| 偉大な変革も、基礎があってはじめてなしうるものです。 その基礎ともいえる日本的精神を、是非みなさまとともに学び、語り合い、かつ広げていきたい。 |

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民族としてのアイデンティティの喪失は、国家の喪失を招きます。
「アイデンティティ」は、心理学用語としては、「自己同一性」とか「自我同一性」などと訳されます。
では「自己同一性」とは何かというと「これこそが本当の自分だという実感」などと説明されます。
もう少し簡単に訳せば、おそらくアイデンティティとは「共同体意識」のことです。
自らをその共同体の一員に同期させることで、価値観を形成するのです。
たとえば韓国社会では「反日」であることが韓国人としての「共同体意識」です。
つまり「反日」が、かれらにとってのアイデンティティです。
「反日」であることが、価値観の基礎にあるわけですから、「反日」であることが正義です。
そうした社会にあっては、反日であることが正しいことなのですから、それ以外の価値観は一切認められません。
それが良いか悪いかは問題になりません。
良いか悪いかの判断の物差しが「反日」だからです。
何事もそうですが、何かの問題やきっかけがあれば、それに対する行動が起きます。
しかしそれが問題かどうかを判断するのは、価値観に基づきます。
銀行の窓口に強盗がやってきたとき、窓口のお姉さんは、なんとかして銀行と自分の命を守ろうとします。
そこに価値観があるからです。
けれど、その価値観が、「お金儲けをすること」にあるのなら、お姉さんの行動はむしろ、
「お金を渡してあげるから、私に分け前をちょうだい」
と強盗の側に立つことになります。
お金儲けが正義なら、それが最も正しい選択になるからです。
さらにそのことが、窓口のお姉さんだけに限らず、その銀行員全員の総意であるのなら、強盗に涙銭をくれてやって逃し、その強盗に盗まれたことにして、銀行のお金をその銀行の支店員全員で山分けすることになるかもしれない。
要するに価値観が異なるからです。
チャイナでは、どんな優秀な設備の整ったロボット化した日本の工場でも、出荷できない不良品が続出します。
不良品だったことにして、品物が横流しされるからです。
そうやって個人が、経営者のスキを突いて金儲けすることが、彼らにとっての正義だからです。
人民解放軍は、周辺民族の男性を殺し、女性を輪姦します。
民族を同化する、つまり混血することが人民の解放だからです。
とんでもないことですが、価値観が歪むと、世の中全体が歪むのです。
我が国の場合、もともと天然の災害が多いですから、我が国は災害対策国家としての歴史を紡いできています。
災害対策は、ひとりではできません。
共同体としてのみんなの協力が不可欠です。
そしてみんなのことを大切に思う共同体のリーダーが必要です。
ですから日本では、どこまでも民衆こそが大事なのだ、みんなと協力し合うことが正しいことなのだ、個人の都合や我がままは、できるだけ抑えることが正しいことなのだというアイデンティティが形成されました。
これを日本が農業国家だからとか、日本人が農耕民族だからという人がいますが、違います。
農耕民族というのなら、チャイニーズも同じです。
けれど、チャイニーズと日本人では、気質もアイデンティティもまるで違います。
つまり農耕では、民族性の説明がつかないのです。
では日本の決め手となっていることは何かといえば、日本が「災害対策国家」であるということです。
ここは間違えてはいけないところです。
アイデンティティを失うとどうなるか。
米国の心理学者のエリック・エリクソン(Erik H.Erikson 1902-1994)は次のように述べて警鐘を発しています。
「アイデンティティが
正常に獲得されないと、
自分のやるべき事が
分からないまま
日々を過ごしたり、
時に
熱狂的なイデオロギー
(カルト宗教や非行など)
に傾むく」
戦後の日本では、いわゆる新興宗教が目白押しとなりました。
そのなかにはオウム真理教のようなとんでもない教団や、セックス教団のようないかがわしいものまでカルト教団として社会を騒がせました。
戦争が終わったとき、日本人の自覚として、最大の災害こそ、まさに戦禍だったわけです。
