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戦後、日本を解体するために、GHQは、いわゆる敗戦利得者に利益を与え、理不尽を正義に仕立て上げ、これに成功したということができます。
その日本を、あらためて正常化する。
つまり本来のあるべき姿を取り戻す。
そのためには、同志となる友の和を広げ、取り戻すべき日本のカタチが、日本人にとっての常識になっていく必要があります。
そしてそのことが、より多くの民衆にとっても利益(つまり幸せ)になる道であること。
そういうことを実現していくことこそが、たいせつな大和人の道であるということを、古事記は教えてくれているのだと思います。


20190610 家族の笑顔
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)

古事記の神武天皇の抄に、面白いことが書かれています。
「戦うときは、受益者となるみんなと共に戦え」
というのです。
このことはもっと云うなら、
「戦うときには、決してひとりで戦ってはならない」
ということでもあります。

どういうことかというと、神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれひこのみこと、後の神武天皇)は、九州から大阪までやってきたとき、那賀須泥毘古(なかすねひこ)のいち団に突然攻撃を受けてしまうのです。
このとき、神倭伊波礼毘古命の兄の五瀬命(いつせのみこと)も、お亡くなりになってしまう。

どうしようかと途方に暮れていると、天から刀(かたな)を授(さず)かるのです。
この刀は、なんと建御雷神(たけみかづちのかみ)が中つ国を平定したときに用いられた御神刀です。
スラリと刀を抜いただけで、敵も味方もみなフラフラと倒れてしまう。
いまでいうなら核弾頭付きの刀を手に入れたようなものです。
そして天が刀を授けてくれたということは、これは、
「悪に対しては断固戦え」
ということが天の御意思であるということです。

そこで勇んで神倭伊波礼毘古命が那賀須泥毘古をやっつけに行こうとすると、神様は
「まだ戦ってはいけない」
とおっしゃるのです。そして
「八咫烏(やたがらす)を遣(つか)わすから
 そのあとを付いて行きなさい」という。

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それで仕方がないから八咫烏の後をついていくと、いまの和歌山県のあたりの岩陰から、尻尾が生えた人がゾロゾロと出てきます。
この尻尾が生えた人のことを「生尾人(なまおびと)」と言いますが、これは和歌山県人に尻尾があったということではなくて、悪い奴らの収奪があまりに激しくて食べるものもなく、ガリガリにやせ衰えた人たちという意味です。
人間、飢饉におちいってガリガリにやせ衰えると、お尻の肉が落ちて尾骨が飛び出しているようになってしまうのです。

神倭伊波礼毘古命は、こうした人たちを連れて、さらに彼らに食べ物を与えて、彼らの栄養状態を回復させていきます。
そして、健康を回復した仲間たちとともに(その仲間たちというのは、かつて那賀須泥毘古の一団に収奪されてガリガリに痩せ細っていた人たちです)、那賀須泥毘古の軍団と戦い、勝利をおさめていくのです。
この戦いのときに神倭伊波礼毘古命が飛ばした檄(げき)が、有名な、
「撃ちてし止まん」です。

こうして悪を滅ぼし、平和を回復し、人々が安心して農業で暮らせる社会を回復させた神倭伊波礼毘古命が、橿原の地に都をつくり、そこで発したのが、我が国の「建国宣言」です。

その建国宣言に述べられていることは、
「みんなが家族となって、ずっと仲良く暮らしていこう」
ということです。
これが日本建国の事始めです。

古事記はここで重要な三つのことを教えてくれています。
1 理不尽には断固戦え
2 戦うときは受益者となるみんなと共に戦え
3 戦いに際しては糧食の手当を十分にせよ
という三点です。

理不尽をただ黙って見過ごしていたら、この世は理不尽な世の中にしかなりません。
ならば断固戦う。
これは当然のことです。

けれども、たとえば学校でイジメを受けて、腹がたったからといじめっ子をぶん殴ったら、殴った側が悪いとされます。
つまり本当の被害者と加害者の地位が入れ替わってしまいます。

ところがよく考えてみれば、いじめっ子によって迷惑を被っているのは、自分ひとりだけではないのです。
(もし自分ひとりだけなら、自分の側の非を考えなければなりません)
そうであるならば、イジメによって困っているみんなとともに戦う。立ち上がる。
そうすることによって、戦いはみんなの気持ちを代弁するものとなります。
これが「正義」です。

逆に言えば、どんなに自分では「正しい」と思えることであっても、世論が味方に付かないうちは、それは単なる意見であって、正義ではない、ということです。
意見と正義の違い。
それは、みんなの気持ち(民意)がそこにあるかないかの違いです。

このように申し上げると、いまは法治の時代だから、法こそが正義なのでは?と思われる方もおいでかもしれません。
しかし法が万能なら、裁判所は要りません。

三つ目の食料もとても大切なことです。
古事記の神倭伊波礼毘古命の抄は、そのために何年もの歳月をかけて、神倭伊波礼毘古命が九州から中四国、そして瀬戸内海一帯の食糧生産高を急激にアップしたことが書かれています。
その食料の余剰生産高をもって、紀州から熊野にかけての人々の栄養状態を回復させ、元気を取り戻した人々とともに戦う。
ひとことでまとめてしまえば簡単そうに見えますが、現実にこれをやるとなると、ものすごくたいへんなことです。
だからこそ神武天皇は「倭(やまと)の神といわれた毘古(男)」という諡(おくりな)が付いたといえます。

不条理や理不尽とは、断固戦うべきです。
けれど戦うためには、その戦いが正義でなければならない。
その正義とは、民意です。
民意が動かなければ、ただの意見でしかない。
そして古事記に描かれた食とは、見方を変えれば民衆の利益ということになります。
みんなが豊かに安全に安心して暮らせるようになるために、その障害となる不条理や理不尽と断固戦う。
そのためには周到な準備が必要であるということです。

戦後、日本を解体するために、GHQは、いわゆる敗戦利得者に利益を与え、理不尽を正義に仕立て上げ、これに成功したということができます。
その日本を、あらためて正常化する。
つまり本来のあるべき姿を取り戻す。
そのためには、同志となる友の和を広げ、取り戻すべき日本のカタチが、日本人にとっての常識になっていく必要があります。
そしてそのことが、より多くの民衆にとっても利益(つまり幸せ)になる道であること。
そういうことを実現していくことこそが、たいせつな大和人の道であるということを、古事記は教えてくれているのだと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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