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| 戦争は、私は絶対にいけない。平和が大切だ、平和を志向することが正義だというのなら、対立ではなく、相手に尊敬と敬意を払い、自分もまた尊敬され、敬意を払われるように成長していかなければなりません。 そしてそういう努力をしてきた歴史が古代の日本にあるのなら、その歴史や精神をしっかりと学ぶことは、自分自身が成長する鍵であり、対立をなくし共存共栄を図る知恵であり、平和のための真実の道といえるのではないでしょうか。 |

画像出所=https://blog.goo.ne.jp/magohati35/e/607580197bc1d02deb77132076ee2259
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)
古事記に、神武天皇が兄師木(えしき)、弟師木(おとしき)を討(う)ったときの歌があります。
次の歌です。
楯並(たてなめ)て 伊那佐(いなさ)の山の
木(こ)の間(ま)よも い行(ゆ)き守(まも)らひ
戦(たたか)へば 我はや飢(ゑ)ぬ
島(しま)つ鳥(とり) 宇養(うかひ)が伴(とも)
いま助(す)けに来(こ)ね
《原文》
多多那米弖 伊那佐能夜麻能 たてなめて いなさのやまの
許能麻用母 伊由岐麻毛良比 このまよも いゆきまもらひ
多多加閇婆 和礼波夜恵奴 たたかへば われはやゑぬ
志麻都登理 宇上加比賀登母 しまつとり う かひがとも
伊麻須気尓許泥 いますけにこね
《現代語訳》
盾を並べて伊那佐の山の
樹木の間にまで行って見守り戦って
はやくもお腹が空いてきた
島にいる鵜飼(うかい)の友よ
すぐに助けに来てくださいな
実はここに、我が国建国の原点となるたいせつな謎が隠されています。

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「島にいる鵜飼(うかい)の友よ、すぐに助けに来てくださいな」
というのですが、何の助けが必要かといえば、その理由は「戦ってお腹が空いてきた」からです。
つまり「助け」というのは、「食料を持ってきてくださいな」という意味だとわかります。
では「島にいる鵜飼(うかい)の友」とはどういう人達かといえば、ひとことでいえば、瀬戸内の人々ということになります。
なぜなら神武天皇は、この戦いに先んじて、まる17年も、博多から広島、岡山と、船を使って移動し、そこにとどまっていたからです。
広島や岡山は、瀬戸内に面しています。
なぜそこに長期滞在していたのかにも理由があります。
この時期、日本全体の人口が、26万人から8万人へと、なんと3分の1に減少していたのです。
このことは、今年6月に東京大学の研究グループが現代の日本人男性のDNA解析から明らかにしています。
理由は、急速な寒冷化によって狩猟生活をしていた縄文人の食料が減ったことによります。
つまり、3人のうち2人が餓死および感染症によって死亡したのです。
生き残った人々も、ガリガリに痩せ細り、お尻の肉さえも削げ落ちて尾骨が出っ張り、その様子はまるで尾が生えた人であるかのようであったと描写されています。
そんななかにあって神武天皇は、目先の食料確保と、いざというときの食料の備蓄のために、稲作を含めた農業指導をして歩きました。
これによって、博多から広島、岡山にかけての瀬戸内一帯の人々は、食料の供給の不足がなくなり、逆に食料を備蓄できるようにさえなっていたのです。
そのあと畿内に入られた神武天皇は、食糧不足の中にあって、武力を用いて他者から食料を収奪していた集団を討ち果たすために、果敢に戦いを挑まれました。
そして戦いに勝利し、橿原宮に都を開いて、日本の建国宣言を行っています。
その建国宣言に、有名な「八紘一宇」があります。
これは四方八方がひとつ屋根の下で暮らす家族のようになって、互いに助け合っていこうではないか、という詔(みことのり)です。
つまり、畿内の食料不足に際して、神武天皇は、それ以前の農業指導によって食料が増産されていた地域から、その増産分の米を畿内でともに戦う兵士たちのために、持ってきてもらっていたのです。
これが、異なる地域が、ひとつ屋根の下で暮らす家族のように互いに助け合って行こうという建国の詔の肝になります。
お米は、常温で数年の備蓄に耐える貴重な穀物ですが、そのことは同時に、長距離の移動を可能にする食物であることをも意味します。
つまりお米は、他国(当時はいまでいう県のことを国と言いました)間での流通が可能なのです。
運ぶのは船です。
そしてこのお米の他国間流通を、凶作や急速な気候変化に伴う災害対策のために活用すれば、我が国は、国と国とが地域をまたがって互いに助け合うひとつの家(国家)となっていくことができる。
このことを実現したからこそ、神武天皇は、初代天皇と呼ばれる人物になられたわけです。
その諡(おくりな)も、ですから「神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと)」、つまり「倭(やまと)の神と呼ばれ(いわれ)た男(ひこ)」です。
人々が、本当に苦しんでいるときに、その苦しみの原因を取り除き、みんなが生き残ることができるようにしてくれたのです。
それこそまさに「やまとの国の神」のような存在です。
そしてこのことが、我が国の建国の基幹精神となりました。
つまり、いざというとき、国と国とが互いに助け合う。
そしてそのためには、国を司(つかさど)る人が必要になります。
それが国司(こくし)です。
その国司は、地元の人であるよりも、中央から派遣された人であることが、より好ましいことは容易に理解できることです。
ひとことでいえば、他国の国司と、互いにツーカーだからです。
地元の名士であったとしても、いざというときに、他国からお米を融通してもらえるだけの顔の広さがなければ、災害対策にならないのです。
同時に、このシステムには公正さが求められます。
どこぞの国司や豪族が、自分だけが良ければ、他国などはどうなっても構わないとばかり、あるいは自己の懐(ふところ)を肥やすために、欲をかいて他国の苦しみをかえりみなければ、このシステムは機能しないからです。
そこで我が国では、騙す人と騙される人がいたら、騙す人が悪いという世界的に見れば稀有といって良い文化が成立しました。これもまた、意図してそのような文化を構築したからこそ、日本はそのような国になったのです。
古代日本の知恵には、素晴らしいものがあります。
共産主義史観に基づく進化論的な思考ですと、過去は常に時代遅れであって、進歩主義的なユートピアを目指す人だけが優越するという基本認識(パラダイム)になります。
そしてこの基本認識(パラダイム)に従えば、古代日本の知恵など、児戯に等しいものとして扱われるようになるし、そうではない、大切な祖先からの知恵なのだ、などといえば、それは妄想だの、時代遅れだのといった批判の対象になります。
しかし批判とは、そもそも対立を意味します。
その対立が、国家間で引き返せないほど深まったときに起こるのが戦争です。
つまり対立思考は、戦争をもたらすのです。
戦争は、私は絶対にいけない。平和が大切だ、平和を志向することが正義だというのなら、対立ではなく、相手に尊敬と敬意を払い、自分もまた尊敬され、敬意を払われるように成長していかなければなりません。
そしてそういう努力をしてきた歴史が古代の日本にあるのなら、その歴史や精神をしっかりと学ぶことは、自分自身が成長する鍵であり、対立をなくし共存共栄を図る知恵であり、平和のための真実の道といえるのではないでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございました。

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