感染症対策としての3つ。
1 政策
2 手洗い
3 日本式挨拶
たったこれだけで、世界ではありえないほど衛生環境を守ってきた日本。
私たちは、あらためて日本古来の伝統の持つ意義を見直してみる必要があるといえるのではないでしょうか。
昔からある伝統には、ちゃんと意味があるのです。


手水処(てみずどころ)
20200220 手水
画像出所=https://power-mania.com/jinja-sanpaide-kuti/
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昨日の記事で、中国の王朝の交替は、常に「疫病(えきびょう)」と「飛蝗(ひこう)」によると書かせていただきました。
もう一度整理しますと、
「疫病」とは、ペスト、天然痘、コレラ、赤痢などの感染性の病気です。
たとえば14世紀に元が滅んで明になったとき、元の人口はおよそ1億3千万だったものが、およそ3千万人に減っています。原因は疫病です。
17世紀に明が清にかわったときも、明の人口は最盛期およそ9千万人だったものが、清が王朝を築いたときにはわずか2460万人に減っていました。
数千万単位で死者が出て、人口が3分の1以下に減っているのです。
そして同時に起きているのが「飛蝗(ひこう)」です。
これはトノサマバッタの変異種のことで、普段はなんてことないトノサマバッタが、ある一定の密度以上に生まれると、身体が黒く大きく変異し、数億匹の単位で、飛来し、一帯のありとあらゆる食べ物を食べつくします。
「飛蝗」の去ったあとには、食べ物は何一つ残らず、人には餓死が待っています。
チャイナの場合、もともと人肉食の習慣がありますから、穀類がなくなれば人の肉を食べます。
これは食習慣の問題で、残酷とかそういうことではありません。
そうしなければ生きていくことができないから、日頃からそのような習慣が生まれているわけです。
民族としての生き残りのための知恵であって、そのことをとやかく言うことは間違っています。
ところが一定以上に死者が発生すると、埋葬が間に合わず、遺体にハエがたかり、ウジがわきます。
そして腐乱した屍体から、今度は伝染病が発生します。
その意味では、「飛蝗(ひこう)」と「疫病(えきびょう)」によって政権がかわることは、ニワトリが先かタマゴが先かの議論のようなもので、どちらが先とは言い難いところがあります。
いずれにしても、身内を失い、食べるものさえもなくなった人々は、難民となって周辺国に流入します。
その一番の被害者となるのが、北方遊牧民で、このために北方遊牧民が中原(ちゅうげん)《チャイナの中央地帯のこと》に侵入して、新たな王朝を建てました。
昨日も書きましたが、これが「天(あらた)まり、皇帝の(か)わる」という「易姓革命」の意味です。
そしていま、アフリカで発生した飛蝗(ひこう)は、インド北部からチャイナに向けて飛翔中です。
その数、なんと4000億匹。

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チャイナが国境を越えて周辺国に与えるリスクはこれだけではありません。
14世紀の疫病はユーラシア大陸を席巻して、ヨーロッパで6割の人口を死滅させる猛威をふるいました。
17世紀の疫病も同じです。
近いところでは、1918年の「スペイン風邪」、1957年のアジア風邪、1968年の香港風邪があります。
これらも発症源は、チャイナであったといわれています。
世界中で多くの死者を出しましたが、政権崩壊にまで至らなかったのは、「飛蝗(ひこう)」が同時に起きなかったことによります。
さて、一方、日本ではどうだったのかというと、14世紀の元→明の時代は、日本では南北朝時代でした。
この時代のことを書いた太平記のどこを探しても、日本が疫病リスクに困ったという話は出てきません。
出てくるのは、足利尊氏がどうしたこうしたとか、足利家内部のお家騒動があったとか、後醍醐天皇がどうしたとか、そのようなことばかりです。
つまり日本ではほとんど感染リスクがなかったのです。
どうして日本には感染リスクがなかったのでしょうか。
その答えは3つあります。
ひとつは、50年前の元寇以来、日本と元の正式な国交がなかったことです。
これにより感染したチャイニーズの来日がほとんどなく、日本に感染者が広がりませんでした。
