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《最新動画》大人のための修身入門 第13回「信義とは何か?」
←いつも応援クリックをありがとうございます。民、うながされずして材を運び簣(こ)を負い、
日夜をいとわず力を尽くして争い作る。
いまだ幾ばくを経ずして宮殿ことごとく成りぬ。
故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉る。

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画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)
仁徳天皇(にんとくてんのう)といえば、「民のかまど」の物語で有名です。
仁徳天皇の四年、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられたときのことです。
「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、
貧しくて炊くものがないのではないか。
都がこうだから地方はなおひどいことであろう」
と、天皇は向こう三年の租税の免除を求められました。
ここまではよく知られたお話です。
ところがこのお話には続きがあります。
三年経って天皇が三国峠の高台で炊煙が盛んに立つのをご覧になられたとき、かたわらの皇后に、
「朕はすでに富んだ。
嬉ばしいことだ」
と仰せになるのです。
「変なことを仰言いますね。
宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、
どうして富んだといえるのですか」
「よく聞けよ。
政事(まつりごと)は
民を本としなければならない。
その民が富んでいるのだから、
朕も富んだことになるのだ。」
仁徳天皇はニッコリされて、そう仰られました。
この言葉は我が国の「シラス」統治を指しています。
国家最高の政治権力者よりも上位におわす天皇が、国家最高の権威として民衆を「おほみたから」とする。
こうすることにより、民衆は天皇の宝として権力者の奴隷とならずに済み、権力者もまた民衆を私有民(隷民)にすることができなくなるのです。
これが日本の古代から続く知恵です。
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この話にはさらに続きがあります。
天皇の御言葉を聞いた諸侯が、
「皇宮が破れているのに民は富み、
いまでは道に物を置き忘れても、
拾っていく者すらないくらいです。
それでもなお税を納め
宮殿を修理させていただかないならば、
かえって私達が天罰を受けてしまいます」
と申し出るのですが、仁徳天皇は、引き続きさらに三年間税を献ずることをお聞き届けになられなかったのです。
政治権力の企画立案と行使は権力者である諸侯の役目です。
しかしその公布は最高権威である天皇の承認がなければ行なうことができません。
これは現代の日本でも同じです。
現行憲法で天皇は象徴とされて政治権力の行使はできませんが、国会で成立した法の公布に際しては天皇の裁可が必要です。
こうして六年の歳月がすぎたとき、やっと天皇は税を課すことと宮殿の修理を御承認されました。
そのときの民の様子を日本書紀は次のように活写しています。
民、うながされずして材を運び簣(こ)を負い、
日夜をいとわず力を尽くして争い作る。
いまだ幾ばくを経ずして宮殿ことごとく成りぬ。
故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉る。
民衆は仁徳天皇に深く感謝し、誰に強制されるわけでもなく誰に促されるわけでもなく、自ら進んで材料を運び、荷物を背負って荒れた皇宮を修理したのです。
それも昼夜をいとわず、力を尽くし、まるで争うように競い合って皇宮の修理にあたった書かれています。
このためいくばくもなく皇宮はきれいに直りました。
ただ減税してもらって良かったというだけでなく、民もまた報恩感謝の心を忘れていません。
仁徳天皇がここまで民に慕われたことには、かまどの煙の減税というだけではなく、実はもっと深い理由があります。
それが次の工事等です。
一 難波の堀江の開削
二 茨田堤(まんだのつつみ:大阪府寝屋川市付近)の築造(日本最初の大規模土木事業)
三 山背の栗隈県(くるくまのあがた、京都府城陽市西北~久世郡久御山町)に灌漑用水を築造。
