| 日本は、あらゆる意味で世界の最先端になければならない国です。 それは理系の最先端工学ばかりではありません。文系における理念や新事実の認知や、新しい学説の研究などが本来、盛んに行われなくてはならない。日本の大学が、世界ランキングで常にトップに立つくらいでなければ、日本が世界の学問や学説が世界のトップに立つことはないのです。 その国の経済や、その国の発展は、その国の教育レベルと比例します。 バカでは世界に通用しないのです。 |

画像出所=https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2021/world-ranking#!/page/0/length/25/sort_by/rank/sort_order/asc/cols/stats
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小名木善行です。
その国の経済や、その国の発展は、その国の教育レベルと比例します。
バカでは世界に通用しないのです。
あたりまえのことです。
世界の大学ランキングというものがあります。
日本の大学は、戦前は世界のトップクラスの学問の府でしたが、いまではチャイナの清華大学や、北京大学、シンガポール国立大学にさえ抜かれ、東大がようやく36位。
京大になると、香港大学にも大きく水を空けられ、大学は香港中華大学や香港科学技術大学、ソウル大学、韓国科学技術大学、台湾大学、 成均館大学(韓国)、南京大学、香港市立大学、香港工科大学、浦項科学技術大学(韓国)、高麗大学(韓国)、サウジアラビアのアルファイサル大学、マカオ大学、北京師範大学にも抜かれて、ようやく理系の東京工科大学が、世界第300位代に登場します。
世界ランキングの東京工科大学のクラスには、米国のテンプル大学や、テキサス大学のダラス校、武漢大学などが位置していますが、日本の他の大学は、これら大学よりも、さらに低い水準しかないと、世界から見られているわけです。
まったくもってなさけない次第です。
江戸時代には、日本の教育水準は世界のトップレベルであったとされています。
だから日本は明治の大改革を成し遂げたし、世界の一流国家の仲間入りができるようになったのです。
いま、日本の大学が、世界の平均レベルにもはるかに満たないということは、日本は文部科学省という省庁を国の機関として持っていながら、そこで行われている教育が世界の進運に、はるかに追いついていないことを示します。
▼世界の大学ランキング
https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2021/world-ranking#!/page/0/length/25/sort_by/rank/sort_order/asc/cols/stats
円周率といえば、小学校時代なら3.14で計算するし、中学生くらいからは「π(パイ)」を用いて代数で計算するようになります。
円周率の計算は、建設現場等においてきわめて重要になることから、古いものでは紀元前17~19世紀の古代バビロニアの粘土板から、円周率として3.125が使われていたことが明らかになっています。
いまではコンピューターを駆使して、小数点以下10兆桁まで計算されるようになった円周率ですが、18世紀から19世紀にかけて、世界では円周率の答えを求めて大いに競争が行われました。
1595年には、ドイツのルドルフ・ファン・コーレンは、325億角形を用いることで、小数点以下第35位までの答えを出しました。
1699年には、フランスのエイブラハム・シャープが小数点以下第127位までの答えを出しました。
また1873年には、イギリスのウイリアム・シャンクスが小数点以下第527位までの答えを出しました。
日本では、1663年に播州赤穂藩の村松茂清が、小数点以下21桁まで算出し、以後、日本全国で円周率に3.14が用いられるようになりました。
この村松茂清の息子が村松秀直(村松喜兵衛)で、息子の村松三太夫とともに、赤穂浪士の討ち入りに参加しています。
赤穂藩は山鹿素行の皇室重視の皇国史観を藩の教育の軸にしたことでも知られますが、同時に和算の分野でも、たいへんに先進的な教育藩であったのです。
そしてそれだけの教育藩であったからこそ、赤穂浪士の討ち入りのような、世に先駆けた事件を起こしています。
赤穂浪士の討ち入りといえば、なにやら若殿様が爺さんにイジメられてキレて刃傷沙汰を起こして切腹させられたので、大石内蔵助以下家臣一同がその殿様の仇討ちをしたように言われています。
大間違いです。
