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日本は3〜4万年前の磨製石器の時代から神語りを語り継ぎ、1万4千年の縄文文化を築き、3千年の弥生時代を築き、およそ二千年の古代以降の政治体制を保持してきた国です。それだけの長期間生き延びた体制というのは、それなりに尊重され、学び直されても良いものであるように思います。民主主義や共産主義などは、世界に広がったとはいえ、まだたった300年にも満たないものです。

20180913 律令体制


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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。
議論は左右の対決によって深まるといわれています。
ですから国会には与野党があるし、米国などはそのために二大政党制を敷いているといわれています。
また日本の議会には衆参両院があり、米国には上院下院があります。
要するに多様な意見を、最終的に賛成と反対、実行するしないなどのように2つの意見に集約し、これを取りまとめて最後に採決をして、意思決定するというのが議会制民主主義のあり方だというわけです。
こうした現在の様子から、過去の日本を連想し、日本の社会のすべてをChina譲りの陰陽の二択、あるいは西洋的善悪二元論でのみ捉えようとされる先生方もおいでになります。
間違いではないと思います。
しかしそこから発展して、(これは明治以降、戦前戦中までもあったことですが)古事記や日本書紀などの日本の書物を解釈するに際してまでも、二元論で捉えようとする人たちがいました。
たとえば、古事記には最初の創生の神々として、
 ・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
 ・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
 ・神産巣日神 (かみむすひのかみ)
という三柱の神様が登場するのですが、これを、
「もともとChinaの陰陽道が元になって高御産巣日神と神産巣日神の二神だったものを、あとからChinaの道鏡の影響から天之御中主神が挿入されて造化三神(ぞうかさんしん)とした」などと解釈しているわけです。
陰陽や善悪二元のはずなのに、三者が出ているのは「おかしい」というわけです。
しかし、そうした陰陽論や善悪二元論を取り除いて考えてみると、もともと日本が、
「じゃんけんぽんと同じ三者関係で対立や闘争がないような社会を営んできた」ということに、あらためて気付くことができます。
日本は古来、三者関係によってバランスをとってきたのです。
なんでもかんでも文明文化はChinaから渡ってきたものだという文明渡来説のようなものにかぶれると、物事が二者対立しかないように思えてしまいがちです。
もちろん尊敬したり、他から学ぶことはとても大切なことなのですけれど、日本人なら日本人らしい見方や考え方を根底に置かないと、日本人でありながら日本文化を歪んで捉えてしまうという間違いをおかしやすくなります。
日本的三者関係というのは、じゃんけんと同じです。
グーとパーだけなら、勝った負けたの議論にしかなりません。
そして勝った側が敗けた側を支配することになります。
なぜなら相手が敗けたからです。
ところがここにチョキが加わると、補完関係が生まれます。
そこでグーとパーの政治機構の上に、チョキをを置いたのが日本的発想です。
政治は意思決定が必要な分野です。
ですから二者択一の判断が求められます。
しかし、だからといって、ただいたずらに争いに終始していては、結論が出るたびに、妬み、恨み、足の引っ張り合いしか起こらないことになります。
だからこそ「詔(みことのり)を受けては必ず従え(十七条憲法)」なのです。
賛成派も反対派も、権威の前に低頭しなければならないとしたのです。
さらに古代律令体制では、天皇の直下に「太政官、神祇官、弾正台」という三つの役所が置かれていました。
太政官(だじょうかん)は政治の意思決定機関であり、政治的意思決定の実行機能を持ちました。
その示達は、もちろん国司を使ったルートもありますが、主に神祇官がその機能を担っていました。
神祇官(じんぎかん)は、天皇の祭祀を所轄するとともに、全国の神社を統合しました。
