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今頃は美しいアヤメが、そこここで観られますが、
「アヤメ」と「ショウブ」と「カキツバタ」。
この3つ、なかなか見分けが付きにくい。
そんなことから「いずれアヤメかカキツバタ」などとも言われます。
そこでこの3つの簡単な見分け方をご紹介します。

「いずれアヤメかカキツバタ」という言葉は源頼政(みなもとのよりまさ)の故事に由来します。
頼政は、源三位(げんざんみ)とも呼ばれた人です。
保元の乱と平治の乱を勝ち抜き、平氏政権下でも中央政界にその地敷を固め、最後は以仁王と結んで平氏打倒の挙兵するけれど、宇治平等院の戦いに敗れて自害した人として知られています。
たいへんな剛勇の人で、第76代近衛天皇(このえてんのう)のご治世のとき、都に出た鵺(ぬえ)と呼ばれる妖怪を退治したという逸話があります。
鵺(ぬえ)というのは、猿顔で、胴体は狸に似て、手足には虎の爪があり、尾は蛇のような姿をしているという恐ろしい妖怪です。
この退治のあと、近衛天皇から恩賞として源頼政に下賜された刀が「獅子王」で、いまではこの刀は重要文化財に指定されています。
こういうものが、いまでもちゃんと残っているというのが、どこぞの下品な国とは異なる日本の凄みです。


鵺退治のあと、源頼政がいただいた恩賞は、実は刀だけではありません。
鳥羽院(第74代天皇、後に上皇)からは、天下に名高い美女の「あやめ御前」を与えられることになりました。
このように書くと、日本の中世社会は男尊女卑で女性は差別され、まるでモノのように扱われていたのだとか、すぐに言い出す人がいますが、全然違います。
当時も、女性の側が「嫌だ」といえばそれまでの話で、要するにこの故事は、源頼政という当代随一といって良い教養人で、かつ剛の者である源頼政に、鳥羽院が院に勤める美しい女性に、今風にいうなら「お見合い」を薦めたというに近い。
このとき鳥羽院は美女二人に、あやめ御前と同じ服、同じ化粧をさせ、三人の美女を源頼政の前に出して、
「どれが本物のあやめ御前か、見ごと当てたら御前を譲ろう」と申されました。
三人とも、ものすごい美女です。
困った源頼政は、そこで即興で歌を詠みました。
それが次の歌です。
| 『ねずさんのひとりごとメールマガジン』 |

五月雨(さみだれ)に 沼の石垣水こえて
いずれかあやめ 引きぞわづらふ
こんな歌が即興で詠めてしまうのですから、すごいです。
歌の意味は、簡単に言ったら「あまりに美しくて感情がたかぶり、どの姫があやめ御前かわからず病になってしまいそうです」というものです。
鳥羽院はこの当意即妙の頼政の教養の高さにいたく感激され、あやめ御前を頼政に下賜されました。
この故事が講談などで語り継がれ「いずれあやめか、かきつばた」になりました。
百人一首には、源頼政の娘の二条院讃岐の歌が92番にあります。
父の源頼政は、世の中の平穏を取り戻したいという以仁王の情熱に打たれ、平氏の追討を計画し、敗れて自害しています。
つまりこの時代においては反乱者であり、娘の讃岐は、その意味では犯罪者の娘です。
けれど彼女はとても優秀で、頼政の人柄を惜しむ人も多かったため、なんと後鳥羽天皇の中宮任子(のちの宜 秋門院)に出仕を命ぜられています。
武家の女性としては、この上ない栄達です。
時代劇などでは、悪役として描かれることが多い源頼政ですが、どれだけ人望があったかということが、この一事でも分かります。
娘の讃岐は、
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
人こそ知らね かわく間もなし
と詠みました。
「潮干に見えぬ沖の石」は、引き潮になってもまだ見えない海面下の石のことです。
平家全盛の時代にあって、隠れて見えなくなってしまっているシラス国の本来の姿を、讃岐はこのように詠み、世に平穏が戻らないことを、涙が「かわく間もなし」と歌ったのです。
さて、では「あやめと菖蒲とかきつばた」は、どのように見分けたら良いのでしょうか。
実は覚えてしまえば簡単なことです。
▼あやめ
まず、いちばんわかりやすいのが「あやめ」です。
「あやめ」は、漢字で「文目(あやめ)」と書きますが、まさに字のとおり、花の根元が「あみ目模様」になっています。

よく、「文子」さんと書いて、「あやこ」さんと読む方がおいでになりますが、「文(ふみ)読む子」ではなくて、あえて「あやこ」と読む名を付けた親御さんは、あやめ(文目)のように可憐で清楚、美しく育ってもらいたいという親心なのかもしれません。
最近では、アヤメもショウブも、どちらも漢字で「菖蒲」とも書いたりしますが、これはとてもまぎらわしいことです。
ショウブは「菖蒲」で良いですが、アヤメはやっぱり「文目」と書いてもらったほうが、花を見分けるにも良いように思います。
「あやめ」の背丈はだいたい60cm以下で、あやめ、しょうぶ、かきつばたの中では、花も背丈も、いちばん小柄です。
「小柄でも、その美しさは群を抜く。」
また花の根元の編み目模様も、女性の複雑な心をあらわしているかのような感じがして、可憐でとても美しいです。
▼しょうぶ
次に「菖蒲(しょうぶ)」です。
こちらは背丈が80〜100cmになります。
花も3種の中で、一番大きいです。
ですから、「大きいな、背が高いな」と思ったら、まずショウブである可能性が高くなります。
見分け方のポイントは、やはり花の根元です。
菖蒲は、花の根元に、はっきりした黄色いマークが付いています。

▼かきつばた
「かきつばた」は、漢字では「杜若」または「燕子花」と書きます。
背丈は60〜80cmと、文目と菖蒲の中間くらいです。
見分け方のポイントは、やはり花の根元のマークで、「かきつばた」のマークは、「白」です。

さて、今日の記事の冒頭にあるのは、尾形光琳の「燕子花図(かきつばたず)」です。
この絵がどうして「かきつばた」と特定できるのか。
みなさまには、もうおわかりかと思います。
花の根元が白色をしているからです。
それにしても、四季折々の花が咲く日本、長い歴史を持った国日本、本当に素晴らしいですね。
※この記事は2015年5月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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