ですから、戦争にまつわるものの一切が否定の対象になりました。
そして戦争のない国であることが、一切の価値観に優先することになりました。
GHQによる影響ももちろんあったことは否定できませんが、それ以上に、日本人にとって、戦災で何もかも失ったということが、もともと災害対策国家であった日本人にとっての、最大の懸案事項となったわけです。
ところが戦後の復興がある程度落ち着いた頃から、新潟地震、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震等々の大規模災害が、日本では繰り返し起きることが実感されるようになりました。
つまり日本は、戦争という災害だけでなく、自然災害という大きな厄災が、まさに日本人にとっての「いまそこにある危機」であることが、あらためて自覚されるようになってきたのです。
「日本を取り戻す」ということは、日本という国土に住む日本人としての自覚を取り戻すということです。
そして日本人としての自覚とは何かといえば、日本が災害の多発する国土を持つ国であることをあらためて自覚し、その災害対策のために日頃から備えを万全にしておくことが必要であり、日本人がそのための共同体意識を取り戻すことです。
そしてこのことを考える時、日本が過去の歴史において、どのようにして国民ひとりひとりに日頃からの共同体としての災害への備えを形成してきたのかが、問題となります。
なぜならその答えは、日本の歴史の中にあるからです。
そこで日本の歴史をあらためて検証しようとすると、そこに大きな問題があります。
戦災対策のために、過去の日本が全否定され、日本は韓国以上に歴史のない国に、いつの間にかなっているからです。
日本人としての共同体意識(アイデンティティ)の原点が、徹底的に破壊されているのです。
大日本帝国憲法を起草した井上毅は、古事記や日本書紀を通じて日本の神語を徹底的に検証し、そこから日本人が、あるいは日本国が寄って立つべき共同体意識(アイデンティティ)とは何かを明確にすることで、旧憲法を起草しました。
ところがいま私達が、その日本の神語をあらためて学ぼうとしても、それは根拠のない作り話としての神話(myth)にされてしまっているし、書籍やネットなどを通じて神語を学ぼうとしても、「大国主神話がウサギさんとお話しました」だとか、アメノウズメが裸踊りをしましたといった子供向けともいえないような低次元の解釈しかされていません。
また和歌はあらゆる日本文化の根幹だといいながら、では万葉集や百人一首などを学ぼうとすると、そこに書かれた歌のそれぞれは、ただのエロ話におとしめられてしまっているわけです。
つまり我々が日本人としての共同体意識(アイデンティティ)を取り戻そうとすると、そこから出てくるのは、日本人がエロいとか、ただのおとぎ話しか出てこないわけで、これでは私達は還るべき原点にならないのです。
では、本当に、それら日本人の原点となった古典は、その程度のいかがわしいものでしかなかったのか。
そう思って、あらためて原文に立ち返って、記紀や万葉集、百人一首などを読んでみると、実は、巷間言われているような下品な内容とは全然違う。
これではいけないと本にしたのが、『ねずさんと語る古事記1〜3』であり、新刊の『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』です。
とりわけ万葉集は、持統天皇の時代に、軍事力による征圧や反対派の粛清ではなく、高いレベルの教育と教養によって我が国の民度を向上させ、その高い民度によって、我が国を統一していくという大きな目的をもって編纂された書であることも、今回の研究の大きな成果です。
日本を取り戻し、日本人としての共同体意識(アイデンティティ)を取り戻したいなら、日本人としての原点となる歴史伝統文化の根幹を探り、それを現代日本の常識にしていかなければなりません。
偉大な変革も、基礎があってはじめてなしうるものです。
その基礎ともいえる日本的精神を、是非みなさまとともに学び、語り合い、かつ広げていきたいと思っています。
お読みいただき、ありがとうございました。

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