我が国は、昔から「神国日本」とさえも呼ばれてきた国柄を持ちます。
謙虚に、神々の存在を受け入れることが、日本的精神を取り戻す、実は第一歩です。


20200324 宇治橋
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日本の古い言葉に「かんながら」という言葉があります。
古くは「かむながら」と表記しました。
漢字で書くと「随神」、あるいは「惟神」です。
意味は、「神々の思し召しのままに」といった感じです。
ですから「かんながらの道」といえば、「神々の思し召しのままに生きる道」といった意味の言葉になります。
『万葉集』には、柿本人麻呂の歌として、
 葦原瑞穂国(あしはらの みずほのくに)は 
 神(かん)ながら
 言挙(ことあげ)ぬ国
 然(しか)れども
 わが言挙(ことあげ)ぞ
 言幸(ことさき)く
 真幸(まさき)く坐(ま)せと
 恙(つつみ)なく
 幸(さき)く坐(いま)さば・・・
といった長歌があります。
ここまでの意味は
「葦原(あしはら)の瑞穂(みずほ)の国は、神々の思し召しのままに生きる国であって、いちいち言い訳や理由の説明をしない国(ことあげせぬ国)という。けれど私が和歌を詠んでことあげするのは、美しく幸せな言葉によって真実の幸へと至り、つつがなく皆が幸せになることを・・・・」といったイメージになろうかと思います。
柿本人麻呂は歌人ですから、全ては神々の思し召しのままにあるというけれど、皆が幸せに生きることができるためにこそ和歌があるのですと、この歌を通じて述べているわけです。