ただし、そうは言ってもこの時代、倭寇もあったし、民間レベルでのチャイナ交易もあったわけです。
にもかかわらず日本に感染が広がらなかったのは、次の2と3の理由によります。
2つ目の理由は、日本における衛生環境です。
日本でも、人口の過半数を失う事態は過去にあったのです。
それが第10代崇神天皇の時代で、このときのことについて、古事記は人口の過半数が失われたと書いているし、日本書紀は人口のほとんどが失われたと書いています。
こうした事態に直面された崇神天皇は、当時はウイルスの存在なんてわかりませんから、もっぱら神々に祈りました。
するとあちこちの神々から、ああしたほうがいい、こうしたほうがいいと、様々な御神託を得られたので、そのとおりに次々と実施(つまり良いと思われることを、ことごとく行っていった)していきました。
ところが全国には15万社をこえる神社があるわけです。
その神社が口々に、ああしたほうがいい、こうしたほうがいいと言ってくるようになると、もう収拾がつかない。
そこで崇神天皇は、全国の神社を4段階に組織化されました。
それが、天社(あまつやしろ)、国社(くにつやしろ)、神地(かむどころ)、神戸(かむべ)です。
天社(あまつやしろ)とは、いわば朝廷直下の地方政庁です。
国社(くにつやしろ)とは、いまでいう県庁です。
神地(かむどころ)とは、市区郡役場です。
神戸(かむべ)とは、町役場です。
要するに神社を階層化されたのです。
そして天社では、参拝時の柏手(かしわで)が4回。
国社では3回、神地では2回、神戸では1回とされたのですが、国社以下はその後全部まとめて柏手は2回となり、いまでも二礼二拍手一礼の作法となっています。
けれど、このときに4回とされた天社は、いまでも出雲大社とか新潟の弥彦神社など柏手4回で、二礼四拍手一礼という作法として伝統が生き残っています。
そしてこのときに神社の階層化とともに実施されたのが、神社における手水舎(ちょうずしゃ)の設置です。
神社に行ったら、まず手水を使って手を洗い、口をゆすぎますが、その習慣がこのときに徹底され、現代に至っています。
ちなみに、人の集まる神社でのこの手水の慣習は、それがとても良いことだからと、各家庭でも手洗い場が普通に設けられるようになり、すこし古い旧家なら、いまでもこうした手水舎が屋敷内に残っているし(その多くが、水流によって竹がコーンと鳴る鹿威(ししおどし)付き)、昭和五〇年代くらいまでは、お蕎麦屋さんや外食券食堂や料亭などでは、必ず玄関を入ったすぐ脇に、手洗いのための手水舎が設置してあったものです。
戦後、すかいらーくやガストなどの外食産業がこうした手水舎の設置をやめ、トイレを代わりにお手洗いとするようになることで、最近ではほとんど見かけなくなりました。
さてこの崇神天皇の手水舎の設置が、どの程度の効果をもたらしたのか。
これについては、昨年6月に東大の研究チームが出した日本人のDNAの解析から明らかになった2500年前の大量死が証明しています。
この研究成果によると、縄文時代の日本の人口は26万人、それが2500年前、突然8万人にまで減少します。
なんと3分の1です。
ところがその後、弥生時代に入って、日本の人口は67万人にまで増加するのです。
衛生環境の改善によって、人口がなんと8倍に増えているのです。
ちなみにこの手洗いの習慣によって、我が国では2500年前の大量死以降、歴史上何度も疫病が日本に上陸してきていますが、10万人単位で死者がでることはあっても、人口の過半を失うような(つまり千万単位で死者がでるような)事態は、以後2500年間、一度も起きていません。
このことが示唆する事実は疫病対策という意味で、極めて重大です。
DNAから明らかになった人口減少を、古事記、日本書紀が、崇神天皇の記録のなかでちゃんと裏付けているのですが、記紀が科学的でないと否定する学者さんたちは、記紀の記憶が失われることによって我が国の衛生環境への重大な考え方が失われ、それによって感染症による死者が増加したならば、その責任をどうとるおつもりなのでしょうか。
もちろん、疫病によってひとりでも死者が出るのなら、まして10万人規模で死者が出たのなら、人の命に軽重はなく、たいへんな事態であるという議論もわからないではありませんが、数千万人単位で死者が出るということと、それが10万人でおさまるということでは、これは天地ほどの違いがあると言い切れると思います。
