状況の変化の中で、昨日までの自分たちを否定するのではなく、何をしてきたかを肯定的に捉えると、そこにかならず希望を見いだすことができます。
その希望に最も近づける道は、ただひとつ。
いまこの瞬間にできる自分なりの最善をつくすことです。
それがブリコラージュです。

20200508 未来
画像出所=https://www.amitie2001.jp/news/7030.html
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


人気ブログランキング
応援クリックこちらから。いつもありがとうございます。

《ご連絡》
○ 新刊『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』が昨日4月10日に発売になりました。
新型コロナウイルスの関係で大都市部の大手書店さんは軒並み休業です。郊外の書店さん、あるいはAmazonや紀伊国屋さんの通販などを利用してお求めいただければと思います。せっかく神様からいただいた時間です。少しでも有効活用するために、まさに日本人の覚醒の書である日本書紀、是非、お友達にお薦めいただければと思います。
○ 5月2日に予定していた倭塾は、武漢肺炎問題のため延期します。
○ 「ねずラジ・シーズン3」が始まりました。ねずラジはねずブロ4千話の中から、選りすぐりの記事を音声でお届けするものです。

大和言葉は一字一音一義です。
その大和言葉でコロナを読み解くと、実におもしろい。
コ = 来・児・小 転がり出るもの
ロ = 露・炉・路 なんらかの空間
ナ = 菜・那・奈 たいせつなもの
というわけで、意訳するとコロナとは、「なんらかの空間(ロ)から、たいせつなもの(ナ)が、転がり出る(コ)こと」ということになります。
つまり、どうがんばっても一部の大金持ちのフトコロだけに大金が転がり込むという世界から、今回のコロナ事件は、ガラガラポンで、人類社会にとって、あるいは国にとって、そして個人にとって、とても大切な何かが転がり出るというのが、長い目で見たときの世界を揺るがすコロナ事件の結果です。
では、コロナによって、何が転がり出てくるのでしょうか。
それはおそらく、これまでとはまったく違った価値観や、世界の仕組みであろうかと思います。
それは何でしょうか。

20200401 日本書紀 ◆ニュース◆
『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』絶賛発売中!!
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』絶賛発売中。
令和2年度倭塾動画配信サービス受講生募集中です。応募は→コチラ
○ ねずブロの音声版《ねずラジ》第二集が始まりました。
○ 『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』がオンデマンド版で発売になりました。
○「ねずラジ・シーズン3」が始まりました。ねずラジはねずブロ4千話の中から、選りすぐりの記事を音声でお届けするものです。

20191006 ねずラジ
《新作続々》ご登録は↑のバナーをクリック↑

『ねずさんのひとりごとメールマガジン』
登録会員募集中 ¥864(税込)/月  初月無料!


