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新元号が発表されれば、その新しい元号の時代の日本がどのような国になるのか。
過去の元号を見ると、不思議なことに元号はその時代を象徴する元号になっています。
ということは、新元号もまた、ある程度未来予測が可能なものなのかもしれません。

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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)
もうすぐ新元号が発表されますが、その前に元号について、少し述べてみたいと思います。
元号を持っている国というのは、そうそう数があるわけではありません。
なぜなら世界の多くの国々は「宗主国」を持っていた国だからです。
支配された側の国は、支配する側の国の暦を強制されます。
ですから独自の元号は育ちません。
西洋では、国と国が何度もぶつかり、栄枯盛衰を繰り返しましたから、それぞれの国独自の元号というものは育っていません。
ですから宗教上生まれた西暦が用いられています。
西暦というのはキリスト暦のことで、キリストが生まれたとされる年の翌年を紀元1年とします。
紀元のことを「A.D.」といいますが、これは「Anno Domini」の略です。
直訳すると「主の年に」になります。
では仏教国やイスラム国は、そのままキリスト歴を用いるのでしょうか。
合理主義の観点から、比較的短期間に変わる元号より、西暦を用いたほうが良いという意見もあるようです。
なるほど仄聞したところ、少しは説得力のある意見のように聞こえます。
しかしそもそも合理主義とは一体なんのためにあるものなのでしょうか。
我が国は、イザナキ・イザナミ以来「豈国(あにくに)」・・・すなわち「よろこびあふれる楽しい国」を目指してきた国です。
つまり目的は「豈国」にあるのであって、合理主義は、それを実現するための手段でしかありません。
その目的を失って、ただ手段だけに陥ることが、国として、あるいは個人として、本当に幸せなことなのでしょうか。
我が国でも、古くはChina皇帝に朝貢をしていた時期があり、その頃はChinaの元号による暦をそのまま用いました。
けれども、西暦645年、中大兄皇子の建白によって、皇極天皇の名のもとに我が国は独自の元号を用いるようになりました。
これは我が国が、上下と支配、支配と収奪を国是とする中華文明から決別し、なによりも「おほみたから」である民衆の幸せを第一とする国家を形成することを目的としたものです。
こうして最初の元号である「大化(たいか)」が生まれました。
「化」という漢字は、変化することを意味する漢字です。
日本は、このとき世界に向けても、また国民に向けても、「日本はこれから変わるよ」と宣言したのです。
だから「大化」という元号が着いたのです。
以来1374年、日本はずっと民衆こそ「おほみたから」という国柄を希求し続けてきました。
考えてみて下さい。
たとえば全国にある江戸時代やそれよりももっと古い時代から続く伝統工芸品、たとえば焼き物や筆、切子、織物、塗り物、南部鉄器、人形、絵画など、すべて民芸品です。
西洋や大陸にある伝統文化と称するもののほぼ全てが王侯貴族のために造られ献上され発展してきたことと、我が国の文化は、その根幹がおおいに異なっています。
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ようするに日本が独自の元号を持ったということは、日本が中華皇帝の柵封(さくほう)を離れ、独自の文化を希求する自立自尊の道を歩み始めたことを意味します。
つまり独自元号は、国の誇りなのです。
ちなみに縄文の昔には、日本はどうやら独自の暦をすでに開発していたことが明らかになっています。
それが岐阜県下呂市金山町の金山巨石群です。
この遺跡からは、明らかな太陽暦の観測跡が見つかっています。
いまから6000〜7000年前のものです。
『書経』の「堯典」には伝説の帝の尭(ぎょう)が、四方の神ともいわれる義氏と和氏に対して、日の長さと星の見える時期により、暦を定め国土を治めるよう命じたと書かれています。
その暦は、月の運行に加えて、春分や秋分、夏至や冬至を加味して暦を記したのだそうです。
このため一年の日数を360日にして、閏月を入れて暦が四季と合うようにしていました。
実はこれが近年「旧暦」と呼ばれる「大陰太陽暦」の始まりです。
ところがが、『契丹古伝』によると、その尭(ぎょう)は、倭人であったと書かれています。
契丹は、日本と盛んに交易(日本海交易)をしていて豊かだった渤海国を滅ぼして、その交易利権を手に入れようとした国ですから、古代Chinaの堯舜伝説(堯も舜も、とても優良な君主であったとされています)は、倭人でなければなしえないと考えたのかもしれません。
ちなみに「倭」という漢字は「小さい人・小柄な人」を意味する蔑称だから、あまり良い意味の漢字ではないと言われていますが、実はそうばかりではありません。
「倭」という漢字は「亻(ニンベン)」に、「禾(のぎ・稔った稲穂)+女(稲穂に傅(かしず)く女性」の象形で成り立っていますが、これは「稔った稲穂にかしずく女性のもとにある人々」を意味する会意象形文字です。
まさに天照大御神から斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅を受けて、稲作をして暮らす心優しい人々を象徴する、実はもともとは、たいへん良い意味の漢字だったのです。
