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人類史を戦争史だという先生もおいでになります。
なるほど、そういう面はあったと思います。
日本にも戦争や戦乱の時代はありました。
けれど日本は、その根底において、縄文時代1万4千年の平和と繁栄の時代という基礎を持っています。
日本人は、元来、平和の民族なのです。
そしてその平和は、どこまでも、さまざまな異なる意味を「結んでいこう」というところに生まれている。
このことは、日本人として、とっても誇るべきことであると思います。

20210607 弊立神宮
画像出所=https://kumamoto.guide/spots/detail/11820
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。
よく「霊魂(れいこん)」とか「魂魄(こんぱく)」といった言い方をします。
ここでいう霊・魂・魄の違いを考えてみたいと思います。
「霊」という字は旧字が「靈」で、雨と口と巫から成り立ちます。
天から降りる雨と、両手で神々に祈りを捧げる巫という字の間に複数の口が入ることで、優れて神妙な様子を現し、そこからあらゆる神聖を意味する字となりました。
この字の訓読みが「たま」で、日本人が持つ「たま」に、古代の人々はこの漢字を当てたわけです。
大和言葉は一字一音一義ですが、「たま」の「た」は新たなものが生みでることや場所、「ま」は入れ物のことを言います(カタカムナ)。
つまり入れ物である肉体から離れた霊(ひ)が「たま」で、その「たま」に神聖を意味する「霊」という字が当てられたわけです。
「魂」は、湯気を意味する「云」と骸骨を意味する「鬼」の組み合わせで、もやっとした精気を意味する漢字です。
訓読みは「たましい」で、大和言葉では、
 た 新たに生まれる生命
 ま 入れ物
 し 止める
 い 大切
以上から「たましい」は、「大切に止めた生命の本体」といった意味になります。
ここでも魂が本体、肉体はその入れ物に過ぎないという縄文以来の思考が働いているわけです。
「魄」は、白の部分が光を意味します。鬼は骸骨ですから、骸骨から放たれる光、というわけで、肉体に備わる霊性を意味します。魂と魄の違いは、魂があらゆる霊性、つまり多数の霊性を総合して述べている漢字であるのに対し、魄はその人のもつ生命(霊(ひ))を意味するという違いがあるわけです。
もっと簡単にいうなら、みんなの魂と、俺の魂(魄)の違いです。
訓読みは魂と同じ「たましい」ですから、もともと大和民族は縄文時代から自分の魂と他の人々の魂を区別したり差別したりするという思考がなかったことを意味します。
用語がないということは、それについての思想がないことを意味します。
日本語では魂と魄の双方に、「たましい」という同じ訓読みしか存在していないとうことは、日本人は古来「自分と他人との境界を設けていない」ということです。
同時に、おなじ「たましい」であっても、漢字を用いるときには「霊魂魄」と、異なる文字を用いる。
これは、同音異義語ではなく、いわば「同意異字語」とでもいうべき、ひとつの文化であろうと思います。
もちろん世の中に「同意異字語」という言葉はありません。
言葉がないということは、そのようなことをば創る必要さえも、誰も感じていなかったということでもあります。
それだけ日本文化は、様々なものを結び、一体化させ、共存させ、共栄するという文化性を持つのです。
これはすごいことだと思います。
人類史を戦争史だという先生もおいでになります。
なるほど、そういう面はあったと思います。
日本にも戦争や戦乱の時代はありました。
けれど日本は、その根底において、縄文時代1万4千年の平和と繁栄の時代という基礎を持っています。
日本人は、元来、平和の民族なのです。
そしてその平和は、どこまでも、さまざまな異なる意味を「結んでいこう」というところに生まれている。
このことは、日本人として、とっても誇るべきことであると思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
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