| 昭和天皇が祈り続けられた世を、わたしたちは実現しえたのでしょうか。陛下が英霊たちに捧げられた思いに、わたしたちは、なにかひとつでもおこたえしてきたといえるのでしょうか。 |

画像出所=https://www.fnn.jp/posts/00405640HDK
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もし、自分が「あと一週間で死ぬ」とわかったら、みなさんはどうされるでしょうか。
人は、受け入れられない事態に遭遇すると、否認→怒り→取引→諦観という段階を経て、最後に受容に至るのだそうです。
これはキューブラー・ロスが「死ぬ瞬間」という著書で紹介し、それをたしか立花隆が40年ほど前に文芸春秋で「臨死体験」という連載記事を書いたときに、「死の受容過程」として広く紹介されたものです。
ガンの告知を受けたときなどがその典型ですし、あるいは昔なら、腹を斬ると決まったときや、いよいよ戦地での決戦に赴くと決まったときなどが、こうした反応に至るのかもしれません。
はじめの「否認」は、そういう現実が目の前にあるということを頭ごなしに認めない、否定するというものです。
二番目の「怒り」は、なんで自分なんだと周囲にあたり散らす。
三番目の「取引」は、なんでもしますからとにかく治してくださいと頼み込む。
四番目の「抑鬱」は、それでもどうにもならないと知ってあきらめる。
五番目の「受容」は、そういう運命とあきらめる、
という反応なのだそうです。
ところが古くは縄文時代の集落跡などをみると、日本では、集落の真ん中に墓地がありました。
このことは江戸時代になっても同じで、古い城下町や寺社を町の中心に持つ門前町などでは、まさにお城や町の真ん中に墓苑が置かれています。
おもしろいもので、罪人の首を刎ねる刑場などは町の中心からはすこし外れたところに設けましたが、それでもその場所はたいていお寺などが集中している寺社街に置かれました。
これが何を意味しているかというと、日本人は常に死者とともに共存してきたということです。
ちなみにこの習慣、南の島などではいまでも見ることができます。
集落の真ん中にバナナの木などが植えられていて、その周辺にご遺体を埋葬する。
すると、その遺体の栄養分を吸って、バナナが盛大に稔る。
そのバナナをいただくことで、偉大な祖先の勇気をいただき、魂を引き継ぐ。
そうすることによって、魂のみならず、身もご先祖と一体化すると考えられているといいます。
ですから日本における縄文時代の遺跡も、長い縄文時代においても、いまから6千年ほど前には、日本列島の気温が非常に高かった時代があり、その時代に打ち立てられた習慣がのこったものであったのかもしれません。
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このことが意味していることは、もともと「死は生の延長線上にある」と考えられてきたということです。
死によって何もかもが終わるのではなくて、生死は連続しているということです。
そしてそのことが、「常に、明日死ぬという覚悟を持って生きる」という覚悟にもつながり、死者でさえも共存しているくらいなのですから、生者同士は、当然に「互いに力を合わせて協同する」という姿勢にも結びついて来たわけです。
けれど、そうは言っても、死は辛いことだし、のこされた者にとっては悲しい出来事です。
6万年前のネアンデルタール人の遺跡であるイラクのシャニダール洞窟からは、死者の埋葬に花を捧げていた跡が見つかっています。
ネアンデルタール人は、いまのホモサピエンスと違う、ホモ・ネアンデルターレンシスという、現生人類よりも古い種族とされています。
ちなみにその後に、ホモサピエンスが登場していますが、19世紀に打ち立てられたこの分類でいうホモサピエンスというのは、人類の中の白人種のことを言います。
イエローやブラックは含まれません。
当時は、白人種だけが人間だったからです。
ちなみに白人種では、遺体を花でつつむという習慣は、ほんの最近までありません。
一方、日本人は古来遺体を花で包む習慣がありました。
日本では11万年前の人骨などが発見されていますが、日本人は、ネアンデルタール種と同じ旧人類の子孫だからなのかもしれません。
そして万年の単位の長い歴史を通じて、日本人は死と共存し、生死を超えたところに生きることを美徳としてきました。
