき参院選に、保守系議員が勝利を飾り、確実に過半数を得たうえで、各論においては、互いの信義と誠実をもって、こころゆくまで議論すればよい。
反日勢力は、まさに「いまこそ日本を壊すとき」という「都合」、○沢事務所から、月々のお手当が出るという「都合」でまとまった、いわばご都合集団です。
その政党の中には、個人の主張としてはあきらかに「保守系」と思われる議員も多い。
しかし彼らは、○沢事務所からカネをもらえるという「都合」で、その政党にいる。
そして、各種売国法案に、賛成の票を投じている。
論より、都合が優先し、心を失っている。
そんなものを容認するわけにいかないというなら、保守系政党、団保守系議員、そしてその応援者であるわたしたちひとりひとりが、いまは、議論はさておいて、日本を護るという心で、そして売国政権を許してはならないという「都合」をもって、団結していかなければならない。
そういうときなんだ、とボクにはそんな気がします。
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