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| 民度の低い国では、日本社会では極道の世界にしかないような現実が、普通の家庭の現実になります。 もっとも近年では、日本人も民度が下がり、まるで八つ墓村のような奇怪で残酷な事件が起こるようになりました。 これは国を挙げて、民度の底上げを図らなければならない事態です。 |

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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)
修身は、「身を修(おさ)める」と書きます。
「修」という字は、もともと髪を洗う姿の象形で、そこから「洗い清める→正しく整える」といった意味を持つようになり、立派な人になるために身を修めることを「修身」というようになりました。
戦前戦中までは、修身の授業が必須課目となっていました。
いまでは、小学校の次は中学、高校と一直線しかありませんが、戦前戦中までは小学校を卒業すると、生徒それぞれの適性に応じて、普通の中学、専門技術学校、師範学校、陸海軍予科など、様々な進路が用意されていました。
その子の気質というのは、小学校くらいでもう出てしまうものです。
たとえば、皆さんのお住まいの地域に幕府をつくるとします。
みなさんは、そのとき何をして幕府つくりに貢献されるでしょうか。
真っ先に思い浮かぶものです。
それは、ひとによっては、町の街区つくりであったり、将軍のお住まいをどのように建設しようか、将軍の料理をどうしようか、将軍や武士たちの服装をどうしようか、みんなの食事をどうしようか、どのような鎧や兜をつくろうか、掃除はどのようにしようか、決まりや規則をどのようにつくろうか、食品や建設用資材をどのように運搬しようか等々、幕府作りには様々な職種があり、そのなかで、自分はこれをしよう、あるいはこれなら出来る、といったものが自然に浮かぶことと思います。
大人になれば、自分の適性にあっていようがあっていまいが、それを行うことができます。
けれど、自分の気質や適性にあっていないことは、やると疲れるものです。
たとえば、外で飛び回ったり、人と接するのが好きな営業肌の人に、経理の帳面付けを延々とやらせたら、たぶん、疲れます。
その逆も同じです。
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要するに人には、持って生まれた適性があるのです。
そしてその適性(あるいはその人の気質)は、小学校高学年くらいになると、もはやくっきりとするものです。
ですから昔は、小学校卒業時点で、その子にもっとも適した選択肢を教師も、そして国も与えたのです。
学校の先生は、ですから「この子は民衆のリーダーになれる才能を持った子」あるいは、「学者にすべき子」とわかれば、親のところにいって、頭を下げてでも上級の学校への進学を勧めたものです。
ときどき「俺は小学校しか出ていないんだ」という人が、社長さんとして大成している姿にお目にかかりますが、これもまた、小学校の先生が、「この子は勉強よりも、実業の方が向いている」と判断したから、進学よりも働くことを勧めたのです。
そしてそのとおりにその人は人生をひらき、栄達されているわけです。
大人になると、自分を誤魔化すことを覚えますから、自分に向いていない仕事でも、生きるためにと、その仕事に打ち込み、人一倍努力することで、その仕事で成功することも、もちろんあります。
けれどそういう人であっても、定年退職後には、やはり自分のもとの気質のもとに戻っていきます。
戦後、学校キライな若者が増えたといいますが、これはある意味当然のことで、勉強がキライなこどもに無理やり勉強を教えても、身につきません。
それを、高校に入ってもアルファベットを最後まで言えないような子と、勉強が好きで、知識を得ることが大好きで、もっと勉強したいという子どもたちと一緒にするから世の中がおかしくなります。
そもそもいまでいう学校のことを「學校」と書きましたが、「學」という字は、ひとりの子供を複数の大人が、立派な大人に育てるために引き上げる、という意味を持つ漢字です。
そして立派な大人というのは、常に周囲の状況を考え、洞察し、ちゃんとした判断と行動ができる人です。