ところがそうした倭人たちが、小柄な人が多かったことから、Chinaにおいて後に背の低い人を意味する蔑称として使われるようになり、このため我が国は国号を倭国から日本に改めました。
ちなみに「倭」も「日本」も、訓読みはもともとは「やまと」であったものが、奈良時代以降に音読みが流行し、「ワコク、ニッポン」と音読みされるようになりました。
いずれにしても、金山巨石群が証明していることは、日本はかなり古い時代(6〜7千年前)から、独自の暦を持っていたということです。
それが、いつの頃からか、Chinaとの交易の都合上、Chinaの暦が用いられるようになっていたものを、皇極天皇の時代に、あらためて我が国は独自元号を定めて、自立自尊を内外に宣言したわけです。
このとき実質的に実務を担われたのが中大兄皇子で、その人が後の天智天皇であり、百人一首の一番歌の作者です。
こうして「大化(たいか)」に始まった我が国の元号は、平成までに合計231個の元号が用いられて現代に至っています。
次の新元号は、我が国の232個めの元号になるわけです。
おもしろいのは、元号は、振り返ってみると、不思議なほど、それぞれの時代を象徴します。
たとえば明治、大正、昭和、平成を振り返ってみます。
明治は、「治(し)らすを明らかにする」と書きます。
徳川幕藩体制を改め、明治天皇を中心にして、あらためて日本の形を整えたのが明治時代です。
そしてこの時代に、我が国は大日本帝国憲法を制定し、民衆を守るために日清日露の戦いに勝利し、世界に向けて天皇の統治する有色人種国の日本が、西洋の列強諸国と対等に立ち向かうことができることを見事に証明してみせました。
まさに明治は、世界に向けて治らすを明らかにした時代であったわけです。
大正は「大いなる正しさ」という元号です。
この時代の我が国は、大正デモクラシーに象徴されるように、モダンガール、モダンボーイといったニュー・エイジたちが、最先端のファッションを楽しむという時代でした。
それは明るい庶民の暮らしこそ、正しい政道であることを証明した時代ともなりました。
昭和は、「和を昭(あきら)かにする」と書きます。
「和」という字の訓読みは「やわらぎ、のどか、なごむ」ですが、この時代の日本は、世界に向けて人種の平等を高らかに宣言し、そのために一度は国土を焼土にしながらも、再び立ち上がって世界の有色人種諸国の自立を促し、世界の人々が幸せに暮らす道を示して行きました。
平成は、「塀の内側に矛を貯めて平らかにする」という意味を持つ漢字です。
平成に入ってからの日本は、経済成長がずっと横ばいとなり、だから不景気だ、不況だ、世界各国との経済格差が開いて世界第二位の経済大国だったものが、2017年には第三位に転落した等々と、マイナス面ばかりが強調されていますが、振り返ってみると、なるほど平成元年頃に千円だった品物は、いまでも千円で売られているものの、その中身は大きく変化しています。
経済というのは、規模の成長だけではなくて、見えない成長も実はとても大切なことです。
バブルの頃の贅をつくした高級車と、あれから31年経ったいまの高級車を比べてみると、その快適さ、走行性能、燃費などは、格段の差があります。
外食などの食事にしても、30年前といまと、値段は変わっていないけれど、その美味しさは、まるで隔世の感があります。
値段は変わらないけれど、中身がものすごく進化しているのです。
まさに経済規模の成長は平らで横ばいだけれど、その中身は見事に成っている。
それが平成という時代であったように思います。
意外なことに、元号は、振り返ってみるとその時代を象徴する元号になっているのです。
古事記を学ぶとわかるのですが、天照大御神のお言葉というのは、常に「結果」です。
たとえば、葦原の中つ国の平定のところでは、高天原におわされた天照大御神が、
「中つ国は我が皇子の知らす国である」
と述べられて、これがもとで結果として天孫降臨が行われ、そこからはじまる皇統が現代まで続いているのですが、これは天照大御神が天孫によって中つ国が治められることを最初に希望したのではなくて、最終的にそのようになるという結果を示されたお言葉です。
すこしわかりにくいかもしれませんが、最高神というのは時空間を超越した存在ですから、未来も過去も超越して存在します。
最高神にとっては、時間軸は過去から未来への一方通行ではなく、未来も過去もひとつのかたまりでしかないのです。
そして我が国は、その天照大御神から三大神勅を頂いて始まった国です。
すこし繰り返しになりますが、斎庭の稲穂の神勅によって、我が国は稲作を中心とした国つくりが行われました。
「倭」という稔った稲穂に女性がかしずく人々という字は、実はそのまま古代の女性を中心とした平和な社会を想起させます。
以来、何千年経つのかわからないほど長い歳月を、私達日本人は、この日本という国の中ですごしています。
人が人と殺し合うのではない。
どこまでも、互いに協力しあって稲作をして平和に生きることを選択した国であること。
日本の元号が意味する根幹は、実はここにあります。
さて・・・次の元号はどうなるか。
ちなみに個人的には「建知(けんち)」という元号なんて、いいな、と思っています。
「知らすを建てる」という意味です。
新元号が発表されれば、その新しい元号の時代の日本がどのような国になるのか。
ある程度が予測可能ということは、やはり元号は、神様とつながる天皇の勅であるということのひとつの証明であるのかもしれませんね。
お読みいただき、ありがとうございました。

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