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声の大きい者や、自分の欲望のために他を犠牲にして顧みない者、非論理的な身勝手な専横を横行させるような日本になることは決してあってはなりません。
目先の利益のためにと、いたずらに外国人を国内に招く・・それはいったい誰のためなのでしょうか。

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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)
満洲国が建国されて間もない昭和7(1932)年のことです。
夜の十時、新京(いまの長春)の中心街から少し離れた范家屯(はんかとん)の派出所の二階から、遠くの銃声や大勢が走り回る音を聞きつけた五人の巡査達が駆け下りてきました。
一階には、派出所の責任者である川添忠次郎と、妻のシマが勤務についていました。
「いよいよ来たぞ」
「来ないのが不思議だったのだ。
諸君、しっかりやろう。
最後のひとりまで踏ん張るんだ」
覚悟を見せた夫の言葉を、健気なことと聞きながらも、シマの心はさすがに揺らぎました。
けれど、その奥底から湧き出たのは日本魂の言葉でした。
「あなた、皆さんと一緒に早く駅舎へ。本署への連絡は私がします」
「奥さんこそ、早く駅舎裏の塹壕へお逃げなさい」
「いいえ。
ここは私一人でたくさんです。
すぐに追いかけますから、
みなさんは早く行って、
あそこにいる大勢の人たちを助けてあげてください」
夫が決断を下しました。
「そうだ。
連絡は妻にまかせて、
ぼくらは駅へ行かねばならぬ。
さあ諸君!」
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もう賊はかなり近づいてきていました。
銃声が豆を炒るように聞こえてきました。
少なくとも賊は四百を超える多数のようです。
巡査たちは手にピストルを握りしめながら、折から隠れていく月影を幸いに、地面を這うようにして駅舎をめがけて走りだしました。
この年の3月、満洲国が建国されました。
その満洲には、昭和20年の終戦までの14年間におよそ27万人の日本人の満州開拓団が入植しました。
開拓団の人たちは、満洲の荒野を開墾して広大な農場に変え、そこで主として大豆の栽培を行いました。
こうして生産された大豆は、満洲大豆と呼ばれ、日本やヨーロッパなどに輸出されました。
満洲は世界最大の大豆輸出国となり、次々と農地が拓かれ、また農作物を運ぶための鉄道網が整備され、満洲経済は大発展を遂げました。
好況に沸く満洲は仕事も豊富でした。
ですからそこにはたくさんの中国人やモンゴル人、そして当時は日本人だった朝鮮人たちも入植してきました。
ところがその満洲には、人々の労働の成果である冨を武力で奪う匪賊(ひぞく)と呼ばれる人たちがいました。
匪賊というと、なにやらむつかしい言葉に聞こえますが、簡単に言ったらギャングです。
匪賊は、夜陰に紛れて次々と村を襲撃し、民家に火を放ち、食料や衣類等を奪いました。
匪賊は、満洲で昭和7年に出版された『満州Chinaの結社と匪徒』によれば、その数36万人です。
我が国では、真面目にコツコツ働いて、互いが和をもって、道徳的に正しく生きることが美学とされています。
なぜなら民衆は陛下の「おほみたから」と規定されているし、人の肉体には魂が宿り、その魂が人の本体であって、肉体は今生での修行のためのものと考えられてきたからです。
けれど世の中には、そのような考え方をしない人たちもいます。
そのような人たちには、今生での肉体がどれだけ贅沢ができるかという価値観しかありません。
ですから人を騙したり殺してでも、自分が贅沢ができれば良いと考えます。
そういう人たちが食い詰めて満洲まで流れてきて、真面目に働いて生活するのではなく、匪賊と呼ばれるギャングの一味になって、極悪非道の限りを尽くしていたのです。
当時、満洲に配備されていた日本陸軍の関東軍の兵力は、広い満洲全土に、わずか1万2千です。
ですから村人たちの防衛は、主として派出所の警察官の仕事でした。
民家に火を放ち、銃を持って村人たちを容赦なく射殺する匪賊の襲撃に対し、これを少人数の警官たちで村人たちを護ろうとするには、村人たちを塹壕に隠れさせ、壕の入り口に土嚢を積み上げて応戦するしかありません。
そして応戦のうちに、本署から応援を呼ぶことになっていました。
さらにこの時代、本署への連絡ための電話回線は、派出所にしかありません。
ですからそのときも、応援要請は、巡査長の妻のシマが行いました。
夫を含む男性の巡査6人は、先に村人たちの警固へと向かうことにしたのです。
「もしもし、本署ですか。
范家屯(はんかとん)の派出所です。
ただいま匪賊約四百が来襲しました。
戦闘中です。
すぐに応援を願います!」
