| 台風は毎年必ずやってきます。やってくるとわかっているのに、毎度、やってきてから「たいへんだ、たいへんだ」と大騒ぎする。それって知的といえるのでしょうか。 人は台風の発生そのものを防ぐことはできません。しかし台風によって生じる水害や風害は、日頃から対策さえきちんとしていれば、相当まで安全を確保することができる。世の中は平時ばかりではないのです。いざというときのための備えがものを言うのです。 |

画像出所=https://news.1242.com/article/187167
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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。
4年前の2016年9月にも『水害は人災です』という記事を当ブログで書かせていただきました。
この記事を書いたときにやってきてたいへんな被害をもたらした台風が、今回と同じ「台風10号」です。
そしてこのときの台風10号も、東北・北海道を中心にたいへんな災害をもたらしました。
被災された皆様には、心からのお見舞いを申し上げます。
その上で、河川の氾濫による水害は、
あえて「人災」と呼ばせていただきたいと思います。
また、このことは繰り返し申し上げさせていただきたいと思っています。
なぜなら、台風は、毎年やってくるものなのです。
先日、テレビの報道で、今年(2020年)の台風10号は、伊勢湾台風に匹敵する超大型台風であると言っていました。
理由は、伊勢湾台風の上陸時点の中心気圧が929ヘクトパスカルで、今回の台風10号は現時点の中心気圧が925ヘクトパスカルだからだ、というものなのですが、これはものすごく悪質な数字のトリックです。
といいますのは、台風の大きさを示すヘクトパスカルは、
(1) その台風が発生してから消滅するまでの間の最低気圧と
(2) 上陸時点の最低気圧
を言う場合があります。
たとえば伊勢湾台風なら、
(1)は894ヘクトパスカルだったし、
(2)なら929ヘクトパスカルです。
今回の台風10号は、現時点(太平洋上)にある時点での最低気圧が925ヘクトパスカルです。
ということは、上陸時点では、おそらく940〜950ヘクトパスカル程度になります。
つまりこの報道は、伊勢湾台風の「上陸時点」の気圧と、今年の台風10号の「太平洋上での、おそらくこの台風が消滅するまでの間の最低気圧」という、まったく場違いな数字を引き合いに出して、「たいへんだ、たいへんだ」と世間を扇動しているだけのものに他ならないということです。
もうすこし、誠意ある誠実な報道を心がけてもらいたいものだと思います。
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ただ、いずれにしても、台風は、やってくれば必ず全国各地に甚大な被害をもたらします。
これは必ず、毎年起きることです。
そして昨今では、夏場の気温の上昇から、太平洋上の海水温が上昇傾向にあり、こうなるといきおい、台風が大型化し、一昔前なら数十年に一度の大型台風が、いまでは2〜3年ごとにやってくるという状況に至っているわけです。
これは事前にわかっていることなのです。
そうであれば、日本列島で暮らす以上、常日頃から、台風対策をきちんと施しておく。
喉元すぎれば・・・ではいけないのです。
人は、台風の発生そのものを防ぐことはできません。
しかし、台風によって生じる水害や風害は、日頃から対策さえきちんとしていれば、相当までは防げるものです。
たとえば埼玉県の、さいたま市、川口市、越谷市、草加市、春日部市、杉戸町などは、土地の低いところです。
ここはもともとは東関東海といって、縄文時代まで海だったところです。
土地が低く、江戸時代までは、荒川や江戸川、利根川の洪水によって、江戸の町が水没することを防ぐために、大水が出た時には、意図的に埼玉側に水を氾濫させて、そちらを水浸しにすることによって、江戸の町の水没を防ぐという洪水対策が採られたりもしていました。
いまでこそ、この一帯は住宅の密集する都会部となっていますが、もともとは、水に弱い土地だったのです。
このため昭和22年のカスリーン台風のときや、昭和41年の台風26号のときには、県内のほとんどの家屋が1Fがまるごと水没するという被害に遭いました。
私がいま住んでいるところでも、川から氾濫した水は、ほぼ二階の床くらいまでの高さにまで至っています。
また草加市の松原団地では、昭和50年台ころまでは、台風のたびごとに1Fが床上浸水するのが、毎年の恒例行事でした。
越谷市には、上間久里(かみまくり)、下間久里(しもまくり)という地名がありますが、これは台風がやってくると、そのあたり一帯は、上間久里では着物の裾を膝の上まで、下間久里では膝下の着物の裾をまくらないと歩けなくなる。
だから、このような地名が付いています。
こうした状況でしたから、国も県も本気を出して災害対策に取り組み、国道16号線の下に東京外郭放水路を築き、また堤防の高さと形状を抜本的に見直し、しかも毎日、その堤防の情況について、保守点検員の国土交通省の職員が、毎日数十キロ、堤防の土手の上を自転車で走りながら堤防の保守点検を行い(これは本当に毎日行われています)、また、特に水没しやすいところには、地下に大きな貯水池を造って、絶対に、二度と洪水が起きないように、対策を講じるようになりました。
