
埼玉県狭山ヶ丘高等学校が発行している「狭山ヶ丘通信」というレポートがあります。
この通信に、先日小川義男校長が書かれた一文が、とても内容の深い文章と思いましたので、ご紹介します。
文は、ネットでも公開されているものです。
また転載にあたっては、小川校長からのご許可もいただいています。
なお、ネット転載にあたり、改行位置ならびに、太字・アンダーライン等は、はWEB用にねずきちが編集させていただいています。
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小学生が「キレル」とはおかしいではないか
校長小川義男
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文部科学省の2008 年度調査では、学校内外での小中学生の暴力行為が過去最多となったそうである。
小中高生が、教師や仲間に暴力を振るったり、ものを壊したりする行為は6 万件に上る。
これは前年度より7,000 件多い。
暴力行為が低年齢化し、中学生だけで初めて4 万件を超えた。今や学校では、教育以前に治安が問題になるような状況なのである。
狭山ヶ丘高校では、この種の暴力行為は絶無である。前記した情報に接すると、ただ驚くの外はない。
私が小学校長を勤めていた頃、もう20 年以上も昔であるが、いわゆる「ダメ先生」がいた。
40 歳を過ぎる真面目な先生である。
この先生は五年生の担任であったが、ひとりの男子生徒に教室で殴られていたのである。
気づかなかった校長も甲斐性のない話だが、発覚した後に調べてみると、殴られるのは毎日のことであったらしい。
殴られても、先生は手を後ろに組んで抵抗しない。
件(くだん)の男子生徒は、さながら生きたサンドバッグでも殴るように教師を殴り続けた。
鼻血が流れ、教師の顔は腫れ上がったりするのだが、暴力行為は相当執拗であったらしい。
それを女生徒も含めたクラス全員が見ていたというのだから、学校と言える状況ではない。
私の下に情報が届き、問題は一挙に解決したのだが、全国には、このようなケースが相当数存在するのであろう。
もう一件あった。
ある女の先生が、鼻血を出しながら校長室に駆け込んできた。
国旗国歌反対で、平素は私に厳しく対立している先生であったのだが、五年生の男の子に殴られたらしい。
私と激しく対立してはいたが、私はこの女の先生の児童に対する気配り心遣いに感銘していた。
その人柄も好きであった。
その先生を殴って鼻血まで出させたと言うのだから、私は文字通り「頭に来た。」
階段を三段跳びして、(もしかすると四段飛びだったかも知れない。
何しろ私も若かった。) 教室に行き、ドアをガラリと音高く開けた。
顔つきも普通ではなかったろう。
「誰それと言うのは誰か。」私の声の厳しさに畏怖したのであろう、件の「犯人」は「僕です。」と名乗り出た。
彼の顔面は蒼白であった。
物も言わず彼の襟首をつかまえると私は引きずり出して、捕まえたまま階段を駆け下りた。
踵(かかと)くらいは擦りむいたかも知れない。
校長室まで引きずって行くと私は、彼を床に突き飛ばした。
そしていきなり、その尻と思しきあたりを数発蹴飛ばした。
驚いたのは彼が、「命ばかりはお助け下さい」と言った事である。
テレビの水戸黄門の見過ぎでもあろうか、私は吹き出しそうになったが、ここで笑っちゃいけない。
私は鋭く「起立」と号令をかけた。
よくもまあ、これほど素早く行動できるものだと思うほどの素早さで彼は立ち上がった。
「キヲツケ」「ヤスメ」「キヲツケ」「ヤスメ」を10 ぺんほど繰り返した。
号令をかけ終わって私は、「お前、悪いと分かったか。」と気合いを入れると、彼は「分
かりました。」と答える。
「よし、教室に帰れ。」事件はそれだけで解決した。
彼は卒業まで、決してそのような非行に走ることなく優れた六年生として小学校を巣立って行った。
思えば「イイ奴」だったのであろう。
高校生なら兎も角、小学生が「キレ」たり暴力を振るったりするのは、小学生の責任ではない。
教師に、まともな指導力が欠落している事の証(あかし)なのである。
小学生は体力もないのだし、考えも柔軟である。
本来は暴力行為に走ったりするはずがない。
暴力的抵抗に走ったらどんな目に遭うか、そのことを身体に教え込んでやらなくてはならない。
ところが「体罰禁止」という学校教育法の理念が、正しく教師に把握されていないから、子どもが何をやらかしても、これに対し絶対に有形力を行使してはならないと考える教師が少なくないのである。
刑法には正当防衛という条文がある。
「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。」刑法36条。
