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20180501 表紙完成2のコピー
法も行政も立法も司法も、すべては私たち皇国臣民が、
豊かに安全に安心して暮らせるためにあるものです。
憲法のために国があるのではありません。

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20180514 5月の花
(画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)

【お知らせ】
<東京・倭塾、百人一首塾他>
5月5日(土)18:30 百人一首塾 第26回
5月19日(土)18:30 第51回 新著出版記念 倭塾
6月9日(土)18:30 百人一首塾第27回
6月10日(日)13:30 チャンネルAJER 古事記に学ぶ日本型経営学/戦いの時を古事記に学ぶ
6月30日(土)13:30 倭塾・東京 第52回
7月14日(土)18:00 倭塾・東京 第53回
7月28日(土)18:00 百人一首塾 第28回
8月15日(水)ねずさんと靖国昇殿参拝
<関西・倭塾>
8月10日(金)19:00 倭塾・関西 第一回 (IK歴史勉強会 十七条憲法と創生の神々)
9月9日(日)14:00 倭塾・関西 第二回 (IK歴史勉強会 イザナギ・イザナミと古代の朝鮮半島情勢)
10月19日(金)19:00 倭塾・関西 第三回 (IK歴史勉強会 大航海時代と大国主)
11月11日(日)14:00 倭塾・関西 第四回 (IK歴史勉強会 唐の皇帝と日本の天皇)
12月8日(土)14:00 倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)

昔、戦国時代のことですが、可児才蔵(かにさいぞう)という戦国武者がいました。
槍は宝蔵院流で、戦(いくさ)の場での猛烈な働きぶりは、討った敵将の数が多すぎて、腰にぶら下げきれない。
そこでいつも背中に笹(ささ)を背負い、自分が討ち取った敵将の首に必ず笹の葉を咥(くわ)えさせていました。
おかげで、ついたあだ名が「笹の才蔵」!。
この笹の才蔵、あまりにも実戦で強かったことから、ある日、才蔵に試合を申し込む武者が現れました。
日時が指定され、その相手の武者が試合場である河原で待っていると、笹の指物(さしもの)を背中に負い、甲冑(かっちゅう)で身を固めた才蔵がやってきました。
ところが見れば、才蔵の後ろには才蔵の部下10名が、鉄砲を持って火縄に火をつけています。
相手の武者は驚いて、
「これは実戦ではない。試合だ」と抗議しました。
すると才蔵、
「俺の試合は実戦が全てだ」と呵々大笑して答えたそうです。
これが実戦というものです。
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20180326 イシキカイカク大学


日本に対して攻撃を加えようとする者、あるいは尖閣領海に勝手に侵入しようとする者、あるいは竹島に勝手に上陸して石碑などを立てる者、そういう者たちが、そんなことをやろうという気持ちさえ起こさせなくするほど、圧倒的な力を持つこと。
これこそが、国としてもっとも大事なことです。
そこで仮の話ですが、日本の憲法に
=====
第◯条 日本の領土領海への侵犯ないし日本人への不当な暴力あるいは日本人の財産に対する破壊行為等が行われたときは、日本は即時徹底した無差別な報復攻撃を行うものとする。
=====
と書いてあり、現実に日本が相応の攻撃力を持った軍隊を保持していたとしたら、その日本の竹島や尖閣に侵入しようとしたり、あるいは現地の日本企業への破壊行為などは、果たして行われるでしょうか。
もし、日本や日本人、日本の施設などに対して、ちょっかいを出そうとするなら、それこそその国は、日本との間で全面戦争をする覚悟がなければ、手出しできません。
そして全面戦争をしかけるとしても、日本の軍事力があまりに強大であれば、誰も日本には手出しできなくなります。
では反対に、日本の憲法に「日本は他国から何をされても、いっさい報復は行わず、つねにやられっぱなしで満足し、かえって大金をお好きなだけ支払うものとする」と書いてあり、実際、戦う力はあるのに、政府がこれを行使しようとしないとしたら、どうでしょう。
そういうありがたい国があるなら、国際社会では、そこからカネをふんだくらない方が、むしろどうかしているかもしれません。
そもそも、他国軍が日本国土に攻め込んで日本人の虐殺をはじめたとしても、緊急出動する自衛隊車両は赤信号でちゃんと停まらなくちゃならないし、制限速度も守らなければならない。
渋滞に巻き込まれたら、おとなしくクルマの行列に並んでなくてはならない。
能天気にもほどがあります。
けれどこれがいまの日本の現実です。
可児才蔵が亡くなったのが1613年です。
いまからおよそ4百年前のことです。
4百年前の日本人がちゃんと理解していた事実を、4百年後の日本人はわからなくなっている。
人類は進化するなんて、嘘です。
学ばなければどんどん後退する。退化する。
個人でも同じです。
いくら学生時代に優秀だったからといって、社会人になってからの数十年、何も学ばずに生きていれば、同じ期間、一生懸命学び続けた人に追いつかなくなる。
そういうものだと思います。
軍隊についていうなら、そもそも軍隊については憲法に書く必要すらないことです。
先日も書きましたが、西洋で生まれた憲法(Constitution)は、共同体のための共同宣言のようなものです。
従って共同体の様相や環境が変化すれば、それにあわせて変化させる(改定する)のが当然であって、環境が変化しても、昔のままを墨守するのは、ただの現実逃避です。
ところが日本人にとっての憲法は「いつくしき・のり」であって、もともと「万古不易の美しい人の道」を示すものです。
そうであれば、日本における憲法は、大日本帝国憲法の改定というより、もし直すなら十七条憲法の一部改定をすべきことであって、大日本帝国憲法にせよ、日本国憲法にせよ、憲法という名をむしろ「日本国基本法」等に改めるべきです。
そうでなければ、すでに役割を終えた馬鹿げた決まりであっても、墨守しなければならなくなります。
我が国は、歴史的に「いつくしき・のり」としての憲法よりも、はるか上位に天皇がおわすという国柄を持つ国です。
従って、軍隊も領土も国土も、そのすべては天皇のものであって、政治責任者は、その運用権を持つだけです。
そして政治責任者の権限の行使には、当然政治責任が伴います。
あたりまえのことです。
責任を伴わない政治ほど、おそろしいものはないからです。
権限と責任。
憲法論議をする前に、わたしたちはそのことをしっかりと考えていかなければならないと思います。
そもそも法も行政も立法も司法も、すべては私たち皇国臣民が、豊かに安全に安心して暮らせるためにあるものです。
憲法のために国があるのではないのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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