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結論から言えば、我が国には価格競争はなじまない、ということです。
競争は常に品質競争でなければならないし、そのための社会システムこそが我が国の国民の安全と安心を確保することにつながるのです。
近年、やたらとグローバル・スタンダードが声高に叫ばれますが、なんでもかんでも外国のものが良いとする姿勢では、一部の人の利権にはつながっても、おほみたからである国民の安全安心には決してつながることはないのです。
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◆【お知らせ】◆
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10月19日(金)19:00 倭塾・関西 第三回 (IK歴史勉強会 大航海時代と大国主)
11月11日(日)14:00 倭塾・関西 第四回 (IK歴史勉強会 唐の皇帝と日本の天皇)
12月8日(土)14:00 倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)
日本は天然の災害が多い国です。公共工事に価格競争を持ち込むことは愚かなことです。
大阪の地震で小学校の塀が倒れて女子児童がお亡くなりになるという悲惨な事故が起こりました。
亡くなられた学童の女児には、深く哀悼の意を捧げたいと思います。
この事件では、ブロック塀に鉄心が入っていない、側面補強がされていないなどの工事の不備、またそれを見過ごしてきた行政や議会、学校の怠慢が指摘されています。
しかし、実はここで起きた問題は、いまや当該小学校だけの問題ではなく、全国いたるところで起きている問題です。
その最大の要因は公共工事に価格競争を求めた民意と称する政治にあります。
日本人ならわかっているはずです。
日本は天然の災害の多い国なのです。
工事を手抜きなしにきちんと行うにはコストがかかります。
しかし日本では、たとえ見えない所でも、きちんと補強します。
なぜなら災害に強い建設をしなければ、いざというときに取り返しのつかないことになるのです。
事故が起きからでは遅いのです。
災害が起こることを前提に、そのための備えをしていくのです。
つまり我が国にはグローバル・スタンダードとは異なる、我が国独自の手抜き工事が行われない、安かろう悪かろうの愚に陥らない、独自の社会システムが必要なのです。
ところがテレビなどの評論家やコメンテーターの言を聞くと、言ってることは、
「罰則規定を強化しろ」です。
馬鹿としか言いようがないと思います。
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なぜなら罰則は、手抜き工事があったら、科せられるものです。
つまり事後処分でしかなく、しかもバレなければ、いくらでも手抜き工事をして儲けをあげることができるという現象をもたらすのです。
さらにいえば、パラオで崩落したSouth Korea受注の橋のように、散々な手抜き工事の上、橋ができて完成金の支払いを受けたら、サッサと法人を解散して、一切の責任を被らずにすむようにするという、とんでもない行動まで招くのです。
そもそも手抜き工事が何故起きるのかといえば、それはモラルの問題ではないのです。
まともに工事をしたら、業者に利益がないのです。
なぜなら、適正価格では単に価格だけでの競争入札では、工事を落札できないのです。
つまり業者は、儲けが出ない、ときに赤字を前提とした入札価格を提示しなければならないのです。
そうであれば、価格の高い腕の良い職人は使えないし、材料費もケチって、少しでも価格の安い粗悪品を使わなければなりません。
それさえも許されないならば、もはや業者がやっていくためには、たとえばブロック塀なら、中に入れなければならない鉄芯を、見えないからと、100本必要なところを、形ばかりの10本にする、コンクリート代を安くするために、コンクリートに埋まって見えなくなるところには、発泡スチロールや粗大ごみなどを投入して使用コンクリートの量を減らす、鉄芯の下に敷くべきコンクリートのスペーサーを強度の低い粗悪品にするなどして、材料費も安く抑えるしかないのです。
そしてそうなれば、見かけこそ、それなりに立派なものが作られても、中身がスカスカのハリボテのような建築物しかできなくなります。
当然、地震が起きれば、崩落し倒壊する。
あたりまえのことです。
日本は天然の災害の多い国なのです。
だからこそ我が国では、古来、特に公共工事においては、常に価格競争ではなく、品質競争が行われるような社会システムを構築してきたのです。
具体的には、役所の側で、工事費用の見積もりを出します。
一切の手抜きなし、使う材料も高品質なものが選ばれます。
そしてできた見積もり価格に20%、業者の利益を乗せます。
そして入札を行う。
業者の入札価格は、役所の見積もり価格よりも、高くてもいけないし、安くてもいけない。
つまり、役所の求める品質を、完全に理解し、その求める品質の工事を完全に受託できる業者だけが、入札できるという仕組みです。
そして工事を受注すれば、業者は確実に20%の利益を得ることができる。
利益が完全に保証されている中で、競争しようとするならば、もはや品質競争しかないのです。
そうなれば、より腕の良い職人の出番です。
