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昔から「人は、本当に好きな人とは一緒になれない」といいます。
それもまた、神々が人に与えた試練なのかもしれません。
これをお読みの方の多くが、右近とまではいかなくても、若いころの結ばれなかった恋や、悲しい別れの思い出をお持ちであろうと思います。
そんな恋の記憶のある方なら、このときの右近の気持ちも、敦忠の仕事一途に打ち込んだ気持ちも、きっとわかっていただけると思います。

冷泉為恭の描いた右近

百人一首38番歌 右近
 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
 人の命の 惜しくもあるかな

右近(うこん)は、平安中期の女流歌人です。
父親が右近衛少将だったことから、宮中では右近と呼ばれました。
右近がまだ十代の頃、藤原敦忠という宮中の貴族と深い恋仲になりました。

敦忠は、時の最高権力者である藤原時平の三男です。
若い頃から楽器が得意で、その演奏は、聞く人の心をとろけさせるような妙味のある男性でした。
楽器をよくする男性は、今も昔も女性に人気です。

右近と敦忠は熱愛になるのだけれど、その敦忠はあるとき、第60代醍醐天皇の皇女である雅子内親王(がしないしんのう)に恋をしてしまいます。
ところがこの頃の敦忠は、まだ身分は従五位下です。
宮中での位が低い。
いくら父親が大物であったとしても、息子に実力がなければ、そうそう簡単には出世はさせてもらえないことは、今も昔も同じです。

そこで周囲の人たちは935年、雅子内親王を、京の都から伊勢神宮の斎宮(いわいのみや)に送ってしまいます。
斎宮(いわいのみや)は、伊勢神宮において天照大御神の依代をする女性で、代々皇女から選ばれました。
この時代の斎宮は、伊勢で500人の巫女を配下に持つ、とびきりのお役目で、当然、男性との恋愛は絶たれます。


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この時点で敦忠29歳、雅子内親王25歳です。
「身分が違うから引き離された」
そう思った敦忠は、
「ならば、その身分に引き合う男に成長してみせる!」
と決意しました。
そして彼はその日から、仕事の鬼となりました。
誰よりも早く登朝し、誰よりも遅くまで働き、誰よりもたくさんの仕事をこなし続けました。

敦忠は出世しました。
もともと頭もよく、俊才で、見栄えも良い男です。
翌年には左近衛権中将兼播磨守に任ぜられ、939年には従四位上参議に列せられ、942年には近江権守、942年には従三位権中納言に叙せられます。

しかし彼の仕事へのあまりに過度な執着は、彼の肉体を蝕みました。
943年の暮には体を壊し、桜の散るころには彼は衰弱して、病の床に伏せるようになりました。

そんな敦忠のもとに、一首の歌が届けられました。
それは、かつての恋人である右近からのものでした。

 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
 人の命の惜しくもあるかな

(あなたは私のことなど、もうすっかりお忘れになっていることでしょう。
 けれど、あなたが病の床に臥せっているとうかがいました。
 どうか一日も早く、お体を回復されますように)

この時代、歌を送られれば、歌をお返しするのが礼儀とされた時代です。
けれど敦忠から右近へ返歌は、ついに届くことはありませんでした。
敦忠は、返歌を詠む前に、あの世に召されてしまったのです。

右近にとって、敦忠は、同じ宮中にありながら、すでに遠い人になっていました。
それでも敦忠を忘れられない右近には、敦忠が雅子内親王への断ち切れない慕情から、無理に無理を重ねて仕事の鬼となっている様子がはっきりとわかっていたのです。
「あんなに無理をしていたら、
 きっとお体にさわります」
右近にとって敦忠への想いは、ただ遠くから見守ることしかできないものとなっていたのです。

そうして十年の歳月が経ちました。
そして敦忠が病の床に臥せってしまったとき、心配で心配でたまらない右近は、ある日、意を決して、敦忠に歌を送りました。
そのときのことが大和物語に書かれています。
たったひとことです。

「かえしはきかず」

つまり「返歌はなかった」のです。
返歌を書く前に敦忠は亡くなってしまうのです。

そんな右近の歌と、敦忠の歌は、両方とも百人一首に掲載されています。
右近の歌は、実に真っ直ぐで一途な愛なのです。

そうそう。この歌について、私の私塾で講義をしたとき、ある方が次のように言っていました。
「敦忠が出世できたのは、もしかしたら右近の一途な気持ちを周りの人も知っていて、それでも一心に仕事に励むからだったのではないでしょうか。」
 なるほど!と思わず膝を打ちました。それは大いにあることだからです。狭い世間です。周囲はみんな敦忠のことも右近のことも知っています。そして雅子内親王との別れを経験した後の敦忠を、右近が一心に思っていれば、周囲は、あんなにまでして独りの女性に愛される男なら、やはり仕事の能力だけでなく、人としての魅力もある男なのだろうと考えるし、それが昂(こう)ずれば、右近の想いを断ち切ってまで仕事に打ち込む敦忠には、自然と同情が集まります。
そしてこのことは、「そんなに一生懸命に仕事をする男なら、では出世させてやろうか」という上司たちの思いを誘うことは十分にあるからです。

昔から「人は、本当に好きな人とは一緒になれない」といいます。
それもまた、神々が人に与えた試練なのかもしれません。
これをお読みの方の多くが、右近とまではいかなくても、若いころの結ばれなかった恋や、悲しい別れの思い出をお持ちであろうと思います。
そんな恋の記憶のある方なら、このときの右近の気持ちも、敦忠の仕事一途に打ち込んだ気持ちも、きっとわかっていただけると思います。

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