その結果、すくなくとも東京外郭放水路ができてから以降、下水の処理能力不足による部分的な水害(はあるものの、河川の氾濫等による大規模な水害は、いまではまったくおこらないし、500ミリを超える大雨が降った時も、東京外郭放水路は、わずか50%に満たない貯水稼働で、被害を封じ込めることに成功しています。
つまり、人の知恵と努力によって、水害は防げるものなのです。
ところが、こうした工事にはたいへんな巨額の資金が動きます。
そうなると、その工事利権に群がる馬鹿者たちがうごめきはじめます。
これはチャイナの三峡ダムと同じです。
本来の目的を離れて、ただ工事を理由に、そこから巨額のお金を抜き取ってフトコロに入れる。
そういう連中のことを、隠語で「ガンボ」と言うのだそうで、「ガっぽりボろもうけする」から「ガンボ」なのだそうですが、要するにカネさえ儲かれば、災害対策などどうだっていいという考え方の延長線上に、こうした馬鹿者たちが生まれるわけです。
これが何を意味しているかというと、そういう人たちは、災害のない国からやってきた人たちである、ということです。
経験がないからわからないし、日本に住んで水害などを経験しても、だからといって水害対策が現実にデキるものであるとも考えない。
ひたすら、いま自分が儲かればそれで良いと考えます。
これに対し日本人は、転ばぬ先の杖であり、水害が起きるとわかっているなら、いつ台風がやってきても大丈夫なように日頃から備えるし、たとえ被害が起きたとしても、そこから一日も早く復興ができるように日頃から工夫をこらそうとします。
河川には、日本全国、どこにも巨大で立派な堤防が造られています。
あの堤防のほとんどは、まだ土木用重機などなかった明治以前に、人力で築かれたものです。
そして、こうした大規模土木工事には、手抜きは許されません。
なぜなら、どこか一箇所でも手抜きがあれば、そこから堤防が決壊するからです。
誰も見ていなくても、誠実の限りをつくす。
建設予算をいかにケチるかではなく、どれだけ誠実な工事が実現できるかに価値の尺度を置く。
談合制度は、そうした災害対策の経験から生まれた、きわめて日本的制度でもあったのです。
すくなくとも、談合においては、一度でも手抜き工事がバレた業者は、二度と公共工事の請負ができないとされてきたのです。
いくら値引きしても、ダメなものはダメ。
あたりまえのことです。
思うに、戦後の傾向として、政治や行政に携わる人たちは、その職員たちが、ほんとうに真面目に市民のためにという思いで仕事をされている方がほとんどである一方で、上位に立つ人たちは、ひたすら自分だけの利権や役得を追い求めるばかり、要するに自分の懐を肥やすことにのみいそがしくするばかりで、肝心の市民、県民の生活がどうなるかなど、ほとんど「知ったこっちゃない」という傾向があるような気がしてなりません。
そもそも日本は、災害対策国家です。
そのために人々が寄り集まり、知恵を尽くして形成してきたから、農業国家になり、和の国日本になった国です。
ですから災害対策のために公共工事はどんどん行われるべきものです。
私達はそうしなければ生きていくことができない国土の上に生活しています。
人々がお金(昔はお米)を出し合って、災害対策のために万全の備えをする。
お米が年貢になったのもそのためです。
お米は冷蔵庫がなくても3年、備蓄できるからです。
こうして人々は飢饉を克服し、さらに水害や火災、津波や地震などに日頃から備え、またいざというとき、何よりもものを言うのは、人と人との助け合いだから、日頃から近隣のみんなが仲良く暮らせる国を形成したのです。
他所の国では、税は王侯貴族が贅沢をするためでしたが、わが国では、武士は大名から下級の俸禄武士まで、みんな借金まみれでした。
税というものに関する考え方が、他所の国と日本では、180度違うのです。
またいざというときのために、人足さんたちを豊富に抱えておくことも、社会の仕組みとして必要なことです。
ですから公共工事は談合によって、業者の利益が十二分に確保され、競争は工事の質で勝負する、という社会制度が敷かれていました。
ところが半世紀前に談合が外圧によって否定され、犯罪扱いされるようになりました。
私は逆だと思っています。
談合を犯罪扱いするという犯罪が日本で行われたのです。
談合がご禁制となり、競争が工事の質ではなく、いたずらな価格競争となり、結果、社会の多くの人びとの職が奪われ、長年の経験を持つ一流の大工さんよりも、コンビニでバイトをしている学生の娘の方が月収も年収も多いなどという、おかしな社会現象が生まれ、結果、社会全体が貧困化し、ごく一握りの「上に立つ」人たちだけが、政治利権と裏金で、贅沢三昧な暮らしを手に入れている。
そんな社会は間違っていると思います。
しかもそんな社会は、かつての日本にはありえなかった姿です。
日本はいまや、まるでどっかの国と同じになろうとしています。
政治を変えるのは、政治家ではありません。
国民です。
民度があがれば、政治の質もあがる。
民度の低い馬鹿な国民は、馬鹿な政治しか持つことができないのです。
いまの日本は、政治とメディアと国民の三者が一体となって、民度を下げ続けているかのようです。
神々は台風などの災害を通じて私たち日本人に、「そのことに気づきなさい」とメッセージを発せられておいでなのかもしれません。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。

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