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11月になってすこし肌寒くなり、和菓子の美味しい季節になりました。
そこで拙著『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人・第二巻』から、「縄文クッキーと和菓子」のお話をご紹介します。
ほっこりするお話です。

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▼古のお菓子に思いを馳せて
和菓子は、日本の伝統的製造法で作られるお菓子です。もともとは、単に「菓子」と言っていましたが、明治時代以降に西欧から新しく入ってきたお菓子が「洋菓子」と呼ばれたため、対応して「和菓子」と呼ばれるようになったのだそうです。
実はこの和菓子、とんでもなく古い歴史を持っています。
クッキーといえば洋菓子と思っている方が多いと思いますが、実は一万年以上前から、日本人はクッキーを焼いて食べていたのです。長野県の曽利遺跡で、炭化したクッキーが発見されて以来、東日本の縄文遺跡から多数出土しています。
縄文時代は、いまから一万七千年ほど前から始まります。
それまでの石器時代は、魚や貝や肉を食べる狩猟採取生活でした。
食の大革命が起きて、調理が行われるようになったのが、実は石器時代から縄文時代への変化です。
簡単にいうと、日本の石器時代は「野山の動植物をそのまま焼いて食べていた時代」です。
これが「調理して食べる」ようになったのが、縄文時代というわけです。
山形県高畠町にある押出遺跡は、いまから五千八百年前の縄文時代の遺跡で、昭和六十(一九八五)年に発掘調査が行われました。
三十九棟の住居跡が発見され、大量の土器や石器、木や石の道にまじって、炭化したクッキーが出土しました。
このクッキーは、クリやクルミを砕いて粉末状にし、水にさらして団子状にまるめて練り、熱を加えて作ったものです。
最近の山形では、この製法で作った「縄文クッキー」が観光土産として売られているのですが、これが実においしいのです。
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木の実は採った状態のまま保存すると、中のほうからどんどん痩せてしまいます。
むしろ新鮮なうちのほうが、油分もたっぷりあっておいしいので、実を砕いて粉末にし、水に浸したあと、その粉末を練って、焼いて、クッキーにしているわけです。
できたてのホヤホヤなんて、ホクホクでとてもおいしかったでしょうし、こうして加工しておくことで、ある程度の保存もきくようになります。
はるか縄文の昔、夫が狩りにでかけるときの昼食に、また子供たちのおやつに、女性たちが、手間ひまかけてつくった縄文クッキー。
それはいつの時代も変わらぬ「妻の味」、「おふくろの味」なのかもしれません。
日本で「お米」が作られるようになると、そのお米を発芽させて「もやし」のような状態にし、祈願して水無飴(水飴)を奉納した」と書かれています。
そこからでんぷんを採取して、水飴にするという技法が開発されています。
いまでは甘味料といえば砂糖ですが、日本人が一般的に砂糖を使うようになったのは江戸時代以降のことで、それまでは水飴が代表的な甘味料でした。
なんとこの水飴、『日本書紀』にも登場していて、そこには「初代天皇の神武天皇が戦勝を祈願して水無飴(水飴)を奉納した」と書かれています。
「もしかしたら、神武天皇も甘党だったのかも......」などと、甘いものが好きな私などは、ついつい不埒なことを考えてしまいます。
お菓子には神様もいます。そのお名前は「田道間守」です。たいてい、お菓子が縁起の神社に祀られています。
この神様は第十一代垂仁天皇の時代(紀元前七〇年頃)に実在した方です。垂仁天皇の病を治すため、不老不死の菓子を求めて「常世の国」まで旅に行き、艱難辛苦の末、九年後に日本に帰国しました。
ところが、このときすでに垂仁天皇は亡くなられていました。嘆き悲しんだ田道間守は、垂仁天皇の御陵に詣でると、帰国が遅れたことをお詫びし、お菓子を持参したことを報告します。
そして持ち帰った菓子を墓前に捧げ、その場で何日も絶食して殉死を遂げたのです。
ちなみに「常世の国」というのは、いまでいうブータンやチベットのあたりです。
二千年もの昔に、日本人はそんな遠くまで、はるばる出かけていたわけです。
▼日本文化に溶け込んだ甘い味
時代が下って奈良時代になると、天平六(七三四)年の「淡路国正税帳」(正倉院所蔵)に、お餅のお菓子(大豆餅、小豆餅など)や、せんべい、あんこ餅などが登場しています。
平安時代になると、紫式部の『源氏物語』に、「椿もち」なるものが出てきます。
鎌倉時代には臨済宗の開祖の栄西禅師が、唐からお茶を持ち帰りますが、やがてこれが「茶の湯」となって全国に流行し、苦いお茶のあたりとして、甘いお菓子が大流行しています。
