| 記紀では、まず日本の国土が生まれ、次いで神々が誕生したとあります。 わたしたちの国においては、国土や風土と神々は兄弟です。 その神々の直系のご子孫が歴代の天皇です。 その天皇の家系に連なっているのが日本人です。 ですからわたしたちの国では、国土や風土や森の樹々や草花などと、わたしたち人との間には、わかつことが出來ない深い絆(きずな)があるとされてきたのです。 |

画像出所=http://www.52wwz.cn/article/10060.html
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)

人気ブログランキング
応援クリックは←こちらから。いつもありがとうございます。
| 《ご連絡》 ○ 新刊『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』が昨日4月10日に発売になりました。 新型コロナウイルスの関係で大都市部の大手書店さんは軒並み休業です。郊外の書店さん、あるいはAmazonや紀伊国屋さんの通販などを利用してお求めいただければと思います。せっかく神様からいただいた時間です。少しでも有効活用するために、まさに日本人の覚醒の書である日本書紀、是非、お友達にお薦めいただければと思います。 ○ 5月2日に予定していた倭塾は、武漢肺炎問題のため延期します。 ○ 「ねずラジ・シーズン3」が始まりました。ねずラジはねずブロ4千話の中から、選りすぐりの記事を音声でお届けするものです。 |
昔から「立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹(ぼたん)歩く姿は百合(ゆり)の花」などと申します。
どれも美しい花ですが、芍薬(しゃくやく)は、すらりと伸びた茎の先に、華麗な大輪の花を咲かせます。
花は、牡丹も芍薬もよく似た大輪の花を咲かせますが、牡丹が「木」なのに対して、芍薬は「草」です。
草は木ほど丈夫でしっかりとはしていませんから、そんなところから芍薬の花言葉は(大輪の花なのに)「はじらい、はにかみ」です。
振り袖の着物を着た立ち姿が、ちょっと恥じらいがあって、すこしはにかんだ笑顔がまるで花が咲いたよう。
そんな姿が「立てば芍薬」という言葉になっているのかもしれません。

「牡丹(ぼたん)」は、「百花の王」といわれるくらいで、まさに豪華絢爛、華麗で美しい花を咲かせます。
洗剤などのメーカーの「花王」さんの「花王」も、もともとは牡丹のことを言った言葉です。
まさに花の王様で、花言葉も「高貴」。
座った姿に品があり、高貴ささえも感じさせる。
そんな姿が「座れば牡丹」の言葉になったのかもしれません。
ちなみに、鑑賞する際に、芍薬は立って鑑賞するのが良く、牡丹は座って眺めるのが良いから「立てば芍薬、座れば牡丹」という説もあります。
|
◆ニュース◆ ○『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』絶賛発売中!! ○『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』絶賛発売中。 ○ 令和2年度倭塾動画配信サービス受講生募集中です。応募は→コチラ ○ ねずブロの音声版《ねずラジ》第二集が始まりました。 ○ 『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』がオンデマンド版で発売になりました。 ○「ねずラジ・シーズン3」が始まりました。ねずラジはねずブロ4千話の中から、選りすぐりの記事を音声でお届けするものです。 |

《新作続々》ご登録は↑のバナーをクリック↑
| 『ねずさんのひとりごとメールマガジン』 |

「百合(ゆり)」の花言葉は、「無垢、純潔」で、ほかにも「威厳」というものもあります。
ちなみに百合の名前の由来ですが、百合は球根が一枚一枚むけるのですが、それが100枚(つまりたくさん)あることから、百枚合わせで「百合」なのだそうです。
もっとも、大きな花が風にそよいでユラユラ揺れる、そんな風情から「ゆり」となったという話もあり、どちらがほんとかは、わかりません。
百合は、花そのものが清楚な印象がありますので、まさに「歩く姿は百合の花」なんて、とっても美しい形容だと思います。

記紀では、まず日本の国土が生まれ、次いで神々が誕生したとあります。
わたしたちの国においては、国土や風土と神々は兄弟です。
その神々の直系のご子孫が歴代の天皇です。
その天皇の家系に連なっているのが日本人です。
ですからわたしたちの国では、国土や風土や森の樹々や草花などと、わたしたち人との間には、わかつことが出來ない深い絆(きずな)があるとされてきたのです。
柿本人麻呂は、万葉集で次のように書いています。
==========
やすみしし 我が大王(おおきみ)
神(かむ)ながら神さびせすと
芳野川(よしのがは)たぎつ河内(かふち)に 高殿を 高しりまして
登り立ち國見をすれば疊(たゝな)はる青垣山
山祇(やまつみ)の 奉(まつ)る御調(みつぎ)と
春べは 花かざしもち
秋立てば 黄葉(もみぢ)かざせり
ゆきそふ 川の神も 大御食(おほみけ)に 仕へ奉ると
上つ瀬に 鵜川(うがは)を立て
下つ瀬に 小網(さで)さし渡し
山川も 依りてつかふる 神の御代かも
===========
この歌は、持統天皇の吉野行幸に際して詠まれた歌で、現代語に訳すと次のようになります。
「天の下を知らす我がおおきみが
神として、そして神の御業をなさるため
吉野川の激流渦巻く都邑に高い宮殿を建て
その高殿に登り立って国見をなさると
幾重にも重なりあって緑なす山々の
山の神が天皇に捧げる貢ぎ物として
春には花を髪にかざし
秋には紅葉を飾り
流れる川の神も天皇の御食(みけ)に仕えようと
上の瀬で鵜飼いを催(もよお)し
下の瀬では投網をさし渡し
このように山の神も川の神も仕えている、
まことに尊い神の御代であることよ」
日本は、風土も人も、一体です。
※この記事は2014年5月の記事の再掲です。
お読みいただき、ありがとうございました。

人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。
nezu3344@gmail.com
◆最新刊◆
《塾の日程》
どなたでもご参加いただけます。
https://www.facebook.com/events/199953101362592/
2020/6/20(土)13:30〜第73回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
https://www.facebook.com/events/1279660025559485/


