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| 和の世界、結の世界というのは、いわば健全な社会です。 健全な社会を実現しようとするとき、ガン細胞があれば、それは小さなものならばキラー細胞によって処分しなければならないし、大きなガンになっていたならば、外科手術で切除しなければなりません。 これが枝打ちであり、草取りです。 これらは対立や闘争とは意味が異なるものです。 |

タイトルはたとえで、要するに国を良くしたい、会社を良くしたい、組織を良くしたい、人間関係を良くしたい等々、なんらかの集団を良い方向に向けようとするには何が必要なのかということがテーマです。
小中学校は義務教育なので、あまりつぶれることはありませんが、高校ともなると、少子化の影響でたいへんに生き残りが難しくなっていると言われています。
そこで自校のレベルを上げたいと思うのだけれど、これがなかなかうまくいかない。
実は学校が偏差値を上げようとするときには、必要な原則があります。
それが加算と減算です。
減算というのは、できの悪い生徒を追い出すことです。
近年ではこれがなかなかむつかしくて、なかなか生徒を放校処分にすることはないのですが、実はこのことは、江戸時代から続く日本の教育の伝統です。
童子教にも、有名な言葉があります。
「悪しき弟子を養えば、
師弟ともに地獄に堕ちるべし」
樹を真っ直ぐに育てたいと思うなら、余計な枝は払わなくてはなりません。これを「枝打ち」といいます。
畑で良い作物を作りたいと思うなら、畑に生える雑草は取り除かなければなりません。これを「草取り」といいます。
クサイ草を取るのですから、クサ取りです。
それをしなければ、作物がまともに育たないのです。
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このことは企業などの集団を営む場合も同じですし、個人の交友関係でも同じです。
戦後は、いわゆる不逞な半島人がまともな学校に入学させてもらえなかったために、入れてもらったら最期、ありとあらゆる理由を並べ立てて放校処分にならないように脅しや脅迫まがいのことが繰り返し行われ、結果、なにやら学校が放校処分にすることが、あたかも悪いことであるかのような風潮が生まれていますが、これは錯覚です。
朱(しゅ)に染まれば朱(あか)くなるのです。
ならば朱を取り除く。
あたりまえのことです。
そうしなければ、普通の生徒たちみんなが迷惑するのです。
社会からどうしても取り除くことができないのならば、その人たちは一箇所に集めて、その人たちの中に責任者を置いて一定の権限を与え、集団の中にひとりでも不埒な行動をする者があれば、その責任者を処分し、集団には連帯責任を負わせるしかありません。
我が国で、江戸時代や、それよりもずっと以前にも行われてきた方法が、実はこの方法です。
それをしなければ、国ごと地獄に堕ちてしまうというのは童子教の教えの通りです。
加算は、良い方向へと導くことです。
そのために必要なことは、良いリーダーを置くことです。
学校の偏差値を上げたいなら、全体の平均値を上げ、トップ集団に特別な教育を与えれば、あたりまえのことですが、全体の平均値は必ず上がります。
そして全体の平均値が上がると、学校全体のレベルがあがります。
学校全体のレベルが上がると、トップ集団はより高いレベルにシフトします。
ただしこれにも条件があって、ただ特別な進学クラスを作って、トップ集団だけの育成を図ろうとしても、うまくいきません。
なぜなら、極端に程度の低い集団が、全体の足を引っ張るからです。
加算を実行するときには、減算も同時に行なわなければ意味がないのです。
このブログでは、一貫して
「対立と闘争の時代から、
和と結の世界へ」
ということを申しあげています。
和の世界、結の世界というのは、いわば健全な社会です。
健全な社会を実現しようとするとき、ガン細胞があれば、それは小さなものならばキラー細胞によって処分しなければならないし、大きなガンになっていたならば、外科手術で切除しなければなりません。
これが枝打ちであり、草取りです。
これらは対立や闘争とは意味が異なるものです。
そもそも悪質なものは、対立したり闘争したりするような対象でさえありません。
これは切除すべきものです。
無駄な枝を払うことや草取りをすることを、差別という人がいるかもしれません。
しかし「差別は良くない」という思考こそ、トラップです。
運転免許を持たない人が自動車を運転することはできません。
これは運転免許を持たない人を差別しているのでしょうか。
世の中は差別をすることで社会が営まれるのです。
「差別はいけない」という発想こそ、差別主義者の思考であると知るべきです。
日本人の低レベル化が問題となっています。
目的は、和と結を中心となす令和の世を築くことです。
そのために日本社会の大手術を行うのか。
それとも、自然治癒に近い形で穏便な改革を行うのか。
後者で進めるべきことは明らかです。
けれど、日本人が覚醒しないなら、もしかすると神々は大鉈(おおなた)を振るう前者を選択するかもしれません。
お読みいただき、ありがとうございました。

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