判断をするためには、判断のもとになる価値観が必要です。
そしてその価値観のもとになる知識を學ぶのが修身教育でした。
修身は、その子の価値判断の元になる材料を提供することで、子供たちが自分で考え、正しい行動ができる子に育つように考えられて教育に使われていたものです。
学制は明治のはじめに敷かれましたが、そもそも初期の頃の小学校では、国語・算術・修身の三科目しかありませんでした。
それくらい、実は修身教育は大切なものなのです。
修身教育を「価値観の押しつけだ」とわめく人たちがいますが、馬鹿げた話です。
野球をするには、野球のルールを知らなければなりません。
社会人となるには、社会人としてのルールが必要なのです。
それが修身教育です。
戦後は修身ではなく、道徳の授業となりました。
道徳の徳という漢字は、「彳」+「悳」で成り立つ字です。
徳という字は、四のようなところが「横目」と言って、目を表します。
目という漢字は、それを「縦目」で書いたものですがが、「悳」と書くと、真っ直ぐな心を意味するとすぐにわかります。
「彳」は「行」という漢字の省略形ですから、「徳」というのは、真っ直ぐな心で進むこと。
別な言い方をすると、「美しい心で進む」ことが「徳」の意味です。
つまり道徳とは「真っ直ぐな心で生きる道」を意味しますが、ということは道徳の授業では、何が真っ直ぐな道なのかを明らかにしていかなければなりませんが、それこそ「価値観の押し付け」です。
これを修身と一緒にされたら困ります。
修身は、「身を洗い清めて整える」ですから、何が正しくて何が間違っているのかという価値判断のもとになるものを學ぶものです。
ところが道徳は「生きる道を示す」のですから、子供たちに特定の価値観を強制するのではないかと批判されると身動きがつかなくなるのです。
ついでに申し上げますと、倫理というのは、「倫」という字が、筋道をたてることを意味する漢字で、「理」は玉を磨くことを示す字です。
つまり筋道を立てて玉を磨く、すなわちカントはこう考えた、デカルトはこうだった、ソクラテスはこう説いた等々を学ぶだけの学問です。
そこに価値判断はありません。
私は修身教育の復活を何より望んでいます。
修身というと、すぐに戦前の軍国教育復活だとか言って騒ぐ人たちがいますが、それはきわめて無責任な意見というべきです。
子供たちの未来に、すこしでも豊かで安全で安心できる社会を提供していくことは、大人たちの責任だからです。
現実に毎日のように凄惨な犯罪が報道されています。
社会を安全で安心できる社会にするためには、もちろん犯罪者を逮捕したり処罰したりすることも大切ですが、それと同時に、社会そのものの質を向上させていく努力が必要です。
そして社会というものは、社会を構成している人々がつくるものです。
ということは、社会全体の質を向上させなければならないのです。
そうすることで凄惨な犯罪が減るのです。
学校の平均点と同じです。
学校全体の平均点を上げるには、方法は3つです。
ひとつめは、成績の上位者に、より成績が上がるように特別な教育を施す。
この場合、成績下位の者は、そのまま滞留します。
ふたつめは、成績下位の者を退学処分にすることです。
しかし世の中は分布なのです。
学校から不良を追放すると、残りの生徒の何%が、不良になります。
つまり、何の解決にもなりません。
みっつめは、全体の平均点を上げるです。
全体のレベルを上げると、トップ集団はもっと成績が良くなり、下位の集団も全体に底上げがなされていきます。
このことは国単位でみればより一層明確です。
日本人は全体に民度が高いと言われますが、逆に民度の低い国では、日本社会では極道の世界にしかないような現実が、普通の家庭の現実になります。
もっとも近年では、日本人も民度が下がり、まるで八つ墓村のような奇怪で残酷な事件が起こるようになりました。
これは国を挙げて、民度の底上げを図らなければならない事態です。
もし国会にそのようなことができる機能がなく、メディアにもないとするなら、国の形そのものをあらためてつくりなおす必要があります。
修身は全体の平均レベルを上げるためのものです。
道徳ではないのです。
修身だからできることです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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