| 最近よく耳にする言葉に、「二極化」という言葉があります。「世界は二極化が加速しているので、その流れに乗り遅れないようにしなければならない」などと使われます。耳にしたり目にされた方も多いかと思います。そういう見方もあるかと思います。 けれど、そうおっしゃられている方々の話をよく聞くと、その二極というのは、米中の二極というだけでなく、 富者と貧者の二極化、メディアと目覚めた日本人(つまり情弱と情強)の二極化、既存の権力と新たな改革を求める人々との二極化、目覚めた人と目覚めないで眠ったままの人との二極化等々と、二極化の切り口が、実に多様性に富んでいることに気付かされます。 つまり「二極化が進んでいる」と仰られる方々自身が、実は世の中が多極化・多様化していることを、暗に認めてしまっています。 |

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歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行です。
最近よく耳にする言葉に、「二極化」という言葉があります。「世界は二極化が加速しているので、その流れに乗り遅れないようにしなければならない」などと使われます。耳にしたり目にされた方も多いかと思います。
そういう見方もあるかと思います。
けれど、そうおっしゃられている方々の話をよく聞くと、その二極というのは、
米中の二極というだけでなく、
富者と貧者の二極化、
メディアと目覚めた日本人(つまり情弱と情強)の二極化、
既存の権力と新たな改革を求める人々との二極化、
目覚めた人と目覚めないで眠ったままの人との二極化等々と、
二極化の切り口が、実に多様性に富んでいることに気付かされます。
つまり「二極化が進んでいる」と仰られる方々自身が、実は世の中が多極化・多様化していることを、暗に認めてしまっています。
「神によって選ばれた者だけが次元上昇する」などという話もあります。
しかし、すべての人がこの世に生を受けているのです。
人々というのは「赤ちゃんの肉体の細胞と同じ」というのが、古事記の思想です。
赤ちゃんの肉体の一部だけが、この世から消えてなくなるのでしょうか。
そんなことはないと思います。
人の肉体は魂の乗り物です。
人が死ぬということは、その肉体から魂が離れるということ、だからこれを逝去(せいきょ)と言います。
「逝」というのは、分離して離れていくことです。
そしてこのことは、蝶がサナギから羽化して蝶になるのに似ています。
あるいはセミがサナギを脱ぎ捨てて大空へと舞っていくことにも似ています。
そういう意味からすると、「神によって選ばれた者だけが次元上昇する」ということは、言い方を変えれば「神によって選ばれた者だけが逝去することができる」というに等しい。
ということは、選ばれなかった者は、永遠の生命を得るのでしょうか。
世の中は多様化しています。
そしてその多様化の流れは、すべてにおいて、右か左か、上か下かといった二極ではなく、すべて分布に従うものであると思います。
そしてよく言われる次元上昇というのは、四次元が五次元になるとか、時間や空間を自在に行き来できるようになるといった話ではなく、多様化が認められる社会へと、世の中が大きく変化する、ということなのであろうと思っています。
多様化社会というのは、従来の秩序感では、なかなかわかりにくいものです。
たとえば会社組織はピラミッド型に例えられますが、昭和型の上意下達だけでは、平成世代は付いてこれなくなっています。
ひとつの価値観だけでは、現代に対応できなくなっているからです。
昭和型組織であったとしても、社の重要な意思決定は役員会の合議によっていたものと思います。
では、すべての社員が役員と同じであったとするならば、その組織はどのようなものであるでしょう。
それが高天原の組織体制です。
これは例えていえば、ミラーボールのような球面であるといえます。
球体には、中心核があります。これが天照大御神(あるいは天之御中主神)です。
そしてすべてのミラーは、中心核から当距離にあります。
ミラーボールの表面に中心点はありません。
球体の表面では、全方位のすべてが中心となりえます。
球面のどこをつまんでも、そこが中心です。
これと同様に、すべての人が、それぞれの役割の中で、主役となって自分の人生を生きる。
これが球面構造であり、別な言い方をすると、多極化であり、日本の古い言い方ですと、ここにあるのが八百万の神々です。
これを古い大和言葉で「シラス」と言います。
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八百万の神々は、そのお一柱ごとに、それぞれ異なった役割があり、その分野では、それぞれの神々が第一人者です。
これまでの世界は、およそ2千年の長きにわたって、一極型です。
いや、もっと古く、シュメールやエジプト文明から、現代に至るまでのすべての国の王朝、あるいは現代における国家の構造も、一極型です。
ですから組織(その最大単位が国ですが)は、トップに立つ人の意向で、いかようにも変化します。