神社には、民衆は氏子となって氏神様のもとに必ず月に一度は集い、そこで一緒に飯を食いながら、互いの交流をはかっていましたから、神祇官のもとにある全国の神社のネットワークは、そのまま全国の庶民への示達と、民衆の状況をつぶさに中央にあげることができたし、それを天皇に上奏することが可能でした。
そして太政官、神祇官がちゃんと機能しているのかをチェックし、必要があれば武力を用いてでも太政官、神祇官の不埒を排除する役割を担っていたのが弾正台(だんじょうだい)です。
歴史上、この弾正台が動いて、太政官を滅ぼしたといった事件は、幸いにしてひとつも起きていないため、いまではまるで弾正台がなかったもののように言われることが多いのですが、それは大きな間違いです。
弾正台がしっかりと機能していたからこそ、弾正台が動くまでに事態が至らなかったのです。
日本は明察功過の国、つまり事件や事故が起きてから動くのではなく、事件や事故が起こる前に、先に察して手を打つ国であったことを忘れてはなりません。
いまでも刑事ドラマなどでは、捜査官が正義のために必死で動く姿が放映されますが、明治以降の警察という肩書以上に、弾正という肩書は、その当事者にものすごく影響を与えた肩書でした。
ひとたび弾正を拝命したならば、その生涯は正義のため(「たける」ため)にのみ尽くされる。
そのような誇りと自負を弾正の家系は持することになったのです。
いまの日本は三権分立といいますが、たとえば国会議員や行政の閣僚には原則として司法権が及びません。
いわゆる議員特権というものですが、そのために、明らかに人心を惑わすような不埒な者が、特定の利権者達の代表となって議会を壟断(ろうだん)し、正常な立法府運営を妨げていることは、さまざまな事実が示す通りです。
そのような不埒なヤカラを断罪できないなら、三権分立ではありません。三権談合です。意味がない。
しかも三権を統合し統轄する最高権威もない。これではいつまでもグダグダと言い争いと利権争いが続くだけになるのはあたりまえです。
このような仕組みは、西洋からの輸入の仕組みですが、戦争ばかりやっていた西洋文明は、科学技術のハードの面では進んだところは多かったけれど、文化面においては、実は「野蛮」であり、「蛮族」でしかなかったということができます。
日本の文化は、その意味で、西欧よりも、はるか千年先を行く文化であったといえます。
政治は、政治権力の行使を伴うものです。
そして権力行使には、必ず責任が伴います。
その責任を負うという仕組みがなければ、それはどのような綺麗事で飾ったとしても砂上の楼閣です。
これに対し古代の律令システムでは、賛成と反対、実行と不実行、前進か後退かといった議論が左右に分かれて行われるものの、その意思決定者が別に置かれていました。
そしてその意思決定者は、同時に責任を負う者でした。
もちろん太政大臣は、天皇によって親任されるものですし、天皇による親任は神による親任と同じ意味を持ちましたから、現職の太政大臣に至らないところがあったとしても、そうそう簡単にはクビになりません。
しかし天皇が退位され、次の天皇が即位されたとき、その太政大臣が再び親任されるかは、それは新しい天皇の意思に基づきます。
そのため多くの天皇が、きわめて短期間でご退位されています。
なぜならそれは、政治体制を一新するのに必要なことであったからです。
もちろんこうした体制が、摂関政治によって崩れて失われたという人もいますが、それもまた違うと思います。
律令体制が構築されたのは645年の大化の改新を起点として良いと思いますが、その体制が廃止になったのは、明治18年です。
つまり1240年も続けられたのです。
これは世界最長の記録を持つ政治体制です。
もちろん律令体制の中身は、貴族政治の時代から武家政治の時代へと変遷しました。
しかし摂関政治といっても、それは律令体制の部分変形にすぎないし、武家政治といっても、将軍はそもそも左大臣か右大臣です。
秀吉に至っては関白太政大臣です。
要するに律令体制は維持されていたのです。
ではなぜ摂関家政治の時代になったり、あるいは武家の台頭による将軍体制になったりと変遷したのかといえば、かつては神社ネットワークだけだった国内に、新たに仏教寺院のネットワークと人々の帰依という、それまでの日本にない仕組みが生まれたことによります。
