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論点をずらして被害者を装う・・・結果、被害者と思われていた人は、実は加害者であり、論点をずらしていただけだった・・・・。
世の中にはそういうことがあります。
それは人の道を外れた人のすることです。
人の道を外れていた人のことを「ひとでなし」と言います。


20190731 悪魔
画像出所=https://www.irasutoya.com/2017/06/blog-post_978.html
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)

最近ではようやく常識になりつつありますが、なにか問題が起きたときに、論点をどんどんずらしていって、ありとあらゆる反論を試み、下手に撃った鉄砲の弾のひとつでも周囲に動揺を与えることができたら、その最初の論点とはまったく異なる一点だけを徹底して主張して、問題の論点をずらして、実は加害者であるにもかかわらず被害者を装う。
このことがバレると、一時的に良い子になったフリを宣伝し、時間をずらして、また被害者を装う、というおかしな人達がいます。
このような卑怯卑劣な人たちにとって、お人好しの日本人はたいへん騙しやすく、日本は居心地の良いところのようです。
日本人の思考は、まじめで論理的なので、問題が起こると、問題のどこが、なにが争点なのか、どこがまずかったのかを分析し検討し、その問題の根幹を探ることで、抜本的な改善や解決を図ろうとします。
ですから何か問題が起きて、その問題について議論しようとするときに、日本人は問題点を整理して、その問題の核心に絞って具体的に問題の解決をしようとします。
たとえば「8653612479」といったバラバラな数字があれば、これを「123456789」ときちんと整理して並べ、その1〜9までの問題点のひとつひとつに検討を重ねて、その結果「6」に問題があるとわかれば、その「6」の改善をする。
実際、このようにしなければ、問題の解決や改善は絶対にできません。
ところが卑怯卑劣な人たちは、「123456789」の問題を解決しようと議論しているのに、「いろはにほへとちりぬるを」の話だと声高に叫びます。
「いや、それは議論が違うだろう」と言えば、「自分たちの話を聞こうとしない、強硬だ、強引だ、弱者いじめだ」等々と騒ぎ立て、「弱い者いじめなどするつもりは毛頭ない」とでも反応しようものなら、「つもりがないということは、普段はそういうるもりなのか」などと言い立てて、論点をずらします。
そして様々な方面を巻き込んで、いつの間にか議論の中心を「いじめ問題」にすり替え、自分たちを弱者、被害者にしてしまう。
結局、はじめの「1〜9」を整理しようともちかけた側が、いつの間にか悪者にされてしまうわけです。

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20190317 MARTH


この手口は、国家間の問題であれ、芸能組織の問題であれ、労使問題や個人間の問題であれ、必ず同じパターンを取ります。
戦後70年間、ずっと同じ手口が繰り返されてきて、一度でもその被害に遭った者なら、次には被害に遭わないように気をつけるようになりそうなものなのだけれど、それが何度同じ手口を繰り返しても、日本人はまた騙される。
オレオレ詐欺に繰り返し騙され続けているようなものです。
基本的に、そのような卑怯卑劣で悪質な人たちは、社会から排除することが大事です。
しかし国家や政治の権力で、すんなりとそうした連中を排除できればよいのですが、実際には排除をしようとした瞬間から、まさにあることないこと言い立てて「論点ずらし」が始まるわけです。
こうした場合に、どのように対処したら良いのか。
このことは実は千年前、2千年前にも、同じ問題があったようで、我が国では神話の中でこの問題の解決方法を明確に示しています。
それが古事記の海彦山彦の物語で説かれている「経済制裁」です。
論理的にまじめに活動している者と、そうでない者の関係は、イソップ物語のアリとキリギリスと同じです。
経済戦争に入ったら、圧倒的に有利になのはアリの側です。
途中では、さまざまな「論点ずらし」の言いがかりをつけられることでしょうが、絶対に相手の手口に載せられないようにして、粛々と制裁を続ける。
そして大切なことは、最終的な落とし所として、完全な力関係の上下を形成して、中央から排除すること。
もっと過激な言い方をするなら、そのような「論点ずらし」をするような人たちは、社会から完全排除すること。
コミュニティであれば、そこから排除すること。
個人間であれば、二度と付き合わないこと。
これに尽きると思います。
論点をずらして被害者を装う・・・結果、被害者と思われていた人は、実は加害者であり、論点をずらしていただけだった・・・・。
世の中にはそういうことがあります。
それは人の道を外れた人のすることです。
人の道を外れていた人のことを「ひとでなし」と言います。
「ひとでなし」は人間ではありませんから、たとえ人間の姿ををしていても、ケモノです。

ケモノに人間の道理は通じません。

ならばケモノはケモノとして扱うべきで、決して人と同じと思ってはなりません。

何百年の間に、たった一度でも通学途上の小学生を狙った犯行があれば、全国のすべての小学校は安全のために集団登下校を実施します。

同様に、たったひとつでも「論点をずらして被害者を装うひとでなし」的な行為があれば、そのケモノは排除しなければなりません。
このことは「いじめ」という言葉と同じくらい、我々の常識語にしなければならないことです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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