| いつまでも戦後ではありません。21世紀となった今は、お能の持つ本質と、その精神を、日本の武士道精神の根幹として、あらためて学び直すべき時代が来ています。 いまこそ私たちは、お能が本来表現しようとしていたもの、その演目が語ろうとしていたものを、もっとごく自然に受け入れ、学び、日本人の心得としていくべきではないかと思います。 |

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お能といえば、今日のブログの末尾に掲載した動画のような姿が有名で、なんとなく現代人にとっては、お能=能面といったイメージがあるように思います。
もうすこし深く掘り下げて、ではお能とは何かといえば、「日本的な侘び寂び幽玄の世界」として案内されることが、これまた多いかと思います。
けれど実際にはお能は、武家が愛した武家文化です。
基本、お能はお城の中で上演されましたが、年に一度、一般庶民にその舞が開放される日には、町人たちが列を為して見に来たと言われています。
そんな次第で、武士たちは幼い頃からこのお能に親しみ、お能で歌われる謡曲の言葉が、そのまま武家言葉となり、その武家言葉が能楽とともに全国共通語となることで、実は江戸詰めの武士たちは、他国の武士と普通に会話ができました。
地元言葉では、方言が強くて、言葉が通じなかったのです。
そして武家が愛したということは、実はお能の演劇は、侘び寂び幽玄の世界ではありません。
なるほどそういう一面もありますが、長く教養ある武士たちに愛されたということは、演目のそれぞれに、人として、あるいは武士としての教えがあり、感動があり、学ぶことがたくさんあったからこそ、お能が武家文化として、長く大切に育まれてきたのです。
歌舞伎は、傾奇者(かぶきもの)というくらいで、そんな武家文化の持つお能を、パロディ的に派生させたものでしたし、多くの場合、武家では歌舞伎を観ることが禁止されていたくらいでした。
ですから、そういう意味においても、日本的武家文化は、お能によって育成されてきたといっても過言ではないわけです。
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武士という存在は、決して「侘び寂び幽玄」の存在というだけではありません。
むしろ、リアル社会において、正義を貫き、民衆の模範となって将軍家や殿様に代わって民に知らすを行う、このことを学んだのが、武家におけるお能の存在です。
つまりもっというなら、お能こそが、武家として、あるいは武士としての精神文化を育んだといえるのです。
たとえばお能の演目に「熊野(ゆや)」という物語があります。
昔は「熊野(ゆや)松風は米の飯」といわれたくらいで、お能といえば「熊野に松風」と言われたくらい、ポピュラーな演目でした。
「熊野(ゆや)」は要約すると、
遠州(静岡県)出身の美しい女性である熊野(ゆや)が、京の都で平宗盛(たいらのむねもり)に仕えているのですが、母が病気だと連絡が入る。
そこで、宗盛様にお暇をいただいて、故郷(くに)に帰ろうとするのだけれど、宗盛は「清水寺の花見に連れていくから」と帰してくれない。
いよいよ花見の日、酒宴のときに、衆生を守護する熊野権現がにわか雨を降らして、花を散らせてしまいます。
そして熊野が、
「 いかにせん 都の春も惜しけれど
馴れし東(あずま)の花や散るらん 」
と母を慕う和歌をしたためると、これを読んだ宗盛が、熊野の帰郷をゆるすわけです。
そして熊野は急いで故郷に旅立っていく。
この物語は、一門の権勢を担う宗盛という武家の棟梁にして、権力の座にある宗盛と、美しい桜、美しい女性を途上させながら、神々のご意思はどこまでも衆生の幸せの上にあること。
そして、時の最高権力者であった宗盛が、ひとりの女官の思いを、にわか雨に散った桜と、熊野の和歌から察して、熊野の帰郷をゆるすというところに、武家の長としての大切な心構えが描かれているわけです。
まさに、この物語は、権力が大事か、衆生の幸せ、ひとりの人間の親を思う気持ちが大事かという、ある意味究極の選択を描いた物語といえます。
そして宗盛は、散った桜と、「馴れし東(あずま)の花や散るらん」という遠回しな熊野の和歌で、すべてを察して、熊野の帰郷を許しています。
武家であれば、当然、武力を持つし、武力を用いるための訓練も受けています。
つまり一般の民よりも、はっきり言って強い。
