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桜の季節がもうすぐそこまで来ました。
そこで桜にちなんだ歌をご紹介したいと思います。

川面の桜
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)

 花さそふ比良の山風吹きにけり
 漕ぎ行く舟の跡みゆるまで

(はなさそふ ひらのやまかぜ ふきにけり こきゆくふねの あとみゆるまで)
この歌は新古今集に掲載された歌で、詠んだのは右京権大夫源師光の娘の「宮内卿(くないきょう)」です。
1200年ころの女性です。
母方の祖父が高名な絵師であったことから、たいへんにビジュアル性の高い歌を詠んでいます。
上の句の「比良の山」というのは、琵琶湖の南岸の、大津から高島にかけての山並みのことをいいます。
「花誘ふ」というのは、実は「花誘う風」の略で、比良の山から吹いてくる風が、桜の花びらを散らしているさまが描かれています。
下の句の「漕ぎゆく船の跡」というのが、絶妙な表現で、これは川面一杯に散った桜の花びらをかきわけながら、和舟が一艘、進んでいくと、その航跡のところだけが、桜の花びらが退いて、そこだけ水の面が現れる、そんな情景です。
比良の山からの吹き下ろしの風で、桜の花びらが風に舞い、小さな小川の川面いっぱいに、その花びらが散っている。
そこに、和舟が一艘、川面の桜の花びらをかきわけるように、現れるわけです。
すると和舟が通ったあとにだけ、水面があらわれる。
いやはや実に美しい光景です。
この歌を本歌取りして詠まれた歌があります。
きっとみなさまご存知だと思います。
浅野内匠頭の辞世の句です。
 風さそふ 花よりもなほ 我はまた
 春の名残を いかにとやせん

こちらは「花誘ふ風」ではなく、「風誘ふ花」ですが、その意味は変わりません。
内匠頭の歌は、風に吹かれて散っていく桜よりもなお、名残惜しい私の思いはどうすればよいのだろうか、という歌意になります。
浅野内匠頭は、播州赤穂藩の藩意として、何よりもご皇室の尊厳を第一として勅使下向の接待役をまっとうしようとしました。
ところが一緒に接待役を仰せつかった吉良上野介は、もともと足利家の家臣であり、勅使よりも将軍第一とする家風があります。
そんな吉良上野介との衝突により、我慢の限度を超えて、松の廊下で刃傷沙汰に及び、浅野内匠頭はその日のうちに、切腹を申しつかりました。これが西暦でいうと1701年の出来事です。
つまり、名残惜しい(口惜しい)と詠んでいるわけで、この歌を知れば、家臣たちはなんとしても主君の遺恨を晴らしたいと行動に走らざるをえません。
そういえば、特攻隊を送り出した「なでしこ隊」のみなさんは、桜の一枝を手にして、飛び立つ飛行機を見送りました。これは1945年のことです。
千年前も、八百年前も、三百年前も、七〇年前も、そして今の日本も、日本人は、やっぱり日本人なのです。
その日本人の心に明かりを灯す。
それは、何も大上段に振りかぶることではなくて、ほんのちょっぴり「日本ていいな」と思っていただくだけで良いのだろうと思います。
その小さな連鎖が、やがては大河の流れとなって日本を覆い、日本の正気を取り戻す原動力になるのだと思います。
※この記事は2015年4月の記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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