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五月一朗師匠
五月一朗

ちょっと感動したことを書いてみようと思います。
実は、陸軍記念日でもある3月10日、18時から九段会館で西村真悟先生主催の「時局と乃木大将を大いに語る会(乃木大将口演会)に行ってきました。
そこで、ナマの浪曲を、はじめて聞いた(笑)
もともと浪曲は好きで、広沢虎三の清水次郎長伝など、全巻持ってたりしています♪
ですからテレビで観たり、CDを聞いたりはあったのですが、なぜかナマは、今回が初めてだったのです。
なので、行く前から、((o(*^^*)o))わくわく!
演目は、関西出身の松浦四郎若さんの「乃木将軍 信州墓参」と、関東出身の五月一郎さんの「乃木将軍 伊勢参り」の2題です。
松浦四郎若師匠
松浦四郎若

松浦四郎若さんは、もともと紳士服の仕立て職人のサラリーマンから浪曲師を目指された方で、着実堅固な芸風です。
お題の「乃木将軍・信州墓参」は、乃木将軍が戦死した多くの部下の遺族を慰問する旅の途中、信州松本の乃木の先祖の墓の前で、たまたま一人の老女に出会った。
老女は、相手が乃木将軍と知らずに「自分の一人息子を殺したのは乃木だ、乃木が憎い」と恨みの数々を口にします。
老女の厳しい言葉を、じっと聞いていた乃木将軍、
「あんたもあの戦争で子をなくしたんかね?」
「ワシも二人の息子を亡くしました」
「そりゃあ、辛かろう。あの乃木のおかげでなぁ」
最後に老女は、前に立つ老人が乃木大将とわかり、「へへぇ~!」とかしこまります。
このお話をナマで聞いているとね、情景が眼の前に、映画のスクリーンのように鮮明に浮かび上がるんです。
そして最後に、二人の息子を亡くしながら、部下の遺族の弔問の旅を続ける乃木将軍に、それまで、汚い言葉でののしっていた婆やが自分を恥じる。
乃木将軍の振舞も立派なら、自らの不明に気づき、それを素直に恥じた婆やも、実にじつに立派な方とお見受けしました。
途中、笑いあり、涙あり。
まさに文化庁芸術祭優秀賞をとっただけの名人芸を堪能させていただきました。
松浦師匠の演題には、忠臣蔵もあります。
これ、是非、聞いてみたいです^^
もうひとつの演目は、名人五月一朗師匠の「乃木大将・伊勢参り」です。
五月一朗師匠は、東京にお住まいの方で、なんと大正8年のお生まれ。
いかにもおじいさんといった風な登場だったのですが、いざ、一曲を唸りだした瞬間、声は、つややかにのびあがり、若い青年将校にもなる、宿屋の番頭にもなる、乃木将軍にもなる。
いやはや見事のひとことです。
明治40年、奈良で挙行された陸軍特別大演習を終えた乃木将軍一行が、秋の吉野山をあとにして、名古屋に立ち寄ります。
駅前の一等旅館、科忠(しなちゅう)に投宿を決められた乃木将軍、お伊勢参りを思い立ち、東京にいる妻・静子夫人に、大礼服を持ってくるようにと、電報を打ちます。
静子夫人、風呂敷包みに大礼服と、自らの礼服を包み、一路、名古屋へ。
駅を出た婦人が、宿屋の前に立っていると、中から出てきた番頭さん、みずぼらしい姿のおばあさんがそこに立っているからと、静子夫人を女中さんと間違えて・・・・
いやはや五月師匠のお話が、おもしろいことおもしろいこと!!
情景が目に浮かぶのもさりながら、巧みに間をとる浪曲に、聴衆者一同、ぐいぐい引き込まれて、ときに大笑い、ときに、涙ぐみながら、曲を聞き終えました。
おもしろかったのが、エアガンマニアの会の、若い人も来ていたのですが、ヘビメタのロックファンだという彼、生まれてはじめて聞いた浪曲に、ただただ感動のひとこと!!
こんなにもすごい芸能が日本にあったのかと、顔を紅潮させて、さっそく師匠らにご挨拶に行ってました。
乃木将軍といえば、戦前は、名将といわれ「軍神」ともいわれ、昭和30年代半ばまでは「尊敬すべき日本人」の一位、二位を占めていた人物です。
ところが司馬遼太郎の「坂の上の雲」以降、無能な将軍というレッテルを貼られてしまっています。
しかし、よくよく考えてみると、そんな、部下をただやみくもに死なせるような「無能な将軍」であれば、なぜ、日露戦争後、乃木将軍が学習院の校長となったのでしょうか。
さらに明治天皇は、将来の天皇となる幼き日の昭和天皇の教育係に、乃木大将を任命しているのです。
わるいけれど、明治という国家は、東洋の最貧国だった日本が、欧米列強に負けない強い国になるために、必死の努力を続けた国家です。
無能で役立たずな人間を、未来の陛下の教育係にするような行動は、普通に常識で考えてありえない。
会場で、西村眞悟さんが乃木将軍について、当時の外国の新聞記事を引用し、難攻不落といわれた旅順要塞の攻略が世界からどう評価されていたのかを説明されました。
武器と砲弾の圧倒的不足の中、一九世紀以降、最強の要塞と呼ばれた難攻不落の最強要塞を、わずか半年で、しかもそれまでの要塞戦では考えられない程度の被害で攻め落とし、それでいて敵の将軍ステッセル以下、生き残りの将兵たちにも慈悲の心を与えた乃木大将を、まさに世界が絶賛している。
日心会副会長のたぬきちさんが、MLに書いてくださいましたが、司馬遼太郎は昭和40年代に自らの国家観を次のように述べています。
1、戦争を仕掛けられたら黙って降伏する
2、占領されたら敵に同化してしまう
3、もしも、日本が軍国主義になったら、自分のような者でも革命に立ち上がる。
1と2の前に(中国に)と加えれば、これでは現在の民主党と全く同じヘタレです。
司馬遼太郎は、あくまで作家であって、国を守る責任を持った将軍や政治リーダーではない、ということは、司馬史観などともてはやすまえに、きちんと体に刻んでおくべきことと思います。
そうそう!
最後にご挨拶に立たれた、元陸上自衛隊中部方面総監で、阪神・淡路大震災で、自衛隊の最高指揮官として100日間にわたる災害救助活動を指揮された松島悠佐氏が、次のように語っておいででした。
以前、「あんたは歩道橋を作るとか、地元にごきげんとることはせんのかね?」と問われた西村先生。
たったひとこと、こう答えられたそうです。
「俺は票乞食じゃない!!」
こんな啖呵の切れる男こそが、新しい日本の柱なのだと、強く思った夜でした。
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