けれど、強いからこそ、武力や官位や権力以上に、弱い者の気持を些細なことから察すること、人としてのやさしさこそが大切なのだということを、この物語は明確に描き出しています。
「松風(まつかぜ)」は、大昔(平安初期)に、在原行平(ありわらのゆきひら)と、たった三年間というわずかな期間を過ごした松風と村雨(むらさめ)という二人の若い海女(あま)の女性の霊の物語です。
二人の女性の霊は、が、その行平とのほんの短いご縁が忘れられず、行平が詠んだ(百人一首にも収録されている)、
「たち別れいなばの山の峰に生ふる
まつとし聞かば今帰り来む」
という歌の言葉を信じて、いつか再び行平が帰ってくると信じて、当時世話になった屋敷で、いまなおさまよっているわけです。
すでにその屋敷は、とうに崩れてしまっている。
たまたまそこを通りがかった僧侶が、二人の霊と話し合い、僧の回向(えこう)によって、二人の霊は成仏していくという物語です。
この演目は、権力のある者(つまり武士)のひとことは、一般の人々にとって、どれだけ重いものなのかを教える物語です。
「綸言汗の如し(りんげんかんのごとし)」と言いますが、武士や高級貴族のひとことというのは、それだけ重い。
そのことをしっかり心得て、民と接することの大切さが、この演目の主題になっています。
「鵺(ぬえ)」という物語もあります。
鵺(ぬえ)は、頭が猿、尾が蛇、手足が虎という、恐ろしげな妖怪で、その昔、源頼政によって退治されたのですが、退治されただけで、その魂魄がいまだこの世にさまよっている。
たまたまその鵺の魂魄と出会った旅僧の回向によって、鵺の魂魄はおさまり、成仏してこの世を去っていくという物語です。
これもまた、誤った者を懲罰するのは武門の常ではあるけれど、その後に命を奪った相手に対して、ちゃんと回向をし、成仏させてあげなければならないという、武士の心得を描いた作品といえます。
先の大戦に際して、武士の精神を受け継ぐ旧日本軍が、敵兵であっても戦いの後に供養を欠かさなかったのは、この鵺の物語が、武士の心得として、武士道の精神となっていたからにほかなりません。
要するに、お能といえば「侘び寂び幽玄」と決めつけるかのような論調が目立ちますけれど、実はまったくそうではない。
お能は、武家として、あるいは人として、権力を持つ者として、たいせつな心得を、芸能という形で繰り返し武士たちに提示し、武士道の根幹を決定づけてきた、まさに日本武士道の根幹を示す文化であったのです。
そしてこのお能が、城内で繰り返し上演されることで、藩士一同とともに殿様も、武家としての大切な心得を毎度、再確認していたのです。
日本人といえば、武士道といわれますけれど、武士は日本人のごく一部の人々にすぎません。
けれど、そのほんのひとにぎりの武士が、人として、武士として、何が大切なのかという心得をしっかりと保持していたからこそ、武家は人々から尊敬を集めました。
そしてその武家文化の中核を為したのが、まさにお能であり、お能で歌われる謡曲であったし、謡曲の言葉が、武家の共通語ともなっていたのです。
もちろん、お能に「侘び寂び」を見出すことも、ひとつの鑑賞としては、ありでしょう。
お能が「侘び寂び幽玄の世界」であると言われるようになったのは、江戸時代までの武家文化を破壊しようとした明治のことですが、それがいまでもそのように言われていることには、お能そのものの本質とはやや異なる別な理由によります。
どういうことかというと、戦後のGHQによる占領以降、日本に左翼的思考が蔓延したなかにあって、お能を「武士の道の根幹だ」などと言い出したら、左の人たちから集団で攻撃を受けることになってしまったのです。
これを回避するためには、明治の頃に「異説」として言われだしていた「お能=侘び寂び幽玄の世界」という、ある意味摩訶不思議な世界だとしておいたほうが、文化保持のためには有効だったのです。
けれど、いつまでも戦後ではありません。
21世紀となった今は、お能の持つ本質と、その精神を、日本の武士道精神の根幹として、あらためて学び直すべき時代が来ています。
いまこそ私たちは、お能が本来表現しようとしていたもの、その演目が語ろうとしていたものを、もっとごく自然に受け入れ、学び、日本人の心得としていくべきではないかと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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