◎関西講演(場所:羽曳野市)2020/8/1(土)13;00〜15:30
誇りある日本の歴史と日中問題の根底にあるものについてのお話しです。
詳細はコチラ→https://www.facebook.com/events/2662876587147043/
| 私たちは、時代の大きな端境期にいます。 未来は必ず良くなります。 そして良い未来には、よい心がけが絶対に必要だと思います。 |

画像出所=http://kagayaki56.blogspot.com/2018/05/1246-15-50.html
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昔、江戸に「のっそり十兵衛」という大工さんがいました。
口は下手だし、無愛想。けれど大工の腕は超がつくほど一流です。
その十兵衛さんのもとに、ある日、谷中のお寺さんが五重塔を建立するという話が飛び込んできました。
一生に一度、あるかないかの大仕事です。
十兵衛は、是非ともその仕事を自分の手でやり遂げたいと願い、お寺の上人さんに会いに行きました。
ところが、ここに困った問題が起こりました。
五重塔の建立は、日頃から寺の普請を請け負っている川越の源太という大工に、すでに話を通してあるというのです。
源太は、十兵衛の兄弟子です。
風格もあり人望もある。
しかも一流の大工です。
十兵衛も、日頃からなにかとお世話になっています。
源太を裏切ることはできないのです。
さりとて五重塔の仕事は、なんとしても自分の手でやり遂げてみたい。
葛藤の中で、十兵衛の妻のお浪も、真剣に悩み苦しみます。
一方、お寺の上人さんも、十兵衛の持参した五重塔の模型をみて、その見事な腕前にぞっこん惚れ込んでしまう。
技術も塔の建立への情熱も、源太、十兵衛とも、両方ともとびきりの一流です。
上人さんは、ある日、寺に源太を呼びました。
そして、どちらが仕事をするか、二人で話し合って決めるように話します。
| 《塾・講演等の日程》 どなたでもご参加いただけます。 2020/7/25(土)13:30-16:30 第74回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿) https://www.facebook.com/events/1074216212960822/ 2020/8/1(土)13;00〜15:30 羽曳野講演(羽曳野市いずみの里 南島泉集会場) https://www.facebook.com/events/662947247910504/ 2020/8/15(土)靖国神社昇殿参拝 https://www.facebook.com/events/2667848776866935/ 2020/9/12(土)13:30-15:30 第75回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿) https://www.facebook.com/events/1140192956351381/ 2020/10/18(日)13:30-16:30 第76回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿) https://www.facebook.com/events/867036783780708/ 2020/11/15(日)13:00〜15:30 日本書紀出版記念(於:靖国会館) https://www.facebook.com/events/269322421064039/ 2020/12/19(土)13:30-16:30 第76回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿) https://www.facebook.com/events/337364737249840/ |
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人を容れる難しさと、それゆえの尊さを伝えようとする上人の思いやりを感じた源太は、十兵衛の家を訪ねます。
彼は職人の欲も、自分への不義理への怒りも捨てました。
そして、
「十兵衛、一緒に作ろう!」
と言いました。
お浪は涙を流して源太に感謝しました。
けれど、十兵衛は無愛想にも、その提案を断ってしまいます。
「せっかく源太さんが来てくれて
一緒にやろうと申し出てくれているのに、
あんたのその態度は何ですか!」
と問いつめるお浪に、十兵衛は、
「うるさい!だまれ!」と大声を張り上げて、奥に引っ込んでしまう始末でした。
十兵衛にとっては、自分が作るか、作らないかの、どちらかしかなかったのです。
さて、このお話しの続きはどうなるか。
五重塔は、完成しました。
それは、嵐がきてもびくともしない塔でした。
はたしてその建立をしたのは十兵衛だったのか、源太だったのか。
続きが気になるところですが、実はこの物語、幸田露伴の書いた「五重塔」という小説の前半部分のあらすじです。
いまは青空文庫で、ネットからも読むことができます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000051/files/50351_36759.html
幸田露伴といえば、明治中期から昭和初期にかけて数々の名作を産み出した小説家で、帝国学士院会員。帝国芸術院会員であり、第一回文化勲章の受章者、娘の幸田文も随筆家・小説家として有名な人です。
生まれは慶応3(1867)年で、江戸の下谷三枚橋横町といいますからいまの東京都台東区です。
上に、名を成忠(しげただ)という7つ年上の兄貴がいます。
この兄貴は幼いころに郡司家に養子に行ったので、名は郡司成忠(ぐんじしげただ)といいます。
実は、この兄貴の郡司成忠が、日本の海軍軍人としてはじめて千島列島に渡り、その開拓をした人です。
