わたしたちが普段、苗字と名前を名乗っているということは、実は、私達が天皇の子であり、天皇の臣下であることを、認めている、という意味になるのです。
これは、日頃忘れられていることですが、実はとても重要なことです。

20200707 家族
画像出所=http://wanpagu-s.sakura.ne.jp/illust159.html
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現代日本では「氏(うじ)」も「姓(かばね)」も、同じ苗字(名字)としか扱われません。
そうなった原因が明治4年の「姓尸不称令(せいしふしょうれい)」(明治四年太政官布告第五三四号)で、このときはじめて、公文書に「姓氏」を書かずに苗字実名だけを使用することが布告されました。
その後、苗字(名字)の書き方については、様々な布告が続いた・・・つまり二転三転するのですが、最終的に固まったのが明治8年の「平民苗字必称義務令」(明治八年太政官布告第二二号)です。
この義務令によって、すべての日本人が「苗字と名前だけ」を標記するようになりました。
ではそれまではどうだったのかというと、「姓(かばね)」と「氏(うじ)」は別なものとして扱われていました。
「氏」は、「同じ人を祖先に持つ血族集団」のことです。
たとえば織田とか松平、あるいは榊原、井伊、酒井などの「氏」を持つ者は、みんなご先祖が同じ人だったわけです。
「氏」の素性(すじょう)は8世紀に編纂された『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』に詳しく書かれていて、この本にはもともと日本にいた人たちがどういう姓なのか、渡来人はどういう姓なのかが全部記録されています。
8世紀の時点でそのようなことができた国は、世界広しといえども日本だけですが、これができたのは「氏」が同じ血族集団に与えられたものであったことによります。
農家などでは、土地ごとに集落が営まれましたから、もともとは村の名前=血族集団=氏(うじ)でした。
この歴史は古くて、日本ではおよそ8千年前から稲作が行われたりしていましたから、血族集団が血族集落となり、その集落ごとに神社が営まれ、その全国的な神社がネットワーク化されて、その上に大和朝廷が成立しています。
いまでも「氏神さま」といいますが、氏神さまは、同じ村の、つまり同じ血族集団の御祖先が神様として祀られたことに発祥しています。

《塾・講演等の日程》
どなたでもご参加いただけます。
2020/7/25(土)13:30-16:30 第74回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
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2020/8/1(土)13;00〜15:30 羽曳野講演(羽曳野市いずみの里 南島泉集会場)
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2020/8/15(土)靖国神社昇殿参拝
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2020/9/12(土)13:30-15:30 第75回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
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2020/10/18(日)13:30-16:30 第76回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
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2020/12/19(土)13:30-16:30 第76回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
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ところが江戸時代になると、全国の大名たちがネットワーク化され、国替えのようなことも度々行われるようになりました。
すると藩の武士たちの知行地も場所が変化します。
つまりもともとは武士たちは「氏」の血族集団の長(おさ)だったのだけれど、それが別な氏を持つ村を知行するようになるわけです。
たとえば大利根村であれば、もともとそこには大利根という氏を持つ人達の血族集団であり、大利根氏というお侍さんが、その大利根村の領主の一族であり、本家筋であり、お殿様です。
ところがその領主の大利根のお殿様が、別な知行地をいただいて、別な土地に引っ越してしまう。
そして新たに多摩川さんというお侍さんが、領主としてやってくる。
多摩川さんは、大利根村の村人たちと血縁関係はありませんが、両者は互いに協力して、いままで以上に村の発展のためにがんばっていかなければならないわけです。
けれど、だからといって、もともといた大利根の氏を持っていた人達が、古式の伝統にしたがって多摩川さんに名前を変えたり、あるいはあとから知行のためにやってきた多摩川さんが、大利根に氏を変えたりしたら、世の中が混乱します。