そのことは、すくなくとも遺跡の集落跡にみる限り、約8000年前という途方もない昔から、日本人にとっての生きるうえでの「思想」であり、DNAに深く刻み込まれた日本人の魂であったといえるかもしれません。
現代の日本人は、日本的魂を失ったという人がいます。
けれど、たとえばずいぶん前にお亡くなりになった逸見アナウンサーなどにしても、ガンの告知を受けてから、それとしっかりと戦う覚悟を示されましたし、ガンなどで死ぬと宣告された多くの日本人は、キュープラー・ロスの「死の受容過程」とはまったく異なって、「従容(しょうよう=堂々と受け入れること)として、その事実を受け入れ、これと正々堂々と向き合ってガンと戦う「決意」を見せます。
すくなくとも、怒りに任せて周囲に当たり散らしたり、看護婦さんに怒りをぶつけるような患者さんは、日本ではまずいないし、医者を買収して生残ろうなどという取引などをする患者さんも、まずいません。
つまり、いまでも日本人は日本人なのです。
こうした日本人の反応は古からの文化が違うとしかいえないのではないかと思います。
そういう日本人は、けれど、この世を去るに際して、昔は多くの人が辞世の句を詠みました。
有名なものとしては、
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂 (吉田松陰)
おもしろきこともなく世をおもしろく
すみなすものは 心なりけり (高杉晋作)
風さそふ花よりもなほ我はまた
春の名残を いかにとやせん (浅野内匠頭)
あら楽や 思ひは晴るる身は捨つる
浮世の月に かかる雲なし (大石内蔵助)
などがあります。
はじめの吉田松陰の句と、高杉晋作の句は、よくみると対になっていることがわかります。
この世に信念という大和魂を「留め置かまし」と詠んだ吉田松陰に対し、高杉晋作は、それを心で受け止め、「おもしろく」生きました、と師匠に報告しているのです。
これと同じことが、浅野内匠頭と大石内蔵助の辞世にもみてとれます。
尽きぬ思いを「春の名残」と詠んだ殿様に対し、大石内蔵助は「思ひは晴るる」と返しているわけです。
私は赤穂浪士の討ち入りについて、「これは山鹿流という天皇尊崇の思想から発した出来事」という説をとっています。
ただの主君の意趣返し(戦後の一般説)とか、内蔵介たちの就職活動(堺屋太一説)などと異なり、あくまで「許せなかった思想上の対決」という立場をとるのは、まさにこの辞世によって確信しているものです。
辞世の句というのは、自分が生きて来た、その人生のすべてを、五七五七七というたった31文字の中にぎゅっと押し込めるものです。
たった31文字しかないのです。
その限られた中で、自分が死を前にしたとき万感の思いを、凝縮させ、歌として遺すわけです。
次は、細川ガラシャ夫人の辞世です。
散りぬべき時知りてこそ世の中の
花も花なれ 人も人なれ
細川ガラシャ夫人は、戦国時代を代表する美人の誉れ高い女性です。
関ヶ原の戦いの少し前、やってきた石田三成の使いに捕らえられそうになり、家老の小笠原勝寄に、ふすま越しに槍で胸を突かせて自害しました。
みなさんは、この歌から何をお感じになられるでしょうか?
昭和天皇は、China事変、大東亜戦争、戦後復興、高度成長、バブル経済と、まさに激動の時代を生きてこられました。
そして昭和64(1989)年)1月7日、崩御されました。
第124代天皇であり、歴代天皇の中に置いても、最長といえる長いご在位でした。
その昭和天皇は、昭和63年8月15日に、全国戦没者遺族に御製を御下賜遊ばされました。その御製が、御辞世となりました。
やすらけき 世を祈りしも いまだならず
くやしくもあるか きざしみゆれど
安らかな世をずっと祈り続けたけれど、それはいまだなっていない。そのことが悔しい。
きざしはみえているけれど、そこに手が届かない。
この御製は、そのような意味と拝します。
その歌を、陛下は英霊たちにささげられています。
そして、「悔しい」と詠んでおいでです。
あれから32年、世は平成、そして令和へと易(か)わり、すでに四半世紀以上の歳月が経ちました。
昭和天皇が「悔しい」と詠まれた辞世を、わたしたちは実現しえたのでしょうか。
陛下が英霊たちに捧げられた思いに、
わたしたちは、なにかひとつでもおこたえしてきたといえるのでしょうか。
※この記事は2014年5月の記事の再掲です。
お読みいただき、ありがとうございました。

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