20191123 万葉集表紙1200 ◆ニュース◆
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万葉集の歌を馬鹿にしたような解説をしている本も世の中にはたくさんありますが、どうしてそういうとらえかたしかできないのか、たいへん残念に思います。
とりわけ万葉集は、中央発の教育と文化によって成り立つ争いのない日本を目指して、持統天皇の御代に編纂(へんさん)された書です。
いっけんつまらない歌に見えても、その奥には、いまの私達が及びもつかない本気の人生が広がっています。


明治の頃の浜松市連尺通り
20200202 明治-浜松市連尺通り
画像出所=https://aitrip.exblog.jp/tags/%E4%B8%B8%E5%BD%A2%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88/
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)

父はだいぶ前に亡くなったのですが、その父の思い出といえば、何より「怖かった!」(笑)
高校生くらいになっても怖かったし、社会人になってからも、たまに父が家に来るとなると、必死で部屋の隅々まで、チリひとつ残さないように、窓枠やタタミの隙間まで掃除をして、片付けをしたりしたものです。
それは単に、部屋を散らかしていたら叱られるとかそういうことではなくて、親の前ではキチンとしなければならないと思っていたからだし、それ以上に親父が怖かった。
だから、父親というのはそういうものだと思っていました。
では自分が父となり、祖父となって、そういう男になれているかというと、全然、自信がない(笑)。
けれどいまだに自分のなかでは、世界でもっとも尊敬する人は誰ですかと聞かれたら、「父です」という言葉しか出てきません。
ではその父は、社会的に立派な成功を遂げた人だったのかというと、決していまどきの概念での成功者ではありません。
むしろ、戦後の社会の中で、必死でもがき続けた人でした。
子供の頃、その父に「親父が尊敬する人は誰?」と聞いたことがあります。
父は即答で「親父だなあ」と答えました。
私から見て祖父のことです。
祖父は、父と違って剽悍(ひょうかん)とした人で、小さな書店の店主をしていましたが、あまりに小さな店であったために、老後は叔母に店を任せて、父の会社の倉庫番をしていました。
海釣りと祭りの笛や太鼓が大好きで、幼い頃、バイクに二人乗りして釣りに連れて行ってもらった記憶があります。
また、篠笛(しのぶえ)の好きな人で、祭りのときに祖父が屋台(浜松はお神輿(みこ)ではなく屋台(やたい)が出ます)上で笛を吹くというので、着物を着て化粧をさせられてその屋台に乗せられたことがあります。
まだ小学校にあがる前の幼い頃の記憶です。

20191006 ねずラジ
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その祖父の生前、祖父に「おじいちゃんのいちばん尊敬する人は誰?」と聞いたことがあります。
「それはなあ、おじいちゃんのお父さんだよ」と祖父は答えました。
私から見たら曾祖父ですが、曾祖父は明治の官僚だった人で、たいへんに厳しい人であったそうです。
祖母の話では、曾祖父があんまりにも厳格な人であったため、その反発から祖父は大人になってから「道楽(どうらく)に走った」のだそうです。
その厳格だった曾祖父の父(高祖父)は、幕末の激動期を幕臣としてすごした人で、江戸城明け渡しの残務処理の後、浜松に移住したのですが、武家が禄を失った時代でしたから、かなりご苦労されたようです。
商売をはじめもしたのですが、武家の商法で、かなりあった財産も家を残してあとは全部失ってしまう。
そんなことからお家再興(当時は本気でそう思う人がたくさんいた)のためにと、曾祖父は厳格に育てられたし、そのままの人生を送ったようです。
それで明治政府のもとで判事になったのですが、収入が良かったので二号さんを養い、そちらのほうが子の数が多かった。
というか、子が丈夫で、みんな成人するのですね。
祖父が長男だったのですが、祖父の兄弟は祖父と末っ子を残して、あとはみんな子供のうちになくなってしまう。
祖父は、そんな曾祖父を尊敬していて、曾祖父が死んだときには、家督を全部「父が世話になったから」とその二号さんに譲り、ご祖先の位牌だけを相続したのだそうです。
お人好しと言ってしまえばそれまでですが、江戸時代になる前、戦(いくさ)でしんがりをつとめて、家臣とともに一同戦死したりした祖先や、飢饉が続いて知行地のお百姓さんたちに十分なお米を供給することができなくなったときに、分配できる量のお米だけしか口にしなくて栄養失調で亡くなったご祖先、あるいは分家筋ですが、民の側に理があるからと、一揆のときにむしろ農家の側に味方して首を刎ねられたご祖先など、どうも我が家はお人好しの家系らしい。
ただ、いろいろと昔、聞いた話を思い出すと、代々、父を尊敬してきたという点だけは共通しているようで、やはり、立派だったんだなあと感心してしまいます。
どう考えても、自分は親にもご祖先にも全然及びませんが、ここが日本人の良いところで、どのご家庭でも、親父もご祖先も、ずっとたどっていくと、みなさん、立派に生きた人たちばかりというのが日本人の特徴です。
もちろん中には(極端な話)祖先がヤクザだったという方もおいでになるやもしれません。
けれど、そんなヤクザさんであっても、仁義に生き、人の道をまっすぐに生きようと努力を重ねてきたのが日本人だし、日本社会です。
そして鎌倉時代くらいまでさかのぼると、どの家系も全部血がつながってしまうのが、これまた日本人です。
つまり鎌倉以前の日本人は、いまあるすべての日本人の共通のご祖先ということになります。
さらにもっと昔、飛鳥時代や大和朝廷時代くらいまでさかのぼると、もう何度も血が混じってしまう。
そしてその時代の人々の記録が書かれたのが、古事記であり、日本書紀であり、そして万葉集です。
万葉集の歌を馬鹿にしたような解説をしている本も世の中にはたくさんありますが、どうしてそういうとらえかたしかできないのか、たいへん残念に思います。
とりわけ万葉集は、中央発の教育と文化によって成り立つ争いのない日本を目指して、持統天皇の御代に編纂(へんさん)された書です。
いっけんつまらない歌に見えても、その奥には、いまの私達が及びもつかない本気の人生が広がっています。
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』は、そんな思いで書いた本です。
お読みいただき、ありがとうございました。

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