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 4月の倭塾は、4月23日(日)13時半から、場所は富岡八幡宮の婚儀殿です。テーマは「いま世界で起きていること、日本で起きていること、そして日本精神の源流」です。参加自由で、どなたでもご参加いただくことができます。皆様のふるってのご参加をお待ちしています。詳細 → https://www.facebook.com/events/458686826358362
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戦前戦中において、日本には、いわゆる英語の通訳がいましたが、その多くが、天皇をエンペラーと訳していました。
戦後においてもアメリカで作られた映画に
「終戦のエンペラー(原題英: Emperor)」があります。
けれど、そのエンペラーという言葉が、実は世界に向けて大きな誤解を生むもとになっていることを、私たちは知る必要があります。
近年では、日本国内にたくさんの外国人がいます。
そしてその外国人の多くが、天皇の御存在の意味を取り違えています。
その原因が、まさにエンペラーという訳語にあることを、私たちはあらためて自覚する必要があります。

20230419 終戦のエンペラー
画像出所=https://www.youtube.com/watch?v=77hJ_4Oz06g
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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


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権力(パワー、Power)というのは、自分に都合が良いように、相手(自国民や他国)に、無理やり云うことを聞かせる力のことを言います。
そしてその「権力」の構成要件は三つであると言われています。
それが、
 情報(インフォメーション)
 資金(ファンド)
 暴力(ゲバルト)
です。
人の集団内では、この3つのうちどれかひとつを握れば、かなりの力を発揮できます。
二つ握れば権力の座を奪うこともできます。
三つ握れば、まぎれもない権力者です。
西洋における世界観(これは宗教観と言っても良いのだけれど)は、世界には「主」がおわす、というもので、その「主」が、世界を「所有」しています。
「主」はオーナーであり、最高権力者であり、人類とは異なる偉大な存在であり、人類は、その支配下にあります。
支配下にあるということは、主のもとにある者だけが「ヒューマン」です。
主の下にない者たちは「ヒューマン」ではありませんから、人の姿をしていても、ただの動物でしかないというのが、西洋的価値観です。
かつて北米大陸にインデアンたちがいた時代、やってきた白人たちは、皆、プアー・ホワイトでしたから、北米大陸に着いたときには、青息吐息な難民でした。
そんな難民たちを介抱し、食料を与えて養ってくれたのが、先住民であるインデアン達でした。
けれど、介抱されて元気を取り戻した白人たちは、インデアンの土地を奪い、食料を奪い、皆殺しにしていきました。
どうしてそのような不条理ができたかといえば、「主」のもとにない者たちは、ただの「獣」だからです。
豚や牛が、どんなに人間に愛情を示したとしても、金儲けのために人は平気でその牛や豚を殺すのと同じです。
そして「ヒューマン」であっても、より神に近い者と、遠い者が存在します。
労働は、神に与えられた人類の原罪ですから、労働をしない者、しなくても良い者は、より神に近い者です。
神から遠いものほど、きつい労働が課せられます。
こうして人類社会に階層が生まれ、
トップにあるのが、主のもとにあって労働をしない者、
次にあるのが、主のもとにあって労働をする者、
その下にあるのが、主のもとにない、つまりヒューマンではない者、
となり、ピラミッド型の社会が形成されます。
ピラミッド型社会では、より上位の者が、より大きな権力を持ちます。
つまりこの世は、一握りの「情報、資金、暴力」を支配した者によって、支配されることになります。
そしてこうした社会構造にあっては、下の者たちは、上の階層の者たちのために働く、ただの働き蜂となります。
以前にも書きましたが、世の中はすべて「ないものねだり」です。
ですから、民主主義を理想とする社会は、実は少数の大金持ちに支配され、多くの民衆が隷属させられているという、支配被支配の社会であって、実はそこに民主主義はない。
自由主義を理想とする社会に、自由はない。
共産主義を理想とする社会に、平等はない。
ないから、欲しがるのです。
だから、支配する側は、それが「ある」ように、みせかけるのです。
こうして世の中は、虚飾に満ちた世の中になっていきます。
日本がやや特殊だったのは、日本が災害が多発する国土を持つ国であったことによります。
毎年台風はやってくるし、干ばつや大雪、大雨、地震に津波に雷に火山の爆発と、これでもかというほど、日本には天然の災害が襲いかかります。
そしてその都度、昔は、大勢が餓死したりしました。