同じような話がギリシャ神話のパンドラの箱にあります。
昨日の記事では、そのパンドラの箱について、あらためてご紹介させていただきました。
結論だけ申し上げれば、疫病や戦乱や貧困など、ありとあらゆる災難の最後に残るのは「希望」だということです。
いまのところ、政府の政策や行政の政策は、ことごとく対処療法でしかありません。
事件が起きてから、「たいへんだ、たいへんだ」と大騒ぎして、何らかの対策を施す。
すると、その対策には必ず「もっとやってほしい」、あるいは「やってほしくない」という不満を持つ人が現れますから、それらの声を代弁する形で、政府に対して、まるでイジメっ子のように、グズグズと牛の涎のように切れない意見をするのが野党やマスコミです。
そうすることで、不平不満組の人達から称賛されるから、票を集めることができるからです。
ただのグズグズなら、誰も相手になどしません。
ところが、そのグズグズが、大手を振ってまかり通るのは、後ろに「お金による支配」があるからです。
植民地支配は500年続きましたが、その植民地支配の前にあったのが、大航海時代です。
その大航海時代は、金融資本が船長にカネを出して、遠方から稼いでこさせるという仕組みではじまったものです。
どういうことかというと、もともと金融の仕組みは、為替業として元の大帝国の時代にはじまったものです。
その元が事実上、西欧から撤収状態となったとき、元の時代に金融為替業を始めた人たちが、次の商売相手に選んだのが、船長さんたちであったわけです。
元が西欧から撤収したあとの時代には、オスマン帝国が地中海交易を独占しました。
ですからスペインやポルトガルなどは、地中海港駅から追い出されて、大西洋に出るしかなかったわけです。
その船主のスポンサーになったのが金融屋で、だから船には(いまでは企業でも)、必ず金融屋から派遣された監視役の役員がいます。
船長たちは、船員を集めて航海し、行く先ざきで財物を強奪して持ち帰りました。
そうしなければ、借金を返せないのですから、そこではありとあらゆる非道が行われました。
これがさらに発展したのが植民地支配で、今度は国が国を収奪するという体制に発展したわけです。
大東亜の戦いで、日本は、それらの被植民地国を開放し、世界には国があふれるようになりました。(なにせもともとは世界には45の国しかなかったのです)
けれど支配と収奪という大航海時代から続く世界の仕組みは、いまでは金融支配と、形を変えただけでいまでも続いています。
その一方で、2000年代に入ってから、人間の世界はアセンションによって5次元世界に次元上昇したといわれています。
5次元世界とはなにかといえば、我々の世界は三次元+時間によって構成されていますが、その三次元を乗り越えた先にある世界です。
我々の住む世界は、地域的な隔たり(空間的隔たり)があり、ニューヨークの友人と話をしようと思っても、そのためには20時間かけて飛行機で飛んでいかなければならない。
ほんの200年前なら、船で半年がかりの旅でした。
けれどいまでは、スマホやパソコンの画面を通じて、いつでもどこでも接することができるようになりました。
肉体こそ移動していませんが、画面を通じてリアルタイムに遠くの人と交流することが可能です。
まさにスマホやパソコンの画面は、ドラえもんのどこでもドアそのものであり、買物までできるということは、ドラえもんの4次元ポケットでもあるわけです。
いちはやく、この画面という名前の4次元ポケット(時間を加えれば5次元ポケット)を大々的に利用し、成功したのがyahooであり、Amazonであり、googleであったわけです。
そしていま武漢コロナは、人が集まる仕組みを否定するという、これまでとは全く別な世界を我々の前に提示しました。
これによって、いまZOOMなどのリアルタイム映像通信が大ヒット産業となりつつあるし、またyoutubeのような映像配信サービスが、新たな産業となっています。
さらに経済活動の停止は、そのまま金融支配をも否定しようとしています。
金融をコントロールしていたから、人々には常にカネが不足し、そのカネほしさに、誰もが血眼をあげてきたわけです。
ところが、実はカネは都合によっていくらでも発行できることがバレつつあります。
日本の政府は、一律10万円支給を決めましたが、本当に日本経済を守りたいなら、いまは一律300万円の支給をすべきです。
それをやっても、日本がインフレになることはありません。
なぜなら、その300万円は、失われた30年の間に本来なら配分されるべきものであったからです。
つまりマイナスになっている分を補填するだけなのですから、インフレ懸念はまったくなく、日本経済の活性化を図ることができる。
そのためには、国民一人当たり、本来なら300万円を今年支給すべきなのです。
この場合、330兆円の予算となりますが、日本政府がこれまでに外国にばらまいて不良債権にしたお金が1千兆円です。
そのわずか3分の1のことです。
不可能ではない。
けれど政府にそれだけの実行力はありません。
そうなると、もはやお金がまわらないのですから、金融による大規模な施設に大規模に人を集めるという商売の仕組みは成り立ちにくくなります。
大勢の人を集める大型の施設が利用できなくなるのです。
たとえばレストランは、弁当屋さんに変わっていかざるをえません。
教育産業は、ネット配信へと変化せざるを得ません。
ジムも在宅運動応援産業に変わっていかざるを得ません。
また、近いうちには、エネルギーも、電力を石油などを使わずに自家発電できる仕組みに変わっていくものと思われます。
自動車などの移動媒体も、タイヤを使って走るクルマから、宙に浮かんで走行するクルマへと変化していきます。
それらの技術は、すでに戦時中には開発されていたものですが、金融と石油資本によって隠蔽されてきた技術です。
それらを、最早開放せざるを得ない。
そもそも電力を電線でしか運ぶことができないというのは、明治時代の技術です。
それがいまでも使われているのは、そうすることで利益をあげることができる商売があるからです。
けれどこれからは、電力を飛ばすことができる時代へと変化します。
すると電線が要らない。
そうなると、いなかの山中であっても、通信手段の確保ができるし、そこで都会に住む多くの人と映像を通じて接触することができるようになります。
映像は、多くの人が集まって制作されていましたが、たとえば映画の中の世界は、近年ではコンピューターゲームの3次元空間の中で、自分も映像の中に参加することができるようになっています。
100年前に開発された、一方的に見るだけだった映像は、いまではその映像の中の世界に参加できるようになってきている。
コンピューターの量子化は、今後その動きを一層加速させていくことになると思われます。
とにかく、世界は変わろうとしています。
それもきわめて大きな変化が起こりつつあります。
しかし、どんなときにも、希望は、必ず存在するのです。
希望は夢とは異なります。
夢ははかなく消えますが、希望は未来を築くチカラです。
そして希望を得るには、アイデンティティ(共同体意識)が必要です。
日本人なら、日本という国の一員としての共同体意識です。
つまり、反日には、未来を拓くチカラはないのです。
なぜなら反日の希望は、ただの破壊でしかないからです。
彼らに破壊の後の社会の構築はできない。
そうではなく、日本を肯定する。
あるいは日本の歴史を、学ぶべきものとして肯定的に考える。
そこに、未来を拓くチカラが宿ります。
これは個人や会社でも同じです。
状況の変化の中で、昨日までの自分たちを否定するのではなく、何をしてきたかを肯定的に捉えると、そこにかならず希望を見いだすことができます。
その希望に最も近づける道は、ただひとつ。
いまこの瞬間にできる自分なりの最善をつくすことです。
それがブリコラージュです。
お読みいただき、ありがとうございました。

人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。

nezu3344@gmail.com
  ◆最新刊◆
  

◆◆◆◆◆ねずさんの代表作となる動画◆◆◆◆◆

《塾の日程》
どなたでもご参加いただけます。
2020/5/2(土)13:30〜第72回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)開催延期
https://www.facebook.com/events/199953101362592/
2020/6/20(土)13:30〜第73回倭塾(於:富岡八幡宮婚儀殿)
https://www.facebook.com/events/1279660025559485/
◆ニュース◆ 百人一首の本がオンデマンド版で購入できるようになりました。


コメントは受け付けていません。