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「わび・さび」はうつろいゆくものに見出す価値観で、日本文化の精華であり、日本が失ってはならない高度な文化です。
けれどこのことは、我が国が「天皇のシラス国」という変わらぬ一点の不動の価値を持つからこそ、生々流転、うつろいゆく政治、うつろいゆく権力、うつりゆく自然や草木などに「わび・さび」を感じるという独特の文化となったのです。
この一点を失えば、「わび・さび」の文化も消滅します。

20190326 わびさび
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
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日本文化を語る言葉として、
「侘(わ)び」
「然(さ)び」
などと言った言葉が使われることがあります。
では「わび、さび、幽玄」とは何か、どのようなものなのか、あるいは「わび」と「さび」の違いはなにかなどと言われると、つい答えに窮してしまうことも多いのではないかと思います。
日本大百科全書によれば、わび、さびは
◇わび【侘び】
日本人の美意識の一つで、貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識。
◇さび【然び】
美的理念。閑寂ななかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさをいう。
とあります。
しかしこの説明では、多くの人はいまいち意味や違いがわからないのではないでしょうか。
すくなくとも、私にはわかりかねます。
そこでもうすこし噛み砕いてみます。
「わび」はもともと「わびしさ」から、
「さび」は「さみしさ」から来た言葉です。
ただ、「わびしさ」や「さみしさ」が、人のその時点における感情を意味する言葉であるのに対して、「わび、さび」は、もうすこし動的な意味合いを持ちます。
すなわち、人や自然、あるいは道具類などが、経年変化し、移ろい行くさまの中にある、一定のわびしさやさみしさが「わび、さび」になるのです。

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20190317 MARTH


たとえば、日本では、ビルやホテルのロビーに生花を飾りますが、それらは必ず生きた花を用います。
そもそも華道における生け花では、造花を使うという発想自体がまったくありません。
一方South Koreaでは、ビルやホテルのロビーに飾られた豪華絢爛な花は、ことごとく造花です。
いまこの瞬間が豪華絢爛であれば良いからです。
ところが日本人は、造花で演出された豪華さには、あまり反応はしません。
あくまでも生花であって、その生花の美しさを一瞬の形状にとどめたものを美しいとします。
そしてさらに豪華絢爛の対局にある、いちまつのさみしさを感じさせる生花の造形に、ためいきがでるほどの感動を覚えます。
それが「わび、さび」の世界です。
なぜ生花にこだわるのかといえば、生花は「うつろいゆくもの」だからです。
いまこの瞬間には豪華絢爛だった花が、2〜3日経つと花びらが落ち、その豪華さが失われていきます。
その失われ行く姿の中に、日本人は「わび、さび」という美しさを感じるわけです。
このとき、クシの歯が抜けたようになったものが「わび」です。
その「わび」た状態を最初から演出するものが「さび」です。
そこに経年変化を感じ取り、その変化の中に美しさを見出します。
「平氏にあらずんば人でなし」とばかり権勢を誇った平家が壇ノ浦で滅亡し、かつて平家一門が住んでいた都の屋敷跡が寂寥感ただよう廃墟となっている。
往時には、人の往来が絶えなかったその屋敷の門も、いまや通う人もなく、荒れた門前をさらしている。
それが「わび」です。
そしてそうした平家一門の栄華と滅亡を、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」と過ぎ去った昔を感じ取る心が「さび」です。
もうすこし例をひいてみましょう。
西洋美術は絵画にせよ彫刻にせよ庭園建築にせよ、瞬間の美しさをそこに留めようとします。
美しい瞬間を永遠に留めようとするのです。
経年変化ではなく、美しかった一瞬をとどめようとするのです。
これに対し日本人は、絵画でも彫刻でも庭園でも、変化そのものを楽しもうとします。
典型的なのが日本庭園で、季節ごとの美しさのみならず、庭園内のどの位置からでも、違った角度で楽しめる。
つまり、変化することを楽しむことを前提として造園されています。
そしてその変化によって失われていくものの中に、わびしさや、さびしさを感じる心を大切にしようとし、これが
「わび、さび」という美意識につながっていくわけです。
では、日本人はなぜ、そのような変化するものに美を見出そうとするのでしょうか。
実はこれには理由があります。
変化に美を見出すのは、片方に「不動のもの」があるからなのです。
千年経っても変わらない不動のものがあるから、経年変化するものを容認し、さらにその中に美を見出すのです。
もっというなら、万古不易(ばんこふえき)の不動の価値があるからこそ、うつろいゆくもの、変化するもの、失われていくものを愛(め)でようとする心が養われるのです。
このことは、逆に「不動のもの」がないときを考えるとわかりやすいかもしれません。
「不動のもの」がなければ、得ることばかりをもてはやすことになります。
たとえ造花であっても、目を奪うような豪勢なものであれば、それで良いということになるのです。
では、私達日本人にとっての「万古不易の不動のもの」とは、一体何でしょうか。
それが「天皇のシラス国」ということです。
これ以外は、すべて枝葉末節です。
幾千年の昔から、天皇によって我が国の民衆は黎元(おほみたから)とされてきました。
そして民衆が「おほみたから」であればこそ、たとえば統治者層である武士たちの合戦も、武将同士が互いに民・百姓を守るために武士たちだけで行われてきました。
つまり我が国における唯一絶対の真実というのは、
「民衆こそが神につながる天皇のおほみたからである」
という一点に尽きます。
このことを「シラス」といいます。
「わび・さび」はうつろいゆくものに見出す価値観で、日本文化の精華であり、日本が失ってはならない高度な文化です。けれどこのことは、我が国が「天皇のシラス国」という変わらぬ一点の不動の価値を持つからこそ、生々流転、うつろいゆく政治、うつろいゆく権力、うつりゆく自然や草木などに「わび・さび」を感じるという独特の文化となったのです。
この一点を失えば、「わび・さび」の文化も消滅します。
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