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第115回倭塾 2024年12月7日(土)16:30-20:30 タワーホール船堀2F蓬莱
12月の倭塾は「知っておきたい神武東征」をテーマに、日本建国の壮大な物語を紐解きます!英国のアーサー王伝説のように語り継がれる建国の歴史が、日本ではなぜ共有されていないのか?その背景を探りながら、現代日本人の精神の基盤に迫ります。歴史を知ることで、日本人としての誇りと未来への希望が見えてくるはずです。今回は【タワーホール船堀】にて【16時開始】で開催!日本のルーツを一緒に探求しましょう。ご来場をお待ちしています!
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第二次世界大戦中、日本海軍の駆逐艦「雷」の艦長・工藤俊作少佐は、敵であるイギリス海軍兵450名以上を危険を顧みず救助しました。彼の決断は、命の危険が伴う戦場での常識を超えたものでした。救助されたイギリス兵たちは、工藤艦長と乗組員の献身的な行動に深く感動しました。この出来事は、武士道精神の体現として、後世に語り継がれています。戦後も工藤艦長は自らの功績を語らず静かに生涯を送りましたが、その名誉ある行動は、救助された英国兵士たちによって世界に伝えられました。

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駆逐艦「雷」
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第二次世界大戦中、日本海軍の駆逐艦「雷」の艦長・工藤俊作少佐が、命がけで450名以上のイギリス海軍将兵を救助した出来事がありました。この行動は、戦場での常識を超えた決断であり、日本が誇る武士道精神を体現するものとして後世に語り継がれています。
漂流するイギリス兵たち
1942年3月1日、ジャワ海の戦いでイギリス海軍の重巡洋艦「エクゼター」と駆逐艦「エンカウンター」は、日本海軍との交戦の末に撃沈されました。その結果、両艦の乗組員450名以上が漂流することになります。彼らは炎天下の海上で飲み水も食糧も尽き、体力の限界に達していました。一部の将兵は、自決するために劇薬の服用を考え始めるほど絶望的な状況に陥っていました。
その翌日、哨戒中の日本海軍駆逐艦「雷」が彼らを発見しました。敵潜水艦が潜む危険な戦場での救助は、自艦をも危険に晒す決断となります。それでも「雷」の艦長である工藤俊作少佐は迷わず「救助」を命じました。
危険を顧みない救助活動
「雷」の乗組員220名に対し、漂流していたイギリス兵は450名以上。この圧倒的な人数差に加え、周囲には敵潜水艦が徘徊しており、艦を停止させることは自殺行為にも等しいものでした。しかし工藤艦長は、乗組員全員を動員し、漂流者の救助に当たらせました。
縄梯子を使い、または艦載ボートを降ろして、漂流者を次々と引き上げました。しかし体力を使い果たした兵士たちは、自力で縄梯子を登ることもできない状況でした。そのため工藤艦長は下士官に命じ、命綱を付けて海に飛び込ませました。乗組員たちは海中で力尽きた兵士たちの体にロープを巻き付け、艦上へ引き上げました。この救助作業は、一日中続けられました。
救助された兵士たちは、体中が油と汚物で汚れており、衰弱しきっていました。それでも「雷」の乗組員たちは、嫌悪感を見せることなく彼らを介抱しました。服を脱がせて身体を洗い、艦載の限られた食糧や飲料水を惜しみなく提供したのです。
当時、「石油の一滴は血の一滴」と言われるほど物資は貴重でしたが、工藤艦長は艦載の真水や燃料も使わせました。この行動は、戦場の常識を超えるものでした。
工藤艦長の訓示
救助が一段落すると、工藤艦長は救助されたイギリス海軍士官たちを前甲板に集め、英語でこう語りました。
「諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は日本帝国海軍の名誉あるゲストである。」
この言葉に、イギリス兵たちは深く感動しました。敵味方の区別なく、命ある者への敬意と配慮を示すこの姿勢は、まさに武士道そのものでした。
イギリス兵たちの証言
救助されたイギリス兵の一人であるサー・サムエル・フォール卿は、後にこう語っています。
「私は当初、日本人を残虐な民族と考えていました。『雷』が現れたとき、いよいよ最期を迎えると覚悟したほどです。しかし、彼らは私たちを救助し、身体を丁寧に洗ってくれました。まるで夢のようでした。」
フォール卿は、この出来事を忘れることができず、後に自伝『マイ・ラッキー・ライフ』を執筆し、その冒頭で工藤艦長への感謝の言葉を記しました。
工藤艦長の人柄
工藤俊作は、山形県に生まれ、幼少期から強い正義感と責任感を持つ少年でした。彼は海軍兵学校に進学し、厳しい教育を受けながらも、部下を思いやる姿勢を学びました。兵学校時代の校長であった鈴木貫太郎中将(後の総理大臣)の教えが、彼の人格形成に大きな影響を与えたとされています。
「雷」の艦長に着任した工藤氏は、着任直後に「私的制裁を禁止する」と明言しました。当時は鉄拳制裁が常識的に行われていましたが、工藤艦長はこれを排除し、部下の失敗を責めることなく、その努力を評価しました。
戦後の工藤艦長と「雷」の運命
「雷」は1944年、戦場で敵潜水艦により沈没し、乗組員全員が戦死しました。一方、工藤艦長はその前に艦を離れ、戦後は埼玉県川口市で静かに余生を送りました。
工藤艦長は、自身の功績について家族にも語らず、その詳細は救助されたイギリス兵たちから知らされました。その理由は、「雷」がその後に戦没し、多くの乗組員が命を落としたことへの責任感と自戒の念からだと言われています。
武士道の象徴としての「雷」の救助劇
この救助劇は、戦争という極限状況の中で示された人間性と武士道精神の象徴です。工藤艦長の行動は、単なる戦場のエピソードを超え、命の尊さを教えてくれます。
サムエル・フォール卿が語るように、この出来事はイギリス海軍のみならず、世界中の人々に感銘を与えました。戦争が生む憎しみの中でも、敵味方の垣根を超えた尊敬と人間性の発露がありました。
工藤艦長の言葉、「諸官は勇敢に戦われた」という敬意を持った一言は、単なる美辞ではなく、実際に命を賭けた行動によって裏打ちされたものでした。この言葉は、戦後も語り継がれるべき普遍的な価値を含んでいます。
現代への教訓
工藤俊作艦長が示した行動は、現代社会においても私たちに重要な教訓を与えています。戦争や対立が生む憎しみや恐怖の中でも、人間性を見失わず、尊敬と思いやりを持つことが可能であると証明しました。
日本が誇るべき武士道精神は、彼の行動によって具体的な形となり、後世に残されました。この物語は、私たちが人間としてのあり方を考える契機となることでしょう。
※この記事は2010年12月の記事を大幅にリニューアルしたものです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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