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お正月には「きんとん」は、白と緑のきんとんを配します。
これは雪の下から新芽が萌え出る様子を表わしている。
さらに梅の頃になると「きんとん」は、赤と白で梅の花となり、11月には、茶色に白い粉糖が振りかけられて「初霜」となります。
同じ中味なのに、その見せ方がまるで違っていて、そのひとつひとつが季節感を漂わせたものとなっている。
そういえば小学校の頃、親が建て前の引き出物でいただいてきたお重の桜のきんとんを、ひとりで全部たいらげてしまって、「お行儀が悪い!」と叱られたことがあったなあ(笑)。

和菓子というのは、日本の伝統的製造法で作られたお菓子のことです。
明治時代以降にヨーロッパなどから新しく日本に入ってきた洋菓子に対して使われるようになりました。
和菓子の特徴といえば、「美的鑑賞にも堪えることを期待されて発達したお菓子」であるということです。
実は参議院議員の中山恭子先生が、拉致被害者の救出に北朝鮮に行ったときのことですが、このとき面白いエピソードがあります。
恭子先生は手みやげにと、ハンドバックの中に、横田早紀江さん(拉致被害者横田めぐみさんの母)が書いた「めぐみ」という本、それと二段重ねのお重に入れた和菓子を北朝鮮に持参されたのだそうです。
北朝鮮に到着し、空港の待ち合い(そこはずいぶんと広い部屋だったそうですが)で、被害者のみなさんをお待ちしている間、北朝鮮の官吏たちが、ずいぶんとやってきました。
そこで恭子先生、持参した和菓子のお重をひらいて、「どうぞ」とお勧めしたのだそうです。
先生は、無事拉致被害者を救出して日本に戻られたのですが、その後に、実は北朝鮮から「きつい苦情」が寄せられました。
その苦情というのが、
「二度と本と和菓子は持ってこないでください・・・」
本は、わかります。
なにせ「めぐみ」を持参したのです。
北朝鮮も、処置に困ったことでしょう。
けれど「和菓子を持参しないでください」とは・・・。
きっと、和菓子を食べた北の職員達が、その美しさと味のやさしさに、心まで溶かされてしまったのでしょう。
和菓子には、そんな不思議さがありますね。
そういえば、和菓子に合うのはやっぱり緑茶ですが、なんとなく不思議に思うことに、ケーキやカステラなどの洋菓子は、テレビを観ながら食べても美味しいけれど、和菓子はテレビがついていると、なんとなくせっかくの和菓子の味の繊細さや見目の美しさを堪能できないような気がするのは、ボクだけでしょうか。
さてこの和菓子、実はとんでもなく歴史の古いものです。
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古くは縄文時代にさかのぼり、どんぐりなどのアクの強い木の実を、砕いて水にさらして団子状にまるめて熱を加えたりして、お菓子として食べていた。
米が作られるようになると、その米を発芽させて「米もやし」にし、そこからでんぷんを採取して、これをなんと糖(水飴)に変えて甘味料として用いていました。
この水飴、なんと初代天皇の神武天皇が、戦勝を祈願して水無飴(水飴)を奉納したという記録が日本書紀にある。
お菓子の神様といえば、田道間守(たじまもり)で、お菓子の縁起の神社に祀られているのだけれど、この人は第11代、垂仁天皇の時代(紀元前70年頃)の時代の人です。
田道間守は、垂仁天皇の病を治すため、不老不死の菓子を求めて「常世の国(とこよのくに)」まで旅だった。常世の国というのは、いまでいうブータンやチベットのあたりの国です。
彼は、艱難辛苦の末、9年後に日本に帰国する。
けれど、このときすでに垂仁天皇は亡くなっておいでになりました。
嘆き悲しんだ田道間守は、垂仁天皇の御陵に詣で、帰国の遅れたお詫びと約束を果たしたことを報告しました。
そして持ち帰った菓子を墓前に捧げ、その場で何日も絶食して、殉死を遂げたとあります。
時代が下って奈良時代になると、734年の「淡路国正税帳(正倉院所蔵)」に、お餅のお菓子(大豆餅、小豆餅など)や、せんべい、あんこ餅などが紹介されています。
さらに平安時代の源氏物語には、椿もちなんてのが出て来る。
鎌倉時代になると、臨済宗の開祖の栄西禅師が、唐から茶を持ち帰り、やがてこれが「茶の湯」となって全国に流行した関係で、茶の湯のあたりとして、甘いお菓子が大流行。
芋ようかんなどは、この時代に誕生しています。
たしかに、渋いお茶に芋ようかんなんて、あうかも・・・!
そうして江戸時代、平和な社会の中で、庶民のお菓子として大ブレイクして発展したのが、いまの和菓子です。
なかでも京都の「京菓子」と、江戸の「上菓子」は、競い合うようにして発展し、さまざまな種類の和菓子が誕生する。
ここで注目に値するのが、和菓子に織り込まれた繊細な季節感です。
たとえば、「きんとん」です。
お正月には「きんとん」は、白と緑のきんとんを配します。
これは雪の下から新芽が萌え出る様子を表わしている。
さらに梅の頃になると「きんとん」は、赤と白で梅の花となり、11月には、茶色に白い粉糖が振りかけられて「初霜」となります。
同じ中味なのに、その見せ方がまるで違っていて、そのひとつひとつが季節感を漂わせたものとなっている。
そういえば小学校の頃、親が建て前の引き出物でいただいてきたお重の桜のきんとんを、ひとりで全部たいらげてしまって、「お行儀が悪い!」と叱られたことがあったなあ(笑)。
江戸時代には、幕府が毎年6月16日に、お目見え以上の武士(直参の旗本)に、江戸城大広間で和菓子を与えています。
これは、平安中期の承和年間に国内に疫病が蔓延した。
そこで仁明天皇が年号を嘉祥と改め、その元年(848年)の6月16日に、16個の菓子や餅を神前に供えて、疾病よけと健康招福を祈ったという故事に倣ったものです。
だから6月16日は、「嘉祥の日」で、いまでも和菓子の記念日となっている。
そして10月から11月にかけてでは、毎年、明治神宮で、和菓子の奉献会が催されています。
この日は、全国から銘菓が奉献されるだけでなく、平安時代の衣装を身にまとった和菓子職人さんが、神前で直接菓子をこしらえて、奉献する。
お菓子は、ただ楽しんだり食べたりするだけでなく、そのお菓子そのものに感謝する。
日本文化ってやっぱり感謝の文化なんだなあとつくづく思います。
それにしても、見目うるわしく、食べておいしく、巧みに季節感を漂わせた日本の職人芸の和菓子。
たまには、しぶ~いお茶で、おいしい和菓子を、おひとついかが?
※この記事は2011年11月のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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