しかも工事の受注に際しては、工事を行う会社には、必ず同業他社を完成工事の保証会社として付けさせていました。
万一工事の最中に請負業者が倒産した場合でも、保証会社が、ちゃんと工事を引き継ぐのです。
そして、万一、請負業者に手抜き工事が発覚すれば、保証会社も、二度と公共工事の請負ができなくなります。
甘くはないのです。
それだけに、どの業者も、役所に対しても、同業者に対しても、常に堂々と誇れるだけの仕事をしていかなければならなかったのです。
ですから、昭和40年代までに建てられた公共建築物では、外壁がガラス張りのビルならば、そのビルのガラスは、まるで一枚のガラス板でできているのかと思われるほど、正確なものとなっていました。
あるいはビルの窓ガラスは、まるで建物全体が一枚のガラスで作られたのかと思われるほど、正確に窓ガラスがはめ込まれていました。
ところがこれが昭和50年代以降に建てられたビル、とりわけ最近の建築物になると、ビルの窓ガラスは、あっち向いたりこっち向いたりしていて、隣のビルが、でこぼこに映っています。
しかも地震が来れば、鉄心さえも入っていないブロック塀は、いとも簡単に倒壊しています。
あたりまえの結果です。
では、昭和40年代までと、50年代では、公共工事の何が違うのでしょうか。
米国の圧力で、談合が廃止になったことです。
ネットで談合を検索すると、出てくる情報は、談合がいかに悪質なものかといった論調のものばかりです。
そしていまでは談合は、犯罪とまで目されるようになっています。
けれど違うのです。
江戸時代には、すでに談合が行われていことが確認されています。
調べれば、もっと古い時代、おそらくは1400年前の法隆寺五重塔の建築さえも、業者間談合が行われていたであろうということができようかと思います。
つまり談合は、我が国になくてはならない、建築方式なのです。
なぜなくてはならないかといえば、日本は天然の災害が多い国だからです。
地震、大水、火事、噴火、雷、大風、津波に土砂災害等々と、日本は天然災害の宝庫のような国です。
そしてそうした天然の災害は、いつ起きるのか、誰にも予測はつきません。
予測といえば、これは工学博士の武田邦彦先生もお話されていたことですが、現実問題として、地震の予知は不可能なことです。
ところが不思議な事に、かなり以前から東海大地震だけが予測され、東海地方はその地震対策のための建物の補強対策や、地震発生時の備蓄食料、避難施設に多くの予算が割かれ、また、津波対策のために沖合に津波ソナーがいくつも設置されました。
学校や公共施設等では、地震の際の避難訓練が毎年行われ、また万一の場合の警察・消防・自衛隊の三者の強力による災害支援活動のための合同訓練も催されています。
ところが、実際に起きた地震は、神奈川・静岡・愛知・三重の東海4県ではなく、関西の阪神淡路大震災、東北を襲った東日本大震災、そして今回の大阪高槻地域の地震です。
なんのことはない、東海以外の地域で、深刻な地震災害が起こっているのです。
そしてそれらの地域は、いずれも過去に大きな地震を経験しているにもかかわらず、東海ではないという理由で、震災対策は、かなり後手にまわっています。
地震がいつ、どこで起きるかは、わからないのです。
わからないなら地震対策は、はじめから東海四県に限らず、日本全国が同じ水準で行われたはずで、それによって失われずに済んだ命がどれだけあったかしれません。
だいたい万一の震災時の備蓄食料の確保、防災用品の自治体レベルでの確保、避難施設への誘導と、そこでの安全対策などは、果たして十分なものといえるのでしょうか。
先日、ある市が、市の持つ広大な公園の内部に、万一の際の避難施設を用意しているというので見に行きました。
説明の担当の方が、
「ここが避難時の仮設トイレの設置場所になり、あらかじめ浄化槽が埋め込まれています」
とおっしゃるので、
「ここにトイレはいくつ設置されるのですか?」
と質問すると、
「はい。10基です」
「避難民は何名を収容する計算ですか?」
「はい。ここには1万人が収容可能です。」
これが現実なのです。
これが防災対策の現実なのです。
日本は天然の災害が多い国です。
公共工事に価格競争を持ち込むことは愚かなことです。
私達は、私達の日本にとって、何が大切なのかをしっかりと見極めていかなければならないと思います。
グローバルスタンダードと言ったところで、そもそも地震のない国と、日本のような地震大国では、国のあり方が違うのはむしろ当然のことです。
民間工事では、ある程度価格競争になるのは仕方がないにしても、すくなくとも公共工事に関しては、我が国は価格競争ではなく、どこまでも災害に強い品質競争を行うべきだと、私は思います。
談合だからけしからんと頭ごなしに決めつける前に、日本にとって何が必要かを先に考えるべきです。
結論から言えば、我が国には価格競争はなじまない、ということです。
競争は常に品質競争でなければならないし、そのための社会システムこそが我が国の国民の安全と安心を確保することにつながるのです。
近年、やたらとグローバル・スタンダードが声高に叫ばれますが、なんでもかんでも外国のものが良いとする姿勢では、一部の人の利権にはつながっても、おほみたからである国民の安全安心には決してつながることはないのです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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