| 「英霊に敬意を。日本に誇りを。」という言葉は、元陸軍士官倶楽部だった偕行社の標語です。この言葉は、単に英霊に捧げる言葉というだけでなく、我が国の古典に捧げる言葉でもあると思っています。 |

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記紀の解釈については、古来実にさまざまなものがあります。
多くは肯定的ですが、なかには(特に戦後において)否定的なものが増えました。
それらは学問的というより、むしろ政治的な意味での否定のように思います。
けれど、そのようなイデオロギー的なものは、もはや学問の名に値しませんので、今回の論考からは外します。
さて、古事記が日本書紀より後に書かれた偽書であるという説は、これはちゃんとした研究者の中にもあって、しかもその説は、江戸時代にはすでに説かれていました。
江戸後期に沼田順義という儒学者(1792〜1849)がいるのですが、この人が『級長戸風』という著書の中で、古事記の完成が『続日本紀』に書かれていないことから、古事記を偽書と断じています。
また賀茂真淵も、古事記の本文ではなく、序文について、
「奈良時代に追って書かれたものではないか」と書き残しています。
さらにいうと古事記については、現存しているのは応安5年(1372)の名古屋の真福寺本と、その10年後に書かれた道果本(上巻のみ)だけです。
それ以前に写本があったことは、真福寺本にも書かれていることですので事実であろうと思われるのですが、いずれも室町時代初期の南北朝の頃のものであって、それ以前の原典が(まだ見つかっていないだけかもしれませんが)保存されていません。
内容的にも733年に完成した『出雲国風土記』に書かれている因幡の白兎の物語が、その前年に完成した日本書紀にはまったく書かれていない(出雲国風土記の刊行前だから当然)のに対し、古事記は712年に完成したとされるのに、その物語が書かれているとか、あるいは日本書紀と比べて古事記の方が圧倒的に掲載された和歌などの歌が多いこと、奈良時代の公式記録に古事記がまったく出てこないことなど、様々な理由から古事記は太安万侶の子孫の多人長(おほのひとなが)が9世紀の初め頃に書いた偽書ではないかなどと言われています。
こうした論争は、これからも是非、続けていっていただきたいと思います。
ただし、私にはあまり興味がありません。
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それより何より、書いたものというものは、人が書いたものである以上、そこに書かれた目的が必ずあること、それが多くの人々によって「学ぶに値する」と思われたからこそ現代に生きているのだということが重要だと思っています。
人の書いたものであれば、必ずどこかに間違いがあるものです。
けれど、その間違いをもって、その書のすべてを否定することは間違っています。
要は、読む側がしっかりと取捨選択すればよいのです。
もしこの世に100%正しいものがあるのなら、おそらく人類は生存していないだろうくらいに思ってちょうどよいのです。
たとえば、旧約聖書はもともとヘブライ語で書かれたものですが、その一言一句について、二千年以上も昔から、様々な宗教学者によって、様々な語句の解釈が注釈として残されています。
そのなかには、まったく相反する解釈もあります。
だから良いのです。
問題は、そこに尊敬と敬意があるかどうかです。
古事記がどのようなものであれ、千年以上にわたって多くの人によって学ばれ語り継がれきたということは、そこに何らかの価値が存在しているからです。
頭ごなしにそれを全否定するのではなく、尊敬と敬意の心をもって、そこから自分なりにしっかりと学ばせていただく。
そういうことが大事なのだと思います。
日本書紀も同じです。
先日も書きましたが、日本書紀の神武天皇記に、神武天皇のお言葉として、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨してからこんにち(神武天皇が東征に出発するまでの日)までに「170万歳経過した」という言葉があります。
日本書紀がいい加減な書であり、史書に値しないと言われるひとつの根拠とされる文言です。
けれど、この時代の「歳」は、一ヶ月を表す言葉です。
そうであれば、170万歳は、およそ14万年です。
それでも多い。
だから日本書紀はアテにならないと、ここで思考停止になるからイケナイのです。
現代の一般人にとっては、時間は時計が物理的に刻むものです。
それが時間であると誰もが思っています。
ところがそのことをアインシュタインは、特殊相対性理論で否定しているのです。
「時間は相対的だ」というのです。
光に近づくほど、時間の経過は遅くなる。
だから、光速で移動する宇宙船に乗る人は、地球上の時間よりも遅い時間を進むので、1年の宇宙旅行から帰ってみたら、地球では1000年が経過していたなんてことも起こるわけです。
神武天皇の時代に時計はありません。
けれど、暦(こよみ)はありました。
そして、これはいまでも誰もが感じることですが、歳をとると時間が速く感じられる。
実際、ついこないだ新年が明けたと思ったら、もう2月の中旬です。びっくりです。
こうした体感的な時間を、指数関数的にこの時代の人たちは表していたのかもしれないのです。
そしてその方が、体感的時間に極めて近い時間になります。
もし、謙虚な気持ちで日本書紀を読み、時間は相対的であるという物理概念を打ち立てていたら、相対性理論は日本人の研究成果になっていたのかもしれません。
実際、超ひも理論など、記紀の結びの神話そのものです。
万葉集も同じです。
万葉集に書かれている歌は、残念なものがあるとか、エロスだとか、半島語だとか、様々な本が出版されています。
そうした書に共通しているのは、そこに古代のひとたちへの敬意がないということです。
仮に百歩譲って、残念な歌があったとしても、ではどうしてそのような歌を我が国初の勅撰歌集に掲載したのだろうか。
また、本当にそれは残念な歌であるのだろうかと、そこで思考停止におちいらずに、自分の頭で考えることが大事です。
そもそも夫も子もいる額田王(ぬかだのおほきみ)が、夫の兄とできていただとか、持統天皇が強権主義の女帝だったとかいった解釈そのものが、愚にもつかないゲスの勘ぐりによるものでしかないことは、拙著『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』で証明させていただいたことです。
「英霊に敬意を。日本に誇りを。」という言葉は、元陸軍士官倶楽部だった偕行社の標語です。
この言葉は、単に英霊に捧げる言葉というだけでなく、我が国の古典に捧げる言葉でもあると思っています。
お読みいただき、ありがとうございました。

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