要するに実態に合わせて、律令体制に必要な改良を施しながら、日本はなんと1240年も、ひとつの政治体制を保持してきたのです。
問題はその結果です。
いかなる政治体制であれ、その結果が人々の生活の豊かさを奪い、安全や安心を脅かすものであっのなら、それは本来、あってはならない、歪んだ体制ということができます。
けれど千年以上続いた律令体制によって生まれたのは、平安時代の平和と繁栄、鎌倉時代の剛勇、室町の経済的繁栄、戦国時代の地方経済の発展、江戸時代の全国規模の平和と繁栄と民度の高さです。
現代人の目から見ると政治体制が、民衆による選挙ではなく、世襲によって行われていたという一点をもって、庶民の可能性を奪うものだと否定する人たちがいますが、これもまた大きな間違いです。
なぜなら世襲は、あくまでも「私を捨てる、責任を取る」ためのものであったからです。
殿上人であれ、殿様であれ、何かあったら責任を負うのです。
町奉行であれば、所轄内に不祥事があれば、その責任をとって腹を切ります。
大名であっても、藩内に不祥事があれば、藩はお取り潰しになり、大名は切腹です。
そして自ら腹を切るという行為は、生まれたときから、そうしなければならないという教育を徹底して施され、また代々、そのことを名誉と考える血統がなければ、なかなかできることではないのです。
その証拠に、現代政治において、現実に腹を召した政治家は、誰一人いません。
古代の律令体制を、ただ古いものだからいけないものだったとか、あたかも不出来なものであったように考えて、ただやみくもに否定する人たちがいます。
しかし、たとえば企業の支店の経営なら、支店長が代わって3ヶ月経つと、だいたいその支店の業績結果の傾向がはっきりと現れ、半年経つとその成果業績ははっきりとした数字になって現れます。
つまり支店長が代わって半年経って、支店の業績が下降傾向となるなら、その支店は、その後は何年経っても、業績は下がる一方となります。
逆に上昇傾向なら、その支店の業績は、その後3年間、上がり続けます。
このことは、部下に優秀な営業マンがいるとかいないとかの問題ではなく、要するにトップの力量による影響です。
同様に県や市町村でも、県長や市長が変わると、同じです。
国の場合は、国家全体の消費行動になりますので、もう少し時間がかかりますが、それでも3年経つと傾向が明らかに出始め、6年経つとその結果が明確に出るようになります。
トップというのは、それだけ責任が重いものです。
にもかかわらず、責任を負わないトップ、あるいは責任を問えないような政治体制を、あたかも人類普遍の絶対の政治体制のように考えることはおかしなことです。
現実に、他所の国に原爆を二発も落として何十万人もの人を殺戮していながら、その責任を問えないような政治体制、あるいは国民を億単位で殺しまくっていながら、その殺人鬼を英雄として称えるような政治体制は、いわば周囲の正常な細胞を殺して自己の利益だけを図るガン細胞と同じで、20世紀の世界は、そんなガン細胞を、国民的英雄として讃えてきたわけです。
それこそ見直さなければならないことなのではないかと思います。
何でもかんでも古いものは良いという気はありません。
ただし「繁栄と継続は常にセットでなければならない」と思っています。
伊勢修養団の寺岡講師の受け売りですが、今月1千万の売上があっても、来月ゼロでは意味がないのです。
500万で良いから毎月継続させていく。
そしてその繁栄が、未来永劫続いていくことが大事です。
日本における神社など、千年以上もの昔からずっと繁栄が継続してきています。
なぜ継続するのか。
そのことを私たちはしっかりと考えていかなければならないのだと思います。
日本は3万年前の磨製石器の時代から神語りを語り継ぎ、1万4千年の縄文文化を築き、3千年の弥生時代を築き、およそ二千年の古代以降の政治体制を保持してきた国です。
それだけの長期間生き延びた体制というのは、それなりに尊重され、学び直されても良いものであるように思います。
民主主義や共産主義などは、世界に広がったとはいえ、まだたった300年に満たないものです。
※この記事は2018/9の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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