| 「ねずさんのひとりごと」は、ドメイン変更をしました。 ブックマークに登録してくださっている方は、登録変更をお願いします。(ドメイン変更日:2019年5月26日) 旧ドメイン:http://nezu621.blog7.fc2.com/ ↓↓↓ 新ドメイン:http://nezu3344.com |

人気ブログランキング応援クリックは←こちらから。いつもありがとうございます。
| 平成31年度倭塾動画配信サービス受講生募集中 |
| 少し考えたら誰にでもわかるあたりまえのことですが、多くの人々にとって幸せな社会は、左右両極端な社会ではありません。 なぜならどちらともつかない中間層こそ圧倒的に多いのが世間というものだからです。 その中間層にある圧倒的多数の人々が、豊かに安心して安全に暮らせる社会こそ求められる社会です。 二極化思考は対立や闘争を求めますが、圧倒的多数の中間層が求めるものは和と共生です。 そこにこそ最も大切な道があると思います。 |

よく聞くことに、
「世の中は二つに分けて考えることができる」
という言葉があります。
世の中のすべての事柄を、敵か味方か、是か非か、上か下か、右か左か等々、世の中のすべてを二つに分けて考えようとする見方や考え方です。
この派生として、世の中を三つに分けて考える、などというものもあります。
大昔からある言葉であり、特に近代以降は共産主義思想が特にこうしたものの見方を「科学的」などと偽ったことから、ずいぶんと普及した言葉です。
しかし私は、それは間違っていると思います。
トップに載せた画像は、いわゆる正規分布ですが、右か左かで分けようとする人の多くは、たいていの場合、左右の両極端の人たちです。
しかし、世の中の多くの人たちは、図の真ん中の紫色や青の部分にいるわけで、しかもそのほとんどの人たちは、自分が右にいるのか左にいるのかさえ、あまり自覚がないものです。
そして多くの場合、図の左右の0.13%の人たちが、互いに右か左かで争っています。
20世紀は、こうした左右両極端の人たちが、互いに対立し闘争することが、なにやら正義とされてきた時代です。
連合赤軍や極右の人たちが、互いに対立し闘争し、さらにその0.13%の人々の間でさえ、互いに闘争しあい対立しあってきました。
けれど、少し考えたら誰にでもわかることですが、世間の多くの人たちは、誰もそのような抗争を愛してなどくれないものです。
そもそもの話、多くの人々にとって幸せな社会というのは、左右両極端に振れたような社会ではありません。
中央にある圧倒的多数の人々が、豊かに安心して安全に暮らせる社会こそが求められる社会です。
つまり大切なことは、対立でもなければ闘争でもない、極端な議論でもない、中庸を重んじた和の世界こそ、人々が最も求める社会です。
日本の歴史が持つ凄みというのは、まさにこの圧倒的多数を占める中間層の人たちをこそ「おほみたから」とし、その「おほみたから」の人たちが豊かに安全に安心して暮らせる社会を築く努力を重ねてきたところにあります。
ここが、人口の95%を奴隷とし、1%の人々が支配層を形成してきた世界と大きく違うところです。
ヨーロッパ型の社会は、その1%の人々の身分を固定し、その固定化された人たちだけが幸せであることを希求した社会を形成しました。
米国はこれを、誰にでも1%に入るチャンスがある社会にすることを理想に掲げ、これをアメリカン・ドリームとしました。
しかしそれが1%の人たちだけの贅沢や幸せでしかないことは、いまなお米国社会が抱える大きな問題となっています。
日本は逆の文化を形成してきました。
95%の人たちの幸せのために、1%の人たちが責任を持つという社会を形成しました。
このことは武家社会を見ても一目瞭然です。
武士たちが借金まみれであったことは、少し歴史をかじった人なら誰でも知っていることです。
お読みいただき、ありがとうございました。

人気ブログランキング
↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
講演や動画、記事などで有償で活用される場合は、
メールでお申し出ください。
nezu3344@gmail.com

