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日本建国史 学校で教えない日本建国の歴史をわかりやすく解説
その日その日が一生なのだと思って生きる。
決して速くなくていい。歩く速さで生きていこう。
賢いだけのバカにならない。
人生に無駄なことなんて、ひとつもない。どんなに苦労していたとしても、いまどんなに辛かったとしても、そのひとつひとつが、いま、この瞬間は信じられないかもしれないけれど、全部が人生の宝なんだよ。
だから、がんばろうなんて思わなくていい。ただ一心に一生懸命生きていく。それだけでいいんだよ。
だって、あなたには幸せになる力があるのだから。
そして、周囲の人を幸せにしてあげることができる力があるのだから。

20220306 千日回峰行
画像出所=https://youtu.be/SBczUgzi5uI
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小名木善行です。
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上にある写真は、酒井雄哉大阿闍梨の二度目千日回峰行のときに、NHKが取材に入ったときの映像の一部です。
(NHKがまともだった時代もあったのですね)
写真の大阿闍梨の姿は、筆者には神の姿に見えます。
比叡山延暦寺は、開山以来、1200年の伝統を持ち、その間に法然、親鸞、一遍、栄西、道元、日蓮などの名だたる高僧を生んでいる、ある意味我が国初の佛教大学とも言えるお山です。
ちなみに比叡山には、延暦寺という名前のお寺があるわけではありません。
比叡山の中に150もの建物があり、それらすべてを総称した名前が延暦寺です。
その延暦寺に、千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)という、すさまじい苦行があります。
最後までやりきった方は、阿闍梨から、大阿闍梨に昇格されます。
阿闍梨(あじゃり)というのは、 サンスクリットのアーチャーリヤを漢字にしたもので、仏教の師匠となられるお方を意味します。
その中で、一般庶民の出で成れる最高位が、大阿闍梨です。
そして、比叡山で大阿闍梨になるためには、千日に及ぶ苦行を行わなければならないのです。
千日回峰行は、誰でもができるものではありません。
お山に入ってまずは3年間の三年籠山を行います。
この三年籠山の中には、90日間横になずに、眠るときもただ手すりに寄りかかって仮眠をとるだけで、その間ずっと勉学修行に励み続けるという凄まじい修行もあります。
さらに、このあと十二年籠山行といって、12年間、一日三千回、身を地面に投げ出す五体投地(ごたいとうち)という修行などを行ないます。
その他、様々な修行を続けて、先達から御授戒を受けると、次にあるのが、千日回峰行です。
これは7年間に渡って、毎日深夜に比叡山の山の中を真言を唱えながら、東塔、西塔、横川、日吉大社それぞれにある260箇所の霊場のひとつひとつに礼拝を行うというもので、距離にしておよそ30kmの山道を、雨が降ろうが雪が降ろうが、台風がやって来ようが、毎日続けます。
これを達成すると、9日間の四無行といって、断食・断水・断眠・断臥の苦行を行います。
さらにこの間、ずっと真言を唱え続け(10万回)、深夜2時にはお堂を出て近くの井戸から水を汲んで来て堂内の不動明王にこれを供えます。
この9日間の修行が終わると、体重60kgだった人なら、半分の30kgほどにまで体重が減るそうです。
それだけ凄まじい修行だということです。
そしてここまでを達成すると、阿闍梨といって、後輩を育てることができる資格を得ることができます。
けれど、これで終わりではない。
6年目になると、赤坂禅院が加わって、60kmの山道を毎日欠かさず歩いて礼拝を行います。
さらに7年目には、200日行といって、全長84kmの道のりを毎日歩いて礼拝を行います。
これが終わると、100日間の五穀断ちを行い、さらに7日間の断食・断水をしながら、護摩供養を行うのだそうです。
比叡山の1200年の歴史のなかで、この千日回峰行を満行された人物は、わずか51人しかいません。
すごいのは、1200年の歴史の中で、51人中14人が戦後の日本で満行していることです。
一番近いところでは、2017年に釜堀浩元大阿闍梨がこれを達成、さらに、1987年には酒井雄哉大阿闍梨が、なんと2度の千日回峰行を終えられました。
歴史上、2度の千日回峰行達成者は、比叡山1200年の歴史の中で、わずか三人だけです。
その中のおひとり、1987年7月に二度目を達成された酒井雄哉(さかいゆうさい)大阿闍梨が、行を終えたばかりのときに、インタビューに答えて話されたお言葉です。
「なんだかんだいって、
 頭があんまり利口じゃないし、
 そうかといって法務のほうを携わって
 仏様にお勤めするったってロクなことができない。
 そんな人間だからね、
 もう一生懸命、
 みんなのため
 日本国中の人のため
 みんなのために拝み倒していくという、
 もう、それだけです」
酒井雄哉大阿闍梨は、2013年にお亡くなりになられました。
昭和19年に熊本で海軍予科練に入隊し、鹿屋基地で特攻隊員として出撃命令を待つときに終戦。
戦後、様々な苦難の後に39歳で比叡山に入り、叡山学院に入学し、なんと首席で卒業されています。
予科練に入るのも、叡山学院を首席で卒業するのも、ものすごく頭の良い人でなければできないことです。
そういう人が自分で「ロクなことができない」とおっしゃるのは、それだけ目標とするところが高いことを意味します。
そしてそのような方であっても、ただ一生懸命に生きていくことだ、と酒井雄哉大阿闍梨は述べられています。
そんな酒井雄哉大阿闍梨が出された本のタイトルです。
『一日一生』
『人の心は歩く早さがちょうどいい』
『賢(かしこ)バカ」になっちゃいけないよ』
『ムダなことなどひとつもない』
『がんばらなくていいんだよ』
『あなたには幸せになる力がある』
その日その日が一生なのだと思って生きる。
決して速くなくていい。歩く速さで生きていこう。
賢いだけのバカにならない。
人生に無駄なことなんて、ひとつもない。どんなに苦労していたとしても、いまどんなに辛かったとしても、そのひとつひとつが、いま、この瞬間は信じられないかもしれないけれど、全部が人生の宝なんだよ。
だから、がんばろうなんて思わなくていい。ただ一心に一生懸命生きていく。それだけでいいんだよ。
だって、あなたには幸せになる力があるのだから。
そして、周囲の人を幸せにしてあげることができる力があるのだから。
ご著書のタイトルだけで、まるで酒井雄哉大阿闍梨の声が聞こえてくるかのようです。
比叡山1200年の歴史の中で、戦後の75年間に、51人中14人、およそ3割に近い千日回峰行達成者が現れたということは、それだけ戦後の日本が、たいへんな難行苦行の時代に置かれたということです。
けれどそういう日本だからこそ、いま、陸続と優秀な若者たちが現れています。
その若者たちに、我々が伝えなければならないこと。
それは「歩く速さと、みんなのため」ということなのかもしれません。
酒井雄哉大阿闍梨

お読みいただき、ありがとうございました。
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