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稲作を普及させたのが迩々芸命(ににぎのみこと)。
いざというとき(災害発生時)に、稲作によってまかなわれた備蓄米を、地域を越えて融通し合うことができるようにすることによって、日本中が、独立した村や国の集合体として、相互に助け合う村落や国同士が互いに共生する国家にしたのが神武天皇。
ここに我が国の建国の原点があります。


20191118 斎庭の稲穂の神勅
画像出所=https://ameblo.jp/goodluckadviser-misato/entry-12420980143.html
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)

世界を構成した中心的思想や行動は、強者が弱者を支配することでした。
弱者は強者の支配下に入ることによって庇護され、庇護のもとに入らない者は敵として征圧・粛清されることが世界の歴史というより、人類史そのものと言ってよいものであったかと思います。
勝てば官軍どころか、上に立てば下の者に対して何をしても許される。
違法などという言葉は、弱者のためにある言葉であって、勝者や強者は、下の者や敵対する者に対して、いかなる違法行為を働いても罪にならないとされてきたのが歴史です。
ところが日本では、歴史を通じて、強者は常に身を律して、民が豊かに安全に安心して暮らすことができるようにしていくことが大切とされてきたし、それができない、ないしはそういうことを理解しないで、ただの馬鹿な強者として傲慢や慢心、我侭があれば、それがたとえお殿様であったとしても、座敷牢に閉じ込めて改心するまで説教が続けられたという歴史を持ちます。
そのようなことがなぜ行われたかといえば、それは日本が「天皇の知らす国」だからです。

20191006 ねずラジ
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日本において天下万民は、すべて天皇の「おほみたから」であり、その天皇に仕える政治家や閣僚、司法官等々は、すべてその「おほみたから」が、豊かに安心して安全に暮らすことができるようにしていくことが仕事と規程されてきたのです。
では天皇のそうした権威が、なぜ生まれたかといえば、まさに民衆を「おほみたから」とする統治の基本が示されたのが、初代天皇の神武天皇であり、その神武天皇によって日本という国が建国されたことに由来します。
神武天皇がご出現になられた時代は、実はたいへんな時代で、天然の災害などのために、それまでの人口(全国26万人)が、突然8万人にまで減ってしまった時代です。
以前、小麦のお話のところで、奇跡の小麦がインドで億単位の餓死者を救ったというお話を書きましたが、神武天皇は、稲作を指導し普及され、さらにそうして生産され備蓄されたお米を、地域を越えて互いに融通し合う制度を開始されることによって、なんと短期間のうちに、人口を67万人にまで増加させています。
稲作そのものは、「斎庭の稲穂の神勅」にあるように、迩々芸命(ににぎのみこと)が天孫降臨の際に、天照大御神から天上界の稲を授かって、地上に降臨されて稲作を普及されたというお話が神語の中にあります。
このことが示していることは、神武天皇以前に、稲作が開発され、ある程度の普及はしていたという事実です。
人は食べなければ生きていくことができません。
逆に言えば、食べることができる環境があれば、それ以上に苦労したくないのが人間です。
狩猟採集生活は、旦那が1日3時間働くだけで、一家全員が養えるし、村の食生活も困らないし、常に新鮮な魚介類を使った料理を楽しむことができるわけです。
塩分やタンパク質は、海からいくらでも採れるし、食物繊維だって海藻から採ることができます。
少し山に入れば、山菜もあるし、木ノ実も採れる。
日本列島全体で、人口26万人ですから、土地の所有権に縛られる必要もなく、寒くなったら暖かな地方へ、暑くなったら北の方へと、船があるのです。
いくらでも移動できるし、移動してもどこからも苦情はこないし、お金もガソリン代もかからない。
そういう暮らしができるのであれば、なるほど稲は長期の常温保管ができるし、いざというときのための備蓄食料として有用だし、それはとってもおいしい食べ物ではあるけれど、これを生活の中心に据えるということは、起こり得ないのです。
このことは、稲がもともと熱帯性植物であり、熱帯地方には自生するけれど、南の島の住民たちがいまでもあまり稲作を用いないことを考えれば、普通に理解できることであろうと思います。
いまの日本も同じです。
このたびの災害発生時に、スーパーから食品が消えるという事態が起こりましたが、では日本人が日頃から災害に備えて、マンションのベランダや、家やマンションの周囲の庭、あるいは駐車場や車庫や、ビルやマンションの屋根の上で、いざというときに備えて簡易農園を営んでいる人がどれだけいるか。
苦労して稲作をしなくても、平時なら飢えることなく、楽に暮らしていけるのなら、誰も苦労などしたくないのです。
けれど、そうは言っても、中には稲作をしている人たちもいた。
そしてそういう人たちの中のひとりが、神武天皇であったわけです。
その神武天皇は、日本中に不幸が相次いで、国内の人口が3分の1に極端に減少したとき、西日本一帯で稲作の指導をし、生き残った人々を救いました。
そして畿内に入ったとき、飢えに苦しむ人達とともに戦い、勝利するのですが、このときに、先の稲作指導によって、十分な備蓄米を持つ瀬戸内沿岸の人々から、畿内にお米を持ち込んでいます。
このことは神武天皇の歌に述べられています。
そして神武天皇は、日本国中の人々が、ひとつ屋根の下に暮らす家族のように、いざというときに互いに食料を融通しあえる国つくりを、国家建国の要諦とされたわけです。
そしてそのことによって、日本の人口は、またたく間に8倍の67万人に増加し、これが日本建国の基礎となりました。
稲作は、8千年も前までさかのぼることができますが、2千年余り前の神武天皇が「初代天皇」とされた理由が、まさにここにあります。
稲作を普及させたのが迩々芸命(ににぎのみこと)であっても、いざというとき(災害発生時)に、稲作によってまかなわれた備蓄米を、地域を越えて融通し合うことができるようにすることによって、日本中が、独立した村や国の集合体として、相互に助け合う村落や国同士が互いに共生する国家となっていったのです。
ここに我が国の建国の原点があります。
世界中、どの国のどの民族にも、村落から国家が形成された「国家の黎明期」があります。
その「国家の黎明期」に、日本はすべての村々が、ひとつ屋根の下で暮らす家族となるという選択をしたのです。
これによって日本は、世界に類例のない、「和」の精神を基礎にした相互信頼国家を建設しました。
世界中、どこの国においても、どの民族においても、力を持つ者が他を支配し、収奪することで自己の権力を増す。
そのために支配地域を広げるということが国家形成の黎明です。
その意味において、日本は建国の段階から、まさに「奇跡の国」となる道を選択しました。
それが神々の御意思であったとするならば、日本には何か特別な使命が課せられているのかもしれません。
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