教育の場であろうとも、暴力行為に対しては、適正かつ厳正に反撃を試みることは許される。
むしろそのことを通して暴力的エゴイズムは、どれほどの反撃となって我が身に返ってくるかと言うことを体得させるべきなのである。
先日聞いた話だが、ある小学校の一年生が言語に絶する理不尽な行為に及んだ。
担任は女の先生であったが、のど頸の所の衣服を掴んで厳しく揺さぶり叱責した。
するとその一年生は家に帰ってしまったそうである。
今風(いまふう)なのはその先だ。
今度は母親が学校にやって来た。
その母親は、件の女教師に、「全部の生徒の前で謝れ」と要求したのだそうである。
もしかすると校長も、謝罪することを認めたのかも知れない。
女教師はその通り「全員の前で謝罪」した。
校長がそれを認めたのだとすれば、その校長には校長たるの資格がない。
胸ぐら取って叱責することは、どこから考えても体罰などには当たらない。
それなのに、
さし当たってトラブルを回避できさえすれば、後はどうなろうと構わない
というような姿勢を取るから、このようなモンスターマザーが多発するのである。
教育委員会も、(教育委員会と言っても、その実質は指導主事である場合が多いのだが)、事なかれ主義から、謝るように勧めてしまう場合が少なくない。
こんなことだから「暴力小学生に舐められる小学校」が出現するのである。
中学生ともなれば体力もあるし、屁理屈にも強い。
おまけに義務教育だから停学にも退学にもできない。
学校には打つ手がほとんどないのである。
高等学校では、暴力的傾向の生徒は学籍を失う。
思慮もある程度高くなってくるから、高校生が暴力的傾向に走ることは極めて少ない。
それにしても、小学生に舐められるような教育が、この後も続けられていくならば、その子どももやがては中学校、高等学校へと進んでくる。
その段階ではもはや取るべき手段がないというようなケースも少なくない。
最近の猟奇的とも言うべき奇怪かつ悪質な殺人事件の本当の根っこは、このあたりに潜んでいるかも知れないのである。
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小川校長の分は、↑までです。
ねずきちは、子供の頃、親からも先生からも、よく殴られたものです。
オヤジなどは、わざわざ学校に行って、「コイツが悪さしたら、遠慮なくなぐってくれ」などとやっていたものだから、往復ビンタは、あたりまえ。足払いで転がされ、蹴りあげられた(これはキツかった)なんてこともよくありました(笑)。
てか、単なる悪ガキだった(汗)。
昭和30年代の小学校ですが、当時の小学校では、まだまだそんなことは、普通にあったように思います。
そんな小学校時代、なんかの授業で、言葉の暴力とゲンコツの暴力とどちらがイケナイか、なんて議論があったことをいまでも覚えています。
多くの生徒が、ゲンコツはイケナイと言う中で、口げんかになるとまるで歯が立たないねずきちは、必死で、「ゲンコツが正しい!」と発言した思い出があります。
「ゲンコツの怪我は、1~2日で治るけど、言葉の暴力は一生傷つくじゃねーか!」
「そんなことないと思います。すぐ暴力をふるうねずきち君に問題があると思います」
「なにおーっ!、じゃかしぃやい、コノヤロ」(笑)
まー、いまにして思えば、まるで議論にもなにもなっていない(爆)
しか記憶では、そのときの教室内の議論は、「ゲンコツの暴力はイケナイ」というのが多数意見としてまとまったような記憶があります。
そのとき教室にいた担任の先生が、ニコニコしながらみんなの意見を聞いていたお顔も、いまでもはっきり思い出せるのだけれど、
その先生、そんな議論のあとも、ねずきちをずいぶんブン殴ってくれていましたから、きっと、腹の中では、「おまえの言うことが正しい」と認めてくれていたのではないかと、いまでも思っています^^
ねずきちは、社会人になってからン十年、暴力を振るったのは2~3回しかありません・・・たぶん・・・きっと・・・(´ヘ`;) う~ん・・・4~5回?・・・まー、何回か(爆)
しかし、会社であれ、学校であれ、言葉の暴力であれ、ゲンコツ暴力であれ、暴力行為に対しては、適正かつ厳正な反撃がなされることを、学ぶ。
言葉であれ、ゲンコツであれ、暴力的エゴイズムは、どれほどの反撃となって我が身に返ってくるかと言うことを体得させる。
そういう凛とした精神は、国際化の進む日本にあって、いっそう大切なものとなってきているといえるのではないでしょうか。
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