彼はあらゆる艱難辛苦を乗り越えて、千島列島最北端の占守島(シュムシュ島)にまで入植し、そこで測量と漁場の開拓を行ないました。
おかげで日露戦争に勝った日本は、ロシアから千島列島を日本領土とし、この占守島では、大東亜戦争終演後にせめて来たソ連との間に大戦闘が起こって、結果として北海道が戦後も同じ日本国領土として温存されています。
日本という国は、いろいろな人がいろいろなところでつながり、歴史を織りなしてきた国です。
そしていまを生きる私たちは、その日本の一員として、この日本を未来へと差し渡し、継続させる使命を帯びています。
私たちは、子や孫たちに、「悪い国・日本」を手渡して行くのでしょうか。
それとも、子や孫たちに、「素晴らしい国・日本」を手渡すべきなのでしょうか。
いたずらに反日をあおったり、日本は悪い国だと、青年たちに自虐的な意識を植え付けることは、本当に正しいことといえるのでしょうか。
令和の元号は、こう書いて「和(なご)み令(せ)しむ」と読みます。
コロナ騒動に始まった令和年間ですが、元号というのは不思議なもので、後になって振り返ると、その元号の年間においては、まさにその年間を象徴しているものが元号になっています。
これは本当に不思議なことです。
ということは、令和が終わって次の時代になったときには、誰の目にも、
「ああ、令和年間は、本当に和みが生まれた時代だったね」
といえる年間になっているということです。
いま私たちは、時代の大きな端境期にいます。
未来は必ず良くなります。
そして良い未来には、よい心がけが絶対に必要だと思います。
ねずブロを通じて12年間、ずっとこのことを主張してきました。
日本は良い国だ。
そのことを知ろうよ。
そして自信を持とうよ。
明るい心で築く未来は
きっとより良い、明るい未来になるのだから、と。
何をバカなことを言っているのか、と言う人たちもいました。
現状の問題を掘り下げ、えぐり出し、戦うことが大事なのだという人たちもいました。
けれど思うのです。
以前サラリーマンでしたが、会社の悪口を言う人は社員の中にもたくさんいました。
なかには、なぜ駄目なのか、どうして駄目な会社なのかを理路整然と述べられる方もおいでになりました。
けれど、そういう社員は、会社からの信頼を得ることができず、出世もできませんでした。
社内では、単純にそういう人たちのことを、野党と呼んでいました。
リーマンショックによる金融危機のとき、会社の経営陣が総入れ替えになりました。
そして新執行部の役員さんたちは、そんな野党の人たちに政権を採らせました。
結果、その会社は、あっという間に潰れてしまいました。
その時は、業界トップの会社も潰れてしまいました。
けれど、いまでもその業界で生き残っている同業他社があります。
その同業他社たちは、そんな野党の人たちが否定した本業を、必死になって護り、戦った企業たちでした。
日本には日本の強みがあります。
それは日本人の一人ひとりが、そして世帯が、二本の足でしっかり立つことができる社会であったことだと思います。
不平不満は、誰にだってあるものです。
日本が、東亜の蓬莱山、扶桑の国と絶賛された古代においても、その日本の中にあって日本に不満を持つ人はたくさんいました。
けれど大切なことは、日本が日本であり続けること、日本的な精神性を大切に保つことにあります。
そして日本が完全に二本の足で立つことができるようになった時代、世界中の有色人種国が植民地として支配されるようになっていた頃、日本は鎖国することができ、そして爛熟した江戸文化を築くことができました。
大切なことは、批判や批評、不平や不満ではなく、どのようにしてより良い国を築いていくのかということにあると思います。
そしてそうであるならば、「では日本の良いところとは何なのか」を、まずはしっかりと掘り下げ、これを日本の常識とし、また世界の常識にまで高めていくことではないかと思うのです。
日本人が欲得ずくのチャイニーズやコリアン、力こそ正義とする西洋諸国と、同じ土俵で戦ったところで、日本に勝ち目はありません。
なぜなら、彼らは幾千年も、そういう社会を過ごしてきているのです。
二千年の伝統は、そうそう簡単に破れるものではないし、素人が付け焼き刃で真似事をしても、勝てるはずもありません。
けれど日本には日本の強みがあります。
それは互いに助け合い、慈しみあい、支え合い、天皇陛下のもと、人々が共同して生きることができる国という強みです。
古い言葉で、これを「シラス(知らす、Shirasu)」と言います。
そのシラス(知らす、Shirasu)を取り戻していくこと。
「確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ)
任(にん)重クシテ 道遠キヲ念(おも)ヒ
総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ
道義ヲ篤(あつ)クシ
志操ヲ鞏(かた)クシ
誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ
世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ
爾臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ」
昭和天皇の終戦の御詔勅の最後の御言葉です。
たとえ人から「甘い!」と言われようが、この御言葉の通りに実践していくことが、本当の意味で日本を取り戻すということにつながるものであると、固く信じます。
なぜなら、その道は、どんなに遠回りしているように見えようが、結果として最も近道になっていると信じるからです。
※この記事は2011年7月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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