四 茨田屯倉(まむたのみやけ)を設立。
五 和珥池(わにのいけ、奈良市)を築造。
六 横野堤(よこののつつみ、大阪市生野区)を築造。
七 灌漑用水として感玖大溝(こむくのおおみぞ、大阪府南河内郡河南町辺り)を掘削し広大な田地を開拓。
これらが示すことは、仁徳天皇の時代にたいへんな土木工事の推進が行われたということです。
このなかに茨田屯倉がありますが、屯倉(みやけ)というのは、多くのものを集めて蓄える貯蔵庫のことをいいます。
近年の参考図書などを見ると「皇族や貴族の直轄の田畑である」などと記述しているものがありますが、たいへんに紛らわしい表現です。
「屯」という字は「たくわえる」を意味し、「倉」は貯蔵庫です。
要するに災害などに備えて、お米などを蓄えておく施設のことを指します。
つまり仁徳天皇の時代には、広大な田地を開墾され、また田を営むための水路、水害から民を守るための堤防工事などが積極的に進められただけでなく、災害時の備蓄食糧のための保管庫の建設も同時に置かれたわけです。
屯倉制度は大化の改新後、廃止となりましたが、これは朝廷の直轄地だけでなく、食料備蓄を全国に拡大したことによります。
このとき、全国に新たに屯倉を建設するのではコストがかかりすぎることから、全国の神社に食料の備蓄が図られることになりました。
その伝統が、いまでも奉納米という形で残っています。
食料備蓄は、その後仏教の普及によって、神社だけでなく、神社に代わって庄屋さんが代行するようになり、その後、複数の庄屋さんの管理する備蓄食料を、知行者である武家が総合管理するという仕組みへと変化していきました。
仁徳天皇といえば古墳が有名ですが、古墳もまた土木工事の結果できあがるものです。
「古墳は豪族たちが権威を誇示するために民衆を使役して強制的に作らせた墳墓である」という説を唱えておいでの方もおいでになりますが、仁徳天皇陵は日本最大の古墳です。
大林組が当時の工法で仁徳天皇陵を築造した場合の試算をしています。
総工期15年8ヶ月
総作業員数681万人
総工費796億円(1985年の貨幣価値換算)
という結果でした。
六百万人以上の人が15年以上工事だけを続けなければできないのです。
当時の人口は日本全体で4〜5百万人です。
日本の人口よりも多い人が、一切の食糧生産をしないで工事だけに駆り出されるなどありえないことです。
人は食べなければ死んでしまいます。
実際にはそうではなくて、古墳は荒れ地を開拓し、水田を築くことによって生じる残土を、計画的に盛土することによってできたものです。
大規模土地開発の残土は、現代ならダンプカーで湾岸の埋め立てに用いられますが、現代の湾岸地帯の埋立の面積を考えれば、どれだけの量の残土が出るのか想像できようかと思います。
古代にはダンプカーはありませんから、残土は開拓地内に盛土する必要があったのです。
けれども土はただ盛っただけでは大雨のときに流出して周囲の田に被害をもたらしてしまいます。
そこには長年の経験と計画性が求められます。
そして古代における土地の造成はすべて手作業ですし、作業は農閑期に限られますから、膨大な歳月が必要になります。
その結果できた広大な田畑によって豊かな暮らしができるようになった民衆は、そこにできた周囲を見渡せる高台となっている盛土の上に開墾の中心となった偉い人の墓を築いたのです。
ですから古墳はいまの平野部にしかないし、古墳だからといって必ずしも墓があるわけでもないのです。
仁徳天皇が崩御されたとき、こうして舌鳥野(もずの)の最大の盛土(盛土のことを昔は陵(みささぎ)と言いました。みささぎとは大きな丘のことです)に埋葬されました。
日本書紀は、その仁徳天皇と御陵について、
「八十七年春正月戊子朔癸卯、天皇崩。
冬十月癸未朔己丑、葬于百舌鳥野陵」
と記述しています。
仁徳天皇が崩御されたので、百舌鳥野(もずの)の陵に葬りましたと書いているのです。
ちなみに仁徳天皇陵は一般に前方後円墳といわれていますが、よく見れば中央のくぼみのところに二つの出っ張りがあります。
そしてこの形は古代ユダヤ族がお米を保管するのに使った「マナの壺」とそっくり同じ形です。
つまり仁徳天皇陵の形そのものが、稲作のために築造されたことを見事に証明しているのです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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