
2010/03/28の産経新聞一面の「古典個展」、立命館大学教授加地伸行氏のコラムからの紹介です。
加地氏は、昨今の児童虐待について述べておられます。
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(前略)
あの子たちの恐怖の毎日を思うと、救うことのできなかった私ども大人の罪は重い。
これらの事件を特殊個別的なものとすることは、私にはできない。
戦後教育、わけても義務教育において、東北アジアにおける死生観の<私たちの生命は、祖先以来の生命の連続として存在する>という儒教的伝統をほとんど教えてこなかったことに根本的原因があると私は思っている。
戦後教育の柱は、個人主義の涵養にあった。
しかし、自律的にして自立的な個人主義者を生むことはできず、個人主義者とは以て非なる利己主義者をひたすら生み出すばかりであった。
欧米人が個人主義教育を可能にし実現してきたのは、ともすれば個人主義の自律からはずれようとする人間に対して、それを許さぬ抑止力として、唯一最高絶対神を置いていたからである。
それに対し、われわれには個人主義という思想はなかった、
東北アジア流に自律してきた。
それが可能であったのは、われわれ凡人への抑止力として、それぞれの祖先を置いたからである。
「御先祖さまが許さぬ」という、われわれの抑止力はかつては生きていたのである。
それは儒教的な死生観なのであるが、今日では、日本仏教の中に融合されている。
戦後教育においては、祖先という抑止力を教えてこなかったため、抑止力なき個人主義教育からは、ただ利己主義者を生み出すのみとなった。
そういう利己主義者が頼るのは金銭だけである。
祖先も、祖先以来の生命の連続の大切さ、厳粛さも分からない。
ひたすら求めるのは日本国憲法の「婚姻は両性の合意のみに基づく」夫婦の幸せだけであり、子を虐待し<殺人>して恥じぬ人間の屑が生まれてきたのだ。
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以下は、日心会のMLでkiyoppyさんが投稿された文章です。
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ほぼ全文の紹介になってしまったが、わたしはどうしてもこの名文を紹介せずにはいられなかった。
わたし自身も、この幼児や児童の虐待死事件についてははらわたが煮えくり返るような思いでいました。
人のすることとはとても思えぬ異常な事件がまるで日常茶飯事のようにニュースで取り上げられている。
いったい、この国はどうなってしまったのかと。
手前味噌になりますが、以前にこの幼児虐待をテーマに短編小説を書いたことがあります。
ある幼児の虐待死事件を知ったときから、どうしても書かずにはおられなかった。
わたしは、加地氏のように丁重に幼子を悼むことはできなかった。
しかし、少なくとも今のわたしの気持ちとしてはこの児への弔いになったのではないかという気がしています。
それにしても、流石というか、加地氏の明晰な頭脳がなぜこのような悲惨な事件が起こるのかについて見事に解析してくれた。
やはり、今の教育のあり方が日本を斯くも無残な姿にしてしまっているのです。
学校教育と家庭における教育、この二つがともに本来の日本人を育てるべき教育から大きく逸脱してしまった。
さて、原因は明らかになったわけです。
わたしたちはこの歪んだ日本人をだめにする教育に意義を唱え、たとえ一歩ずつの緩やかな歩みであっても真の日本人の在り様を目指す教育を進めていきましょう。
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ボクもまったく同感です。
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