そこで江戸幕府は、農家が勝手に氏(うじ)名を変えることを禁じ、大利根村の熊さん、八っつぁんは、多摩川熊五郎、多摩川八兵衛と名乗ってはならない、そのまま大利根熊五郎、大利根八兵衛のままでいなさいとしていました。
これが解除されて「平民苗字必称義務」となったのが、明治8年だったというわけです。
戦後、公職追放の後釜に座って日本人のような顔をした日本人でない学者さんが、しきりに「江戸時代の庶民には名字がなかった」などと宣伝しましたが、これはとんでもなく誤解を招きやすい言い方です。
我が国では天下万民、庶民であろうが武士であろうが、全員「氏」があったのです。
だからどんな山奥の村でも「氏神様」がちゃんとあるのです。
 *
もうひとつの「姓(かばね)」は、これは苗字(名字)とは全然異なるものです。
「姓(かばね)」は、もともと天皇に仕える特別な人たちを表すもので、朝臣(あそん)とか宿禰(すくね)、連(むらじ)などがこれにあたります。
大納言とか中納言は、いまでいったら、総理府の次官とか部課長のような役職名で、これとは別に、大きな功績があった人などに、その家系をたたえて、「あなたの家系は立派な朝廷の家臣であることを認めましょう」と与えられたのが、朝臣とか宿禰のような「姓(かばね)」です。
ですから、たとえば在原業平朝臣、藤原敏行朝臣、大中臣能宣朝臣などといったように、「姓(かばね)」は、通常、氏名のあとや、真ん中に付けられました。
おもしろいことに、大久保利通は藤原朝臣大久保利通、大隈重信は菅原朝臣大隈重信、山縣有朋‎は源朝臣山縣有朋と名乗っています。
たとえば藤原朝臣大久保利通というのは、藤原の氏族で、朝廷から朝廷の臣下を意味する朝臣(あそん)の称号をいただいた家系の、大久保村の領主である利通(としみち)という名のお殿様、という意味です。
略して藤原朝臣利通、菅原朝臣重信、源朝臣有朋と書かれることもあります。
ものすごく簡単にまとめると、
・氏(うじ)=律令制に基づく村の血族集団の名前
・姓(かばね)=朝廷からその家系に与えられた名誉官位
みたいなものということができます。
この「氏姓(うじ・かばね)」の制度のことを、「氏姓(しせい)制度」といいます。
明治維新後、四民平等となり、旧来の職制が貴族も武士もすべて一律に廃止となったことから、名前の真ん中に姓(かばね)を表記することがなくなり(つまり姓を用いることがなくなり)ました。
つまり、藤原朝臣大久保利通の藤原朝臣が取れて、大久保利通だけになったわけです。
さらに明治のはじめ、全国民があらためて陛下のおおみたからとして、君民一体となって、欧米列強の脅威から日本を守ろうということから、血族集団としての氏(うじ)にこだわることなく、日本全国、もとをたどせば、みんな同じ血族じゃないかということで、村の東側の田んぼを耕している家なら東田さん、西側の田を耕していれば西田さん、南側なら南田さん、北の川のほとりなら北川さんなどと、氏とは別に「苗字(名字)」を名前の前につけることになり、その名字で官製の戸籍が作られることになりました。
これが明治8年の「平民苗字必称義務令」です。
つまり現在の名字と名前の二つからなる日本人の名前は、もともとが、すべての日本人が同じ血族であり、同じ「おおみたから」であり、陛下の子であることを本義としてできあがったものです。
ですから山田太郎さんなら、天皇のおほみたからであり、日本人という血族集団のひとりであるという意味になります。
つまり藤原朝臣山田太郎ではなく、天下万民、天皇の子であり、日本朝廷の臣下の山田の太郎さんだ、ということになるわけですから、昔風に言うなら、日本朝臣山田太郎さんであり、その日本朝臣(氏姓)は、日本人なら皆同じなのだから、その日本朝臣を省いて、単に山田太郎と表記している、ということです。
 *
最近では自分の家系の氏神様(うじがみさま)がわからないという方が増えましたが、そうなったということは、すべての日本人が血族にかかわりなく、誰もが天皇の「おほみたから」であるということが明治期に再確認されているからです。
そして我々庶民が「おほみたから」であるということは、政治権力者も我々庶民も、等しく天皇の「おほみたから」です。
つまり我々は天皇の「おほみたから」であるという一点によって、権力からの自由を得ているし、権力者に私有される隷民とならずに済んでいます。
ということは、「天皇は憲法上の制度だ、天皇制反対」と唱えるということは、わたしたちひとりひとりの人間としての尊厳を否定し、政治権力者の私有民となり、民衆を「奴隷のような隷民にしたい」と言っているのだということです。
世界を見渡せば、民主主義を標榜しながらも、いまだに庶民が隷民として扱われている国が多数あります。
世界では、自由のために流血を伴う戦いが、国歌にまで歌われている国も多数あります。
しかし我が国は違います。
わたしたち国民のひとりひとりが、すべて天皇の子であり、朝臣だとされているのです。
つまり、わたしたちは権力者の奴隷ではない。
そしてわたしたちが、普段、苗字と名前を名乗っているということは、実は、私達が天皇の子であり、天皇の臣下であることを、認めている、ということになるのです。
これは、日頃忘れられていることですが、実はとても重要なことです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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