「芋ようかん」などが登場したのが、この時代といわれています。
江戸時代になりますと、平和な社会の中で庶民文化が花開きますが、そのなかで、職人芸としての和菓子が大ブレイクしました。
なかでも京都の「京菓子」と、江戸の「上菓子」は、宿命のライバルとして、互いにさまざまな種類の和菓子を誕生させています。
そしてこの時代、新たに和菓子に織り込まれたのが、「繊細な季節感」でした。
たとえば、「きんとん」です。
お正月には「きんとん」に、白と緑を配します。
これは雪の下から新芽が萌え出る様子を表したものなのだそうです。
梅の頃になると、赤と白で「梅の花」、十一月には、茶色に白い粉糖が振りかけられて「初霜」です。
中味は同じ「きんとん」ですが、見せ方を変えることで、味わいだけでなく、見た目の風情も醸し出しているわけです。
そういえば江戸時代、武家の中心である江戸幕府でも、お菓子の行事を行っていました。
それが毎年六月十六日の「嘉祥(かしょう)の日」です。
直参旗本(お目見え以上の武士)が江戸城大広間に全員集められ、将軍から和菓子を頂きました。
この行事は、平安初期の承和年間に国内に疫病が流行したときに、仁明天皇が年号を嘉祥(かしょう)と改め、元(八四八)年の六月十六日に、十六個の菓子や餅を神前に供えて、疾病よけと健康招福を祈ったという故事に由来します。
この故事に倣って、徳川家では、直参旗本を集め、日頃の家臣たちの労苦をねぎらい、またその妻子たちに感謝を捧げたわけです。
ここで重要なのは、将軍が家臣たちの家族をねぎらっている点です。
武家社会は男社会です
が、男性を支える家族に対して、こうしてちゃんと心をこめた感謝をしていたのです。
いまでも、古い会社などでは、なにがしかの会社の記念日に全社員に紅白饅頭などを配ったりするところがありますが、これも、家族の支えに対する感謝の気持ちです。
ちなみに六月十六日は、いまでも「和菓子の日」となっています。
毎年、十月から十一月にかけて、明治神宮では和菓子の奉献会が催されます。
この日は全国から銘菓が奉献されるだけでなく、平安時代の衣装を身にまとった和菓子職人さんが、神前で直接菓子をこしらえて奉献します。
お菓子を食べたり楽しんだりするだけでなく、お菓子を使って家族に感謝し、さらにそのお菓子そのものにも感謝する。
まさに日本的な行事であると思います。
▼心を和ませる和菓子の不思議な魅力
せっかくなので、和菓子にまつわる面白いお話をご紹介します。
平成十四(二〇〇二)年のことです。現参議院議員の中山恭子先生(当時、内閣官房参与)が、拉致被害者の救出のため、北朝鮮に行かれました。恭子先生は手みやげにと、二段重ねのお重に入れた和菓子を持参されたそうです。
北朝鮮に到着した恭子先生は、被害者のみなさんをお待ちするため、空港のずいぶんと広い部屋に通されました。
そこには北朝鮮の警護員たちが、ずらりと立ち並んでいました。
部屋の空気は、ピンと張りつめていました。
ところが中山恭子先生、いつもテレビに映っているとおりの、あのおっとりとした様子で、お重がはいった風呂敷包みをゆっくりと開きました。
「何をする気だ!」
あたりに緊張が走りました。
風呂敷包みから黒い漆の箱が現れました。
「すわ!爆発物か!」と緊張する警護官たちの前で、恭子先生がそっとフタを開けました。
するとそこには、なにやらいかにもおいしそうな和菓子が......。
恭子先生はニコニコしながら、その和菓子を被害者の人たちや警護員さんたちに勧めました。
はじめは警戒していた警護員さんたちも、笑顔に誘われてしまいます。
なにせ、日本の名店の和菓子です。見た目も美しければ、味も超一流です。
さぞかし甘い香りが、口いっぱいに広がったことでしょう。
これは誰でもそうですが、人間、おいしいものを食べると、自然と頰がゆるみます。
いかつい北の警護員さんの顔から、みるみる警戒感が消え、いかにも嬉しそうな表情に変わっていきました。
そのあとは......、ご想像におまかせします。
恭子先生は、無事拉致被害者を救出し、日本に帰られました。
その恭子先生に、後日、北朝鮮から、こう告げてきたそうです。
「二度と和菓子を持ってこないでください!」
激しい訓練を受けた北の警護員たちの、その頑な心さえも一瞬で溶かしてしまう、そんな不思議な力が、和菓子にはあるように思います。
そういえば、ケーキやカステラなどの洋菓子は、テレビを見ながらワイワイ食べてもおいしいけれど、和菓子のときにテレビがついていると、せっかくの味わいがもったいない気がします。
それは和菓子の持つ繊細さからくるものなのかもしれませんね。
お読みいただき、ありがとうございました。

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