次回倭塾は7月17日(土)13時半から富岡八幡宮婚儀殿、テーマは「幻の極東共和国と古代の日本」です。
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英語ができないから、外国人とのコミュニケーションが取れないのではないのです。
日本人が日本を知らず、説明できないから、外国人とのコミュニケーションがとれないのです。

20190710 シラスとウシハク


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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。
先日、おかしなことを言うセンセイに出会いました。
そのセンセイは、
「江戸時代までの日本の農家には
 名字(苗字)がなかった」
と、このようにおっしゃる。
おっしゃることは、間違いではないのですが正解でもない。
しかもこのセンセイ、いろいろ聞いて行ったら、どうも、氏(うじ)と姓(かばね)と名字・・・つまり我が国の氏姓制度をずいぶんと混同していらっしゃるようです。
氏姓制度は歴史が古いだけに、時代とともに様々に変遷していますが、ものすごく簡単にまとめると次のようになります。
「氏(うじ)」 =同じ人を祖先に持つ血族集団(桓武平氏・清和源氏など)
「姓(かばね)」=朝廷から与えられた官職(朝臣(あそん)・宿禰(すくね)・連(むらじ)など)
「名字・苗字」 =土地や目印となる施設などによって分類したラストネーム
ですから織田信長であれば、本当は
「平 朝臣 織田 上総介 三郎 信長」が正しい名前です。
ひとつひとつみていくと、
「平(たいら)」 = 血族集団を示す「氏(うじ)」
「朝臣(あそん)」= 朝廷からいただいた名誉称号
「織田(おだ)」 = 住まいのある地域を示す名字(苗字)
「上総介(かずさのすけ)」=役職名を示す官位
「三郎(さぶろう)」=通常時に使用する名前としての字(あざな)
「信長(のぶなが)」=通常は隠しておく本名としての諱(いみな)
という構成になります。
けれど、これを毎回全部読み上げていたら、落語の「じゅげむ」ではないけれど、あまりに長くて使いづらい。
そこで通常は、
一般の人は「上総介殿(かずさのすけどの)」と呼ぶし、親などは「おい、三郎!」てな具合に呼んだわけです。
では、農家の場合はどうなのかというと、命があって、いま生きているということは、当然、ご先祖があるわけで、そのご先祖も、20代もさかのぼれば、日本全国、みんな血がつながってしまいます。(※)
※人が生まれてくるためには、必ず父1名、母1名の都合2名が必要です。その父母が生まれてくるためには、父方の父母(祖父母)、母方の父母(祖父母)の、計4名が必要です。さらにその4人の祖父母が生まれるためには8人の曾祖父母、その人達がうまれてくるためには16人の高祖父母と、2のn乗分の祖先が必要になります。
一代はおよそ25年で、百年で4代が入れ替わりますが、500年(20代)さかのぼると、祖先の数は100万人、23代さかのぼると、当時の日本の人口と等しくなり、さらにそれ以上にさかのぼると、日本人が全員、どこかでご先祖がかぶっていないと、今の人口にならなくなります。
そんななかで、農家の場合は、おおむねその土地で一生を送ることになりましたから、これまた同族集団となり、その同族は、天皇家の血筋、八百万の神々の血筋、藤原家の血筋、平家の血筋、源氏の血筋などに収斂されることになります。
ですが、日本全国が、藤原氏か平氏か源氏というのでは、同姓同名ばかりになってわかりずらい。
そこで、苗字が使われるようになるわけです。
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この苗字は、たとえば上州新田郡(じょうしゅうにったごおり)であれば、新田さんを名乗ったり、あるいは、新田郡の中の川上や、川下、田んぼの北側や南側といったことで、さらに細分化されて、川上さん、川下さん、北側さん、南さんといったように、さらに細かな苗字が作成されるようになりました。
江戸時代には、寺請制度といって、お寺が戸籍や住民登録の管理をしていたのですが、お寺としては、お寺近くの北田、南田、東田、西田、中田というように分類して、その北田の五兵衛さん、花子さん、といったように記帳をしていたわけです。