3つ目の理由です。
それは我が国の作法にあります。
欧米では、挨拶の作法は握手であり、ハグやキスも行われます。
このことは、愛情表現としての温かみを持つ一方で、接触感染のリスクを増やします。
チャイナでの挨拶は、拱手(こうしゅ)と握手(あくしゅ)です。
拱手(こうしゅ)は片手をもう片方の手で包んでそれを振る動作です。
これは単独で行う作法なので、接触感染のリスクは有りません。
握手は、西洋式と同じで、たいへん多用されるのですが、当然のことながら接触感染のリスクを増大させます。
では日本ではどうかというと、日本にはハグの習慣も握手の習慣も、もともとまったくありません。
あるのは、畳一畳分くらいの間をとって、互いに頭を下げるという作法のみです。
そもそも武士の手に不用意に触れようものなら、その瞬間に投げ飛ばされます。
なにかいただきものをするときにも、昔は直接手で触れず、風呂敷包みのような布を手にして、これを両手でいただく、というのが作法でした。
どうしてこのような作法が広がったのかといえば、これまた接触感染のリスクを減らすためのものであったわけです。
話すときに口から出るツバの飛沫の飛距離は、通常の話ならせいぜい1メートルです。
ということは、畳一枚分は1.8メートルですから、ツバの飛沫を浴びない。
ハグもない。
キスもない。
握手もない。
そして物を受け取るときには、素手で受け取らず、布で包むようにしていただく。
いずれも接触感染のリスクを減らすことに一役買っていることにお気づきいただけると思います。
さらに毎日、畳まで拭き掃除をする。
障子のサンまで、雑巾でちゃんと拭いて、チリや埃を残さない。
そのために家庭内での掃除は、専業主婦と子たちの重要な役割のひとつとされてきました。
昨今では、夫婦共働きこそがあたりまえ、当然とされる風潮がありますが、共働きで、掃除が行き届かず、家庭内が病原菌の巣となれば、いくら稼いだところで、病気になるし、死んでしまうのです。
それでは何のために働いていたのか、意味がわからない。
だから外では夫が働き、内にあっては妻がしっかりと家庭内の衛生環境を護るというのが、夫婦の互いの役割分担とされてきたわけです。
日本はそもそも高温多湿の国ですから、もともと感染症のリスクが高いのです。
昔から行われている伝統には、ちゃんと意味があるのです。
ちなみに昔からある日本式家屋は、たいへん開口部が多く、通風性を重んじた作りになっていました。
これは感染症対策としては、室内の菌やウイルスを外に排出できる意味があります。
つまり病人が出ても、家族への感染を防ぐことができる家屋構造になっていたわけです。
ところが少し前まで建設省と呼ばれた国土交通省は、高気密高断熱をうたい文句にした戸建住宅を推奨しています。
なるほど高気密高断熱住宅は、平時における冷暖房効率という意味では、たいへんにすぐれた特徴を持ちますが、ひとたび家族に感染症が出た場合、家族全員が死に至る危険を伴います。
この点については、今後、病院の無菌室レベルに室内の空気からウイルスを除去する空気清浄機能がさらに研究開発されていくことが求められていくことでしょう。
ただ、災害というのは、疫病ばかりではありません。
水害もあれば、土砂災害、地震、火災もあります。
昔の人は、そうした災害時には、家屋をあきらめるしかありませんでした。
その代わり、すぐに再建できる(新築できる)家屋を築造してきたのです。
そしてお上(かみ)、つまり行政においても、まちづくりから、常に災害対策を前提としたまちづくりを行い、また災害発生時の家屋再建のために、植林をし、町の脇にはわざわざ木場まで作って町の再建に備えていました。
そうした伝統文化を失った戦後の日本は、どうなっているのでしょうか。
とにもかくにも、感染症対策としての3つ。
1 政策
2 手洗い
3 日本式挨拶
たったこれだけで、世界ではありえないほど衛生環境を守ってきた日本。
私たちは、あらためて日本古来の伝統の持つ意義を見直してみる必要があるといえるのではないでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございました。

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