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ですからこの長歌には反歌(*1)として、次の歌があります。
(*1)反歌(かへしうた)というのは、その前の長歌などの意味を補強するための歌です。
 しきしまの
 日本(やまと)の国は
 言霊(ことだま)の
 たすくる国ぞ
 ま幸(さき)くあれと
日本(やまと)の国は、人々の幸せのために言霊を大切にする国なのだ、といった意味になります。
「かんながら」を漢字で書いたときの「随神」は、「随」が「〜のままに」という意味の漢字です。
ですから神々の思し召しのままに、という意味になります。
「惟神」の場合は、「惟」が「忄(りっしんべん)+隹」で、この場合の「隹」は「維」と同じ「つなぐ」という意味ですから、「神々と心とつなぐ」ことです。
つまり「かんながら」とは、神々と心をつなぐことだ、という意味で用いるときは「惟神」、心をつないだ結果として神々の思し召しのままにあることが「随神」だというわけです。
私たち日本人は古くから、「森羅万象、あらゆるものは、神々によって創(つく)られたと考えてきました。
たとえば目の前にある机は、なるほど人が作ったものかもしれませんが、そのための原材料となる鉄も木も、もともと神々が造られたものです。
私たち人間は、神々が造られたものを、使いやすいように加工して用いているにすぎません。
ですからもともとは神々のものなのですから、使い終わったら、できるだけもとどおりにちゃんと戻さなければならないし、お返しするときには、ちゃんと神々にお礼をしなければならない。
針供養などといったことも、要するに「すべては神々のもの」という基礎概念の上に成り立っているわけです。
また、そうした考え方の延長線上には、使い捨てといった概念もありません。
すべてはもともと神々のものなのですから、使い終わったら大切に神々にお返ししなければならないし、そのために無駄遣いはしてはならないし、お返しすることができないようなものは、最初から使ってはいけないと考えられてきたのです。
西洋文明の場合もこれは同じで、万物を創造したのは、唯一絶対神のお働きです。
そこから生まれた考え方がリサイクルですし、街の清掃にもたいへんに気を使いますし、予算もかけます。
つまり、ゴミを放置することはありません。
ヨーロッパに旅行して、街が美しく保たれているのは、まさにそうした考え方の上に成り立っているわけです。
一方、そうした古典的概念を持たず、まったく俺のものは俺のもの、おまえのものも俺のもの、騙す人と騙される人がいたら、騙される方が悪いという鉄面皮が常識となっている国もあります。
そうした国では、たとえば風光明媚な観光地、あるいは多くの人々が集まる海水浴場など、まるでゴミの山となって、異臭を放っています。
そのゴミが海流に乗って日本にまで流れ着いて、たいへんな迷惑をかけていても、知らん顔です。
鉄面皮と言ってしまえばそれまでですが、そういう行動しかできない人たちのことを、世界では一般に「未開人」と呼びます。
背広を着たりジーンズを穿いて、スマホを持っていたら文明人ではないのです。
あらゆるものは、神々がお造りになられたのです。
それを私たちが、生活を便利に豊かにするために、いろいろと加工して使わせていただいているのだと考えられてきたのです。
そしてそのように考えますと、「無から人が造った」ものなど、何一つない。
すべては神々からの借り物を、組み合わせたり加工したりして、使わせていただいているのです。
形而上学的な考えや学問も同じです。
知恵や知識を得るということは、神々の知恵や知識をいただくということです。
神々の知恵なのですから、粗略にしてはなりません。
学問をするということは、神々の知恵をお借りするということです。
ですから学ぶときは、姿勢をただし、背筋を伸ばすものとされてきました。
すくなくとも、昭和30年代くらいまで、小中教育において授業中に生徒たちが背筋を伸ばして授業を受けることが行われてきたのも、これが理由です。
背筋をまっすぐに伸ばすことで、神々とつながるのです。
そして神々とつながることで、神々の知恵をいただくのです。
教師はその手助けをしているにすぎないと考えられてきました。
どういうことかというと、江戸の昔、あるいはもっと以前から、算数を習ったり、国語や修身を習ったりするのは、単に大脳の記憶に授業内容をとどめるためではないと考えられてきたのです。
魂に刻むのが授業なのです。
最近では、7つのチャクラが云々などと説明する人もいますが、要するに坐骨から頭の天辺までが真っ直ぐに整ったときに、肉体と魂と神々が一体となると考えられてきたのです。
このように申し上げますと、なにやらスピルチュアルとお感じになるかもしれませんが、スピルチュアルのことは私もよくわかりませんが、ただ、上古の昔から、教えを受けるときには、背筋を伸ばして師匠の話を聴くとされてきたことには、やはりそれなりの意味があったのでしょうし、その意味というのは、必ずその国の文化的背景を伴うものであるということは、踏まえるべき点であると思います。
さて、こうした「かんながら」という考え方は、古事記に於いても冒頭に出てきます。
それが「諸命以(もろもろのみことをもちて)です。
イザナギとイザナミのお話の冒頭に出てきます。
原文と読み下し文は次のように書かれています。
 於是天神   ここにおひては 天つ神(あまつかみ)
 諸命以    もろもろの 命(みこと)をもちて
 詔伊耶那岐命 いさなきのみこと
 伊耶那美命  いさなみのみこと
 二柱神    二柱(ふたつはしら)の 神に詔(の)らさく、
「修理固成是多陀用幣流之国」
  「このただよへる くにをつくりて かためなせ」
 賜天沼矛而  天の沼矛(あめのぬぼこ)を 賜(たま)はれて
 言依賜也   言(こと)に依(よ)せては 賜(たま)ふなり
「諸命以(もろもろのみことをもちて)」は、すべての思考や行動は、ことごとく神々の命(みこと)のままにあるということを意味します。
つまり「かんながら」です。
神というだけで、あたかもそれが「インチキ、いい加減なもの」であるかのようなおかしな偏見が、戦後の日本人には埋め込まれました。
しかし、人が社会を構成しようとするとき、人間以上の存在を前提に置くことは、実は社会秩序を構成していくうえで、非常に重要なことです。
とりわけ我が国は、昔から「神国日本」とさえも呼ばれてきた国柄を持ちます。
謙虚に、神々の存在を受け入れることが、日本的精神を取り戻す、実は第一歩です。
お読みいただき、ありがとうございました。

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