簡単にキレて、我慢することができないような殿様であれば、主君押込(しゅくんおしこめ)といって、藩内で家臣たちが殿様を再教育するのが江戸時代の武家のしきたりです。
まして、キレてやってはならないことをしてしまうような殿様が、結果として切腹に至ったからといって、それで復讐をするなど、もってのほかだというのが、江戸時代の武士の常識です。
そうではなくて、赤穂藩は山鹿素行の皇室尊崇教育を徹底した藩であり、室町以来の天皇より将軍が上座というならわしが許せなかったから、藩主の浅野内匠頭は怒ったのだし、その主君の思いを何とか実現しようと、赤穂の浪士たちは頑張ったのです。
要するに赤穂藩の藩士たちの知的レベルが高かったからこそ、吉良邸討ち入りという事件は起こったし、そうした赤穂藩の忠臣たちの血筋の者を、全国の諸藩がこぞってその後に召し抱えようとしたのです。
このことが意味することは、赤穂藩に限らず、全国のどの藩も、きわめて高い教育レベルを持っていたということです。
ところが、こうした「教育をもって国の柱と為す」という考え方は、実は、王権絶対の支配、被支配の関係のなかでは、なかなか成立しにくいものです。
なぜなら教育は、常に先の学説からの発展があるからです。
どういうことかというと、ひとつの論というものは、その論が出た時点で、それは過去のものとなってしまうのです。
つまりそこが起点となって、さらにそこから深化することが求められる。
たとえば円周率なら、小数点以下第35位までの答えを誰かが導けば、まずはそれが正しいかどうか、様々な学者たちによって検証されます。
先に述たイギリスのウィリアム・シャンクスは、実は小数点以下第707位までの答えを出しています。
けれど、出たその途端、世界中の数学形によって、その計算結果が検証され、結果、正しいのは小数点以下第527位までであり、それ以降のシャンクスの計算は間違っていることが判明したのです。
そして世界の数学者たちは、さらに527桁以下の正しい答えを求めて、競争をすることになる。
かように、ひとつの説が、さまざまな人達によって検証され、さらにその説を元にして、そこから次のステップへと研究が深化していく、それが学問の世界です。
そしてこの深化は、もしかするとそれまでの研究成果の一切を否定することになるかもしれない。
国家は理念によって成立します。
しかし、学問は、ときにこの理念までをも、まるごとひっくり返してしまうことがあります。
ですから権力を第一とするウシハク国では、学問を権威にします。
つまり、一切の反論を許さない学会システムを築いてしまうのです。
たとえばシャンクスの小数点以下第707位までの答えを国王が認めれば、それが権威による裏付けとなります。
すると実際に正しかったのは527位まででしかなくて、それ以降は計算間違いでしたとなれば国王の権威に傷がつく。
こうなると、人々は間違っていると知りながら、間違いのままに生活しなければならなくなるわけです。
これは、人々にとっても学問にとっても不幸なことです。
つまり学問は、権威ではなく、分野に関わらず常に自由でなければならないということです。
そして学問の自由のあるところにこそ、学問は発展するし、また切磋琢磨が起こるわけです。
江戸時代の日本がおもしろいのは、学問を権威にしなかった、ということです。
学問は権威ではなく、どこまでも経世済民のためにある、というのが江戸時代の思想です。
権威や権力は、その学問を保護するためだけにある。
なぜ保護するのかといえば、それが「経世済民のため」になるからです。
戦後の、特に文系における大学の間違いがここにあります。
政府は大学に補助金を出して学会を保護してますが、その学会は権力機構になっています。
そして学会の権威を護るために、あらゆる異説・新説は無視されます。
その典型が、戦後の学会を構成する自虐史観です。
こうなると自浄作用は働かないし、学問の進歩も深化もなくなります。
日本は、あらゆる意味で世界の最先端になければならない国です。
それは理系の最先端工学ばかりではありません。
文系における理念や新事実の認知や、新しい学説の研究などが本来、盛んに行われなくてはならない。
日本の大学が、世界ランキングで常にトップに立つくらいでなければ、日本が世界の学問や学説が世界のトップに立つことはないのです。
その国の経済や、その国の発展は、その国の教育レベルと比例します。
バカでは世界に通用しないのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。

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