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8月14日(日)に靖国神社でみなさまとご一緒に昇殿参拝を行います。
事前申込は特に必要ありません。
是非、ご一緒に英霊に感謝を捧げ、護国への決意を新たにしていきたいと思います。
詳しい内容は↓コチラ↓
https://nezu3344.com/blog-entry-5295.html

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A案B案が対立しているのなら、その中間に真実がある。
互いに対立するのではなく、その中間にある真実を見つけていくことが、真実への扉を開くと、古事記は教えてくれています。

20220812 天照大御神
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小名木善行です。
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古事記には、黄泉の国からお帰りになられたイザナギ大神が、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小門(たちばなのおど)の阿波岐(あはき)原で、禊祓(みそぎはらひ)をされた後に、天照大御神、月読命、須佐之男命の三貴神をお生みになられるシーンがあります。
イザナギ大神は、これをたいへんに喜ばれ、天照大御神に、その首に付けた玉の緒を天照大御神にお授けになられた記述があります。
かくていざなき みことには   此時伊耶那岐命
いたくよろこび のらさくは   大歓喜詔
あはみこうみて うみのはて   「吾者生生子而於生終
みつのたふとき こをえたり    得三貴子」
かくてみくびの たまのおを   即其御首珠之玉緖
もゆらにとりて ゆらかして   母由良迩(此四字以音下効此)取由良迦志而
あまてるかみに たまひては   賜天照大御神而詔之
いましみことは たかまはら   「汝命者所知高天原矣」
ところしらせと ことよさむ   事依而賜也
首に付けた玉の緒とは、一義的には、もちろんネックレスとしての勾玉のことですが、同時に我が国では、玉は「魂(たま)」を意味します。
つまり「首に付けた玉」とは、イザナギ大神の魂そのものであるわけです。
そして魂には、胎児が母体とつながるへその緒と同じく「魂の緒」があり、これが肉体とつながっています。
つまりイザナギの大神は、娘の天照大御神に、男性神としての御霊(みたま)そのものをお授けになられたと、古事記は描写しているわけです。
これはたいへんに重要な儀式です。
なぜなら、大神が、その神聖の根幹である神としての御霊を、娘にお授けになられているからです。
そしてここに、たいへん興味深い描写があります。
それが、
 もゆらにとりて ゆらかして
(母由良迩(此四字以音下効此)取由良迦志而)
という描写です。
「母由良迩(もゆらに)」には、続けて「此四字以音、下効此(この四字は音(こえ)を用いる。下はこれにならふ)」とありますから、ここは漢字そのものに意味がありません。
ですから大和言葉で解釈することになります。
その場合、「も」は「面(も)」です。
「ゆら」は「万葉集の2065番に「足玉も手玉もゆらに織るはたを」という歌があり、これは物が触れ合って音が鳴ること、つまり「揺れる」ことです。
つまり「もゆらに」は、「首につけた勾玉を、カラカラと音を立てて揺らしながら、顔から外した」という様子です。
続く「ゆらかし」は、原文では「由良迦志」です。
「ゆら」は上と同義です。
「迦志(かし)」の「迦」は、釈迦という言葉があるように、「力と出会う、めぐりあう」といった意味で、
「志」は「こころに誓う」ことを意味します。
つまり「由良釈志(ゆらかし)」は、「揺らしながら、心の力を込めた」という意味になります。
これはたいへん不思議な描写です。
首から大切な魂を外して、その魂の緒紐を天照大御神様にお授けになられた・・・までは普通に理解できると思います。
ところが、その「ものすごくたいせつな魂」を渡すときに、わざわざ、ゆらゆらと揺らしながら、天照大御神さまにお授けになっているからです。
普通、相手にものを渡すときは、相手が受け取りやすいように、素直に渡すのが普通です。
ところがイザナギの大神は、わざわざそれを、ゆらゆらと揺らしながら、娘に授けているのです。
ここに大切なメッセージがあります。
イザナギの大神の御霊(みたま)とは、「言葉では言い尽くせないほど大切なものである」ということはご理解いただけようかと思います。
そしてその大切なものとは、実は、常に「ゆらゆらと揺れている」と古事記は伝えているのです。
なんでもそうですが、すべてのことには「ゆらぎ」があります。
人は、何につけても、敵か味方か、白か黒か、○か×か、陽か陰か、正しいか正しくないかなどと、ものごとを2つに分けたがります。
その方が、はっきりするし、なんだか理知的な感じがしたりもします。
けれど古事記は、「いちばんたいせつなものには、常に『ゆらぎ』があるのだ」と、ここで教えてくれているのです。
白か黒かの二者択一ではなく、実は白黒どちらともつかない、グレーの部分が一番多かったりする。
そこに真実があるのだ、と教えてくれています。
このことは、現実世界の決断に際しても重要な意味を持ちます。
A案とB案が対立する。
どちらが正しいのか、激論となる。
それが間違いのもとだ、と古事記は書いているのです。
A案B案が対立しているのなら、その中間に真実がある。
互いに対立するのではなく、その中間にある真実を見つけていくことが、真実への扉を開くのだ、と教えてくれているのです。
日本をかっこよく!
お読みいただき、ありがとうございました。
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