とりわけ王権時代においては、王は、神から神の代理人としての権限を与えられていると考えられてきました。
絶対権だったからです。
王権の根拠が神から与えられたものならば、その神は唯一絶対神でなければなりません。
「いやあ、他にも神様はおいでになりますよ」
などと言い出されたら、王権が崩壊してしまうからです。
だからすべての権力は、王に一極集中します。
王国のキングも、帝国のエンペラーも同じです。
だから王も皇帝も、命令をすることができます。
このことは、実は、国民によって選ばれたとされる大統領や書記長、総理大臣であっても同じです。
政治権力には必ず頂点があり、その頂点の意向によって、国の形が変わるのです。
大統領は、その就任時に神よる大統領就任の儀式が行われます。
このことは、新しい王が戴冠するときも同じです。
大統領も国王も、等しく国家最高の権力者ですが、その権力には、かならず権力を委ねる権威が必要だからです。
我が国の天皇は、西洋的価値観でいう、王でもなければエンペラーでもありません。
なぜなら天皇は国家最高権力者ではないからです。
天皇は、国家最高の権威であらせられます。
そして現代日本では、国家最高権力は、国会、内閣、裁判所に三権分立していますが、それぞれの長官にその権力を授けるのは、天皇のお役目です。
つまり天皇は、国家最高の権威である、ということです。
その国家最高権威のもとに、すべての民衆(これを臣民といいます)があります。
そして臣民は、「おほみたから」です。
たとえば我が国の律令体制において、太政大臣は国家最高の権力者ですが、ウチの畑に何を植えるかは、ウチの家族の決定事項です。
田畑の手入れが家の男たちの役割なら、その男たちのお昼のお弁当を作って運ぶのは女たちの仕事です。
この場合、男たちに弁当の選択権はありません。
女たちが作ってくれたお弁当を、おいしくいただくだけです。
すべては役割分担なのです。
日本は、天皇という球体の中心角を持つ、球体構造の国です。
それを無理して、球体の表面に三角形の組織図を描こうとするから、わからなくなります。
臣民はすべて球体の表面にあります。
その球体の表面にある臣民は、それぞれの役割を自覚し、その役割を果たします。
すると、その役割においては、その人は球面のトップの地位にあることになります。
実はこのことが、新しい時代の球体構造型社会です。
球体の表面に上下も左右もなく、常に面しているところがトップなのです。
このことは球体の表面に、三角形のピラミッドを書いてみたらわかります。
球体の表面では、ピラミッド構造が、何の意味も持たなくなるのです。
上を頂点として、その下に右と左を持つ三角形だったとします。
紙の上なら、それは見事な三角形だし、上が頂点です。
けれど球面上では、玉を転がすと、右と書いたところが頂点になったり、左と書いたところが頂点です。
おそらくこのことが、従来の平面上の上下関係の秩序という固定観念に縛られた頭では、多様化とか多極化、あるいは(たくさんの)二極化というように見えてしまうのだと思います。
数年前から、古事記がものすごく注目されるようになりましたが、それは単に1300年祭だったからということだけでなく、実は、古事記の知恵が、新しい時代をひらく鍵となっていたからであったからだともいえます。
球面体の表面のすべてが、その分野やポジションにおける主役です。
これが八百万の神々という思想です。
ひとりひとりが神であるということは、すべての人がかがやくということです。
どうすればかがやくことができるのかといえば、答えは簡単です。
それぞれの人が、いまいるポジションで、周囲の人たちと力を合わせて全力を尽くすことです。
これを「中今(なかいま)に生きる」と言います。
日本の神道の根幹にある考え方です。
神道は「言挙(ことあ)げせず」と言いますが、それは神道が、神官が偉いという思考を持たないからです。
誰もがかがやくべき存在なのだという、球体構造の考え方が根幹にあるからです。
これが日本精神です。
その日本精神のことを、戦前は国民精神と呼びました。
いまの時代なら「アイデンティティ」です。
世界はこれから球面化へと向かいます。
けれどそのためには、中心核となる核心が要ります。
人々がそれに気づくまで、世界は様々な二極化があるとする錯覚が広がり続けます。
そして世界の人々が、球体を理解するようになったとき、人類社会は新しい時代を迎えます。
それが、いわゆる次元上昇であろうと思います。
つまり次元上昇に最も近い位置にあるのは、私達日本人です。
次元上昇したいのなら、何もむつかしいことはありません。
日本人であることを自覚し、天皇の御存在のありがたさを、みずからの魂で感じ取るだけです。
それだけで、自分を取り巻く世間が変わり、日本が変わり、世界が変わります。
お読みいただき、ありがとうございました。
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに
小名木善行でした。

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