ちなみにこの寺請制度というのは、ある意味たいへん合理的なシステムです。
なぜなら菩提寺でなければお葬式をあげてはいけない。
人の致死率は100%ですから、これで住民台帳の管理が完璧にできるわけです。
こうした寺請制度が崩れたのが明治のはじめです。
明治新政府は極端な廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)政策を行い、お寺を不要なものとした挙げ句、それまでお寺がやっていた住民台帳の管理を役所が代行するようにしました。
今も続くお役所の住民課の仕事は、こうして明治のはじめに生まれたわけです。
この「役所で住民台帳を管理する」ということが行われたとき、あらためて、国民全員が、役所に名前を届けることになりました。
時は明治のはじめです。
四民平等の時代です。
ですからいまさら
「平(たいら)」 = 血族集団を示す「氏(うじ)」
「朝臣(あそん)」= 朝廷からいただいた名誉称号としての姓(かばね)
「織田(おだ)」 = 住まいのある地域等を示す名字(苗字)
「上総介(かずさのすけ)」=役職名を示す官位
「三郎(さぶろう)」=通常時に使用する名前としての字(あざな)
「信長(のぶなが)」=通常は隠しておく本名としての諱(いみな)
もないだろうということで、
「名字(苗字)」と、字(あざな)、または諱(いみな)だけで登記をすることになりました。
このとき、お寺では「千代田区内幸町の北田の五兵衛さん」と管理していたものを、
役所では、「千代田区役所が管理する千代田区内幸町の北田五兵衛さん」と管理することになりました。
つまり、ここで苗字が、あらためて名前の一部になったわけです。
このとき、田中さんに相当する苗字は、読みやすければ、あとは好きなように申告して構わないということになりました。
そこで町内をあげて、北田姓で登録したり、たまたま領主の名前が江藤だからみんなで江藤さんにしたり、小名木さんの領地だからと小名木姓にしたり、「いや、オラッチはもっとかっこいい苗字にしたいから」と、菅、安倍、福田を名乗ったりと様々な苗字が届けられて、いまに続くわけです。
ちなみにこのとき、血族集団を示す氏(うじ)や、名誉称号としての姓(かばね)が省かれたのは、四民平等によって、日本全国がひとつ屋根の下に暮らす、天皇の臣民とされたことによります。
つまり、我々が現代において、自分の名前を
 千代田内幸朝臣藤田家の住人北田五兵衛
(千代田区役所が管理する内幸町の町内の朝廷の臣下である朝臣の藤田家の住人の北田五兵衛)
と、長々と記述しなくても済むのは、
国民全員が天皇の臣下であって、いちいち朝臣とか宿禰とか記入しなくてよろしいということになったこと。
四民平等で、領主の名前をいちいち記入しなくてもよくなったこと。
そして千代田区内幸町までは、役所の名前で代行できるから、平素名乗るのは、北田五兵衛だけで良いということになったからです。
冒頭のセンセイのご意見の、「農家には名字(苗字)がなかった」というのは、何やら農家を差別でもしていたかのような印象を受けます。
名字(苗字)がなかったわけではなくて、これは町名などで一括されていたわけですし、名字とは別に農家には、ちゃんと氏(うじ)がありました。
それらが明治の制度改定によって、単に届け出された苗字に代替されたのです。
 *
戦後は、このように、微妙に表現を操作することで、あたかも古い時代の日本が、まるで半島のような身分社会であり、あたかも農家が差別でもされていたかのような印象操作が目立ちます。
とんでもない話です。
我が国は、神武創業の当初から、農家を国の柱とする稲作国家であり、国民全員が、国家最高権威である天皇によって「おほみたから」とされる、つまり世界の歴史では考えられないような高貴な身分を日本人全員が与えられていたという歴史を持つ国です。
そういう誇りある歴史を、私達自身が、まず取り戻す必要があります。
英語ができないから、外国人とのコミュニケーションが取れないのではないのです。
日本人が日本を知らず、説明できないから、外国人とのコミュニケーションがとれないのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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