ですからこれを克服するためには、誰もが「みんなの幸せが我が身の幸せ」と考え、災害時のための食料備蓄をみんなで行ない、さらに地域を超えた災害救助体制を整え、また共同して復興を営み、さらにいつ災害がやってきても良いように備え万端怠りないように日頃から準備する。
そのために必要なことは、情報でもなければ、資金でもない、まして暴力でもない。
必要なことは、共同であり、協調であり、災害を乗り越える智慧であり、助け合いであり、みんなの合意です。
そしてそのためには、いざというとき「この指とまれ」という中心核が必要になります。
そしてその中心核を、「権力」ではなく、権力を持たない「権威」にしたのが日本です。
やっかいなのは、英語で「権威」を「オーソリティ(authority)」と訳すと学校で教えてしまっていることです。
これは幕末に英語の「オーソリティ(authority)」を「権威」と翻訳したことによるのですが、これは、主上である神(GOD)は、何でもできる存在ですから「権威」と訳した、そこまでは正解です。
ところが、日本語の「権威」には、英語の語感にある「なんでもできる支配者」という語感がありません。
ですから単純に外国人に向けて
「日本は天皇というオーソリティ(権威)を持つ国です」
などと説明すると、聞いた外国人は、日本は「天皇はなんでもできる最高権力者であり、その権威に従わない人を差別する存在」と勘違いするし、天皇を大切にするという日本人の思考もまた、日本人が天皇のもとにある民以外を差別する排外主義者であるかのように錯覚されてしまいます。
まして、「日本は天皇を国家最高権威(the state best authority)とする国です」などと言おうものなら、「日本人は、天皇を世界皇帝にして、世界の支配を目論んでいる狂信者だ」と、真逆の解釈をされたりすることになるのです。
「オーソリティ(authority)」の語彙が、日本語とはまったく違うのです。
同様に、日本の天皇を「エンペラー(Emperor)」と訳すのも、間違いです。
エンペラーは、王(キング)の中の大王(ビック・キング)のことです。
諸国に王があり、それら王を統べる、つまり王たちを所有するオーナーが、エンペラーです。
つまりエンペラーとは、国際的最高権力者のことを言います。
従って権力を持たない日本の天皇を、不用意に「エンペラーです」と翻訳すると、無用なあらぬ誤解を受けることになります。
日本社会にあるのは、西欧にあるような権力による支配ではなく、「right way」、つまり「正しい道」です。
情報、財力、暴力の三要素は権力を発生させますが、その用い方を「間違っている」と指摘できるのは、何が正しいのか、何が間違っているのか、という正しい判断の基準です。
英語で言ったら「The standard of the right judgement.」とでもなるのでしょうか。
このあたりの表現は、英語の堪能な方に、ぜひ考えていただきたいところです。
そして何が正しくて、何が間違っているかという判断の基準は、古いものほど価値を持ちます。
そうであれば、日本の文明は4万年以上さかのぼる文明なのですから、これほど古い価値観を持つ国はありません。
権威という言葉は、幕末に英語のオーソリティを翻訳してできた言葉です。
しかし日本的な意味での権威を英語に訳すときには、これを英語の辞書に従ってオーソリティと書くと、意味がゆがみます。
日本人が日本的価値観に目覚め、それを正確に、わかりやすく外国に向けて情報発信できるようになったとき。
そのとき世界は、はじめて権力による支配に「待った」をかけることができるようになります。
これはものすごく重要なことです。
日本における天皇の存在は、日本だけにあって外国にはない存在です。
そして天皇は、国家最高権力者よりも、さらに上位におわされます。
英語で「国家最高権力者よりも上位にあって、かつ、権力を持たない人」を言うとすれば、
「power behind the throne」(玉座の陰にある力)
「adviser」(顧問)
「influential figure」(影響力のある人物)
「power broker」(権力ブローカー)
といった言葉になります。
いずれも、日本の天皇とはまったく意味合いの異なるものです。
従って、日本の天皇は、外国語にするときには、「THE TENNO」と訳すほかないと思います。
そしてその意味合いを、しっかりと伝えていく努力が必要になります。
戦前戦中において、日本には、いわゆる英語の通訳がいましたが、その多くが、天皇をエンペラーと訳していました。
戦後においてもアメリカで作られた映画に
「終戦のエンペラー(原題英: Emperor)」があります。
けれど、そのエンペラーという言葉が、実は世界に向けて大きな誤解を生むもとになっていることを、私たちは知る必要があります。
近年では、日本国内にたくさんの外国人がいます。
そしてその外国人の多くが、天皇の御存在の意味を取り違えています。
その原因が、まさにエンペラーという訳語にあることを、私たちはあらためて自覚する必要があります。
※この記事は2022年4月の記事のリニューアルです。
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