日本人は、幾多の困難を乗り越えてきた民族です。
そしてどんな難局があっても、あきらめずに、そこから何かを生み出してきた民族です。
そして甘くて、ちょっぴり塩辛くて、とてもおいしくて、世界中誰からも愛される桜餅のような、息の長い、美味しい新しい文化を創造してきた民族です。

20200510 桜餅
画像出所=https://tg-uchi.jp/topics/4325
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おかげさまで、ねずブロ、今日でちょうど4500話になりました。
これまでやってこれたのも、ひとえにみなさまのおかげです。
ありがとうございます。
そこでちょっと季節外れになってしまいますが、「桜餅(さくらもち)」のお話をしてみようと思います。
桜餅がコロナに効くとかいう話ではありません。
歴史の話です。
桜餅には、上方風と、江戸風があり、

↓こちらが上方風
桜餅上方風


↓こちらが江戸風です。
桜餅江戸風

桜餅は、もともと江戸が発祥で、京に伝わったときに、京都の和菓子職人さんたちの手によって、形状がかわり、上方風ができあがったものだと言われているのだそうです。
最初、江戸の向島にある長命寺の門前で、山本新六という人が享保2(1717)年に、隅田堤の土手の桜の葉を樽で塩漬けにし、これを餅に巻いて「桜餅」の名で売ったのが、そもそものはじまりなのだそうです。
この堤は、その頃から桜の名所で花見時に多くの人々が集ったので、桜餅が大いに喜ばれ、お江戸の名物菓子になりました。
その考案者の山本新六が、いまの「山本や」さんの創業者にあたるそうです。
ちなみに桜餅に使われる「もち米」は、もち米をそのまま使うのではなく、一度蒸して乾燥させたものを粗く砕いて用います。
ずいぶんと手のこんだものですが、この作り方は戦国時代にインスタント食品として考案されたものなのだそうです。

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20191006 ねずラジ
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お湯や水に浸せばすぐに食べることができる。
しかも「もち米」ですから、腹持ちもいい。
そこで戦国武士の携行食として大流行したそうです。
この粉を量産していたのが大阪の道明寺で、だからこの細かく砕いた「もち米」のことを別名で「道明寺粉」といいました。
桜餅は、関西で「道明寺」と呼ばれるのは、このことが由来です。
さてさて、桜餅の由来には、実は異説があります。
これが悲しい物語なのです。
江戸時代は鎖国をしていて、外国人の出入りは長崎の出島でのみ赦(ゆる)されていましたが、ある日のこと、オランダから来た異人さん2人が、たいそう女性を欲しがったのだそうです。
そこで、しかたなく長崎奉行が、丸山遊郭に事情を話して、二人の美しい遊女を呼び寄せました。
日本は奴隷社会ではありません。
遊女とはいえ、長崎奉行は二人にちゃんと事情を話し、頭を下げてオランダ人の相手を頼んだそうです。
けれども女性のうちのひとりはイヤがり、カミソリの刃で喉をかききって果ててしまう。
こうしてもうひとりの遊女が異人のひとりの囲いものになりました。
その助成は、異人が帰国した後、中島天満宮の近くに小さな茶店を出して、そこで桜の葉を塩漬けにしたもので餅を包んだ菓子を売ったのだそうです。
なぜかというと、異人の囲い者になっていた頃、その屋敷に大きな桜の木があり、その花が散って葉だけになり、その葉も散って行く様子を眺めながら、いずれ我が身も散っていくと思ったのだそうです。
そこで、そんな思いをお菓子にしました。
この菓子が、とっても評判がよくて、桜餅として江戸に伝わったというのです。
真偽のほどはわかりません。
けれど、身の上にたいへんなことが起こった時、そこで死を選ぶか、それともそこから何かを生み出すかは、それぞれの人生の選択なのだろうと思います。
わたしたちは、いま、コロナでたいへんな時代を迎えています。
そこでお亡くなりになってしまう方もおいでになります。
けれど、多くの人々は、この難局のなかで、なんとかしていかなければならないと、必死にこらえています。
日本人は、幾多の困難を乗り越えてきた民族です。
そしてどんな難局があっても、あきらめずに、そこから何かを生み出してきた民族です。
そして甘くて、ちょっぴり塩辛くて、とてもおいしくて、世界中誰からも愛される桜餅のような、息の長い、美味しい新しい文化を創造してきた民族でもあります。
それが、私たちの祖先です。
私たちも祖先に負けない、強い心で、この難局を乗り切っていきたいと思います。
この世は、平均の法則が働く世界です。
生き残った長崎の遊女だって、苦労した分、多くの人に喜ばれ、いまなお続く歴史に残る銘菓を残したのです。
いまたいへんである分、必ず、良い時代がやってきます。
がんばりましょう。
お読みいただき、ありがとうございました。

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