シマが受話器を置いてほっと息をついたとき、匪賊は駅舎に近づいたとみえて、百メートルばかり向こうの塹壕から銃火が起こりました。
派出所をめがけて近づく賊もいるようです。
こうなると、シマは夫たちを追いかけて壕に行くことができません。
シマは拳銃をとるなり、窓に駆け寄って、闇に迫る黒い影に弾丸を浴びせました。
すると、そこにめがけて賊が銃撃してきました。
シマは応戦しました。
握りしめた拳銃から、火を吐いて飛び出す弾丸が28発目になったとき、シマは左胸に銃弾を受けました。
そしてばったりと倒れました。
ほどなく本署からの応援隊が、匪賊の背後から銃火を切りました。
匪賊はこそこそと高粱の影に隠れて逃げて行きました。
范家屯の人々は、生き返った思いで、避難所から家に帰りました。
これを見届けて、巡査たちも派出所に戻りました。
けれど、その派出所には、血に染まったシマが、まだピストルを握りしめたまま、がっくりと窓で絶命していたのです。
昭和8(1933)年4月25日、シマの魂は、護国の神として、同じく満洲や上海の地に斃れた尊い犠牲者1,698名の英霊とともに、靖国神社に合祀されました。
この川添シマのお話は、大阪府教育会が昭和13年に刊行した『女子鑑』から抜粋したものです。
いくら警察官の妻とはいえ、たったひとり派出所に残り、賊徒の撃つ鉄砲の弾が飛んで来る中を、本部にしっかりと連絡して応援要請をし、さらに並み居る賊徒たちと、たったひとりで銃撃を行うというのは、どんなに心細く、また切羽詰まったことでしょう。
それでも彼女は、最期の瞬間まで、愛する夫を支えるために、無我夢中で戦ったのです。
そういう日本人の、ひとりひとりの愛と熱い正義の思いが、理不尽にも最終的にことごとく粉砕されて、何もかもが奪われてしまったのが満洲の地です。
人々の欲望が優先し、人道がことごとく無視されてきたのが大陸の歴史です。
いま日本で、毎日のように女性がさらわれたり、無残に殺される事件が多発しています。
報道では、犯人の名前は、日本での通名か、もしくは通名がなければ名前そのものが報道されません。
大陸の人、あるいは大昔に、いと醜き醜き穢き国と書かれた半島からの人を多く受け入れれば、必ず同種の問題が起きます。
そしてそれは日本だけでなく、同様に同国人を受け入れた東南アジア諸国、あるいは欧米でもまったく同じ事が起きています。
日本人は、凛として生きることを好みます。
そして論理性や科学的であることを尊びます。
私はそういう日本が好きだし、そんな日本を取り戻すべきと思いますし、そういう日本を守らなければならないと思います。
声の大きい者や、自分の欲望のために他を犠牲にして顧みない者、非論理的な身勝手な専横を横行させるような日本になることは決してあってはなりません。
目先の利益のためにと、いたずらに外国人を国内に招く・・それはいったい誰のためなのでしょうか
もうひとつ、満洲のことを書くと、日本が勝手に満州に国を作ったのではないかなどと、わかったようなことを仰られる方がおいでになるので、付言しておきます。
まず、サンズイのない「満州」と書いている時点で、間違っています。
現代Chinaでは「満州」と書き、さらに頭に「偽」を付けて「偽満州国」と書くことが決まりなのだそうですが、他所は他所です。
ここは日本ですから、本来の昔からある正式な表記で、サンズイのある「満洲」と書くのが正解です。
満洲は、もともとマンジュという女真族の呼称を漢字表記したものです。
そして最初にマンジュを「満洲」と書いたのは日本人です。
江戸時代の中ごろのことですが、高橋景保という人が『日本辺界略図』(1809年)、『新訂万国全図』(1810年)という地図を書き、その中で満洲国と表記をしています。
この地図がシーボルトによってヨーロッパに持ち帰られて「マンチュリアManchuria」という英語になり、満洲国建国の際も表記は「満洲」です。
これは宮脇淳子先生の講義で学ばせていただいたことです。
そもそもいまの中共政府が満洲を含む清王朝の正統な後継国家であるということも、ただの幻想であり宣伝です。
なぜなら辛亥革命があった後、中華民国に追われた清王朝の皇帝は、その首都を満洲に移しました。
従って清王朝の正統な後継国家は、清王朝が大清帝国と名前を変えた後に成立した満洲国です。
加えて中華民国は、名前こそ「国」ですが、実際にはただの金儲けのための軍閥でしかありません。
実際、国家として必要な機能をまるで有さないまま台湾に追われています。
その中華民国を追い払った中華人民共和国は、大東亜戦争で疲弊していた中華民国を、ソ連の力を借りて簒奪しています。
つまりどこにも中華人民共和国の国家成立を正当化する理由がないのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
※この記事は2015/9の記事をリニューアルしたものです。

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