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男が武を用いるときというのは、ものごとを正して正義を実現するときです。
だから正義は絶対に負けない。
やられても、殺されても、それでも負けない、退かない。
常に日を背負う。

サクラソウ。花言葉は「長続きする愛」
20180429 サクラソウ
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【お知らせ】
5月5日(土)18:30 百人一首塾 第26回
5月19日(土)18:30 倭塾・東京 第51回
6月9日(土)18:30 百人一首塾第27回
6月10日(日)13:30 チャンネルAJER 古事記に学ぶ日本型経営学/戦いの時を古事記に学ぶ
6月30日(土)13:30 倭塾・東京 第52回
7月14日(土)18:00 倭塾・東京 第53回
7月28日(土)18:00 百人一首塾 第28回
8月10日(金)19:00 倭塾・関西 第一回 (IK歴史勉強会 十七条憲法と創生の神々)
8月15日(水)ねずさんと靖国昇殿参拝
9月9日(日)14:00 倭塾・関西 第二回 (IK歴史勉強会 イザナギ・イザナミと古代の朝鮮半島情勢)
10月12日(金)19:00 倭塾・関西 第三回 (IK歴史勉強会 大航海時代と大国主)
11月11日(日)14:00 倭塾・関西 第四回 (IK歴史勉強会 唐の皇帝と日本の天皇)
12月8日(土)14:00 倭塾・関西 第五回 (IK歴史勉強会 稲作の歴史と古墳のお話)

私が子供の頃に死んだ親父がよく言っていたことに、
「喧嘩をするなら、自分より強いやつとやれ」
というのがありました。
子供だって腹の立つことはあるわけです。
男の子だから当然喧嘩になります。
とっくみあいや殴り合いで生傷が絶えないのが男の子です。
けれども自分よりも強い者としか喧嘩しちゃいけないというのですから、困ったものです。
やればたいてい負けました。
負けて鼻血を流して半べそをかきながら、
「今日はこのへんで勘弁しといてやらあ!」
と言って、また殴られました(笑)
いま思えば、親父の言葉は、喧嘩に勝つとか負けるということなど問題にしていなかったことがわかります。
それは、
 たとえ負けても卑怯な真似をせずに正々堂々と挑むとか、
 強きを挫き弱きを助けるのだとか、
 軍国少年教育とも、
まったく異なるものでした。

20180326 イシキカイカク大学


男の武は、斜めになったりゆがんでいるものを真っ直ぐにただすために用いるものです。
これを古い大和言葉で「たける」と言います。斜めになったり歪んだり、混沌としたものを、竹のようにまっすぐにするという意味です。
そのためには、相手がどんなに強大であろうが、権力があろうが、何千何万何百万の人であろうが、関係ありません。
やるときにはやらなければならない。
無理だとか、負けるとかは関係ないのです。
叩かれることもあるでしょう。
傷だらけになることもあるでしょう。
我が身が可愛いなら、そんな喧嘩はしないことです。
けれど生きていれば、我が身よりももっと大事なものが必ず生じます。
その大事なもののために戦わなければならないとき、相手が強いからといって、
逃げ出すのでしょうか。
あきらめるのでしょうか。
放置するのでしょうか。
相手が強いとか弱いとかに一切関係なく、戦うべきときには戦う。
はじめから身を捨てているのです。
傷を負うが、骨が砕けようが、命の限り戦うし、命がなくなれば魂魄となっても戦う。
それが武士というものだし、日本男児だということを、父は子に教えようとしてくれたのだと思います。
もちろん詳しい説明などありません。
みなまで説明などせずに、「喧嘩するなら自分より強い者と戦え」とひとことです。
しかし、余計な説明をしなくても、時が来れば自然とわかる。
大事なことは、教わることではなくて、自分で気付くことです。
そして自分で気付ける男に育てること。
それもまた親の責任です。
「体の怪我なんてものは、何日かすれば治る。
 卑怯な真似をしたという心の傷は一生治らん。
 それどころか家名の恥だ」
その怪我ですが、昔は塗り薬といえば、ヨードチンキです。
これは、傷口にとってもしみて、塗るととても痛いものでした。
それで痛がると、これまた死んだ婆さんが、
「戦地に行けば、
 手足が飛ばされても
 声も立てないで我慢するのです。
 たかがこれくらいの傷になんですか。
 男の子なら我慢しなさい」
と言われました。
それでもヨードチンキは痛かった(笑)。
ただ、実際、親戚に、戦時中に爆風で左腕を肩から飛ばされた人がいて、その人が言うには、
「立っていて腕が飛ばされるとな、
 人間って体の重心がくるって、
 体がクルクルとまわるんだ。
 おもしろいぞ」
なんて言うし、痛いときには笑うもの、痛いから痛いと言うのは馬鹿のすることだと教えられたものです。
なぜなら男が武を用いるときというのは、ものごとを正すため、正義を実現するときだからです。
だから正義は絶対に負けない。
やられても、殺されても、それでも負けない、退かない。
常に「日を背負って戦う」のが日本人の戦い方だからです。
この「日を背負って戦う」という言葉は古事記に出てきます。
神武天皇が那賀須泥毘古(なかすねひこ)と戦うときに、兄の五瀬命の言葉として出てくるものです。
つまり戦いはどこまでも「たける」ためのものです。
そして何が正しいかは、天照大御神の御意向にある。
だから魂に恥じない生き方をし、戦いをする。
それが「日輪を背負う」ということの意味です。
その精神は、先の大戦中のものとか、戦前の教育とかそういう近代に至ってからのものではなくて、初代神武天皇の時代、あるいはもっとずっと古い時代からの日本人の生き方、戦い方の基本となっていたものなのです。
「悠久の大義」とか言うと、なんだか大げさな感じになってしまいますが、要するに、間違っているものがあれば、どんなに相手が強大だろうが立ち向かう。
そして必ず正常化する。竹のように真っ直ぐにする。
それが日本男児の「たける」であり、古くから続く日本人の大義であり、悠久の大義なのです。
*****
戦いは日一日と激しさを加えて参りました。
父母上様、長い間お世話になりました。
私も未だ十九才の若輩で、
この大空の決戦に参加できることを
深く喜んでおります。
私は潔く死んでいきます。
今日の海の色、見事なものです。
決してなげいて下さいますな。
抑々海軍航空に志した時、
真っ先に許されそして激励して下さったのは、
父母上様ではなかったでしょうか。
既に今日あるは覚悟の上でしょう。
私も魂のみたてとして、
ただただ大空に身を捧げんとして予科練に入り、
今日まで猛特訓に毎日を送ってきたのです。
今それが報いられ、
日本男子として本当に
男に花を咲かせるときが来たのです。
この十九年間、
人生五十年に比べれば短いですが、
私は実に長く感じました。
数々の思出は走馬燈の如く胸中をかけめぐります。
故郷の兎追いしあの山、
小鮒釣りしあの川、
皆懐かしい思出ばかりです。
しかし父母様にお別れするに当たり、
もっと孝行がしたかった。
そればかりが残念です。
随分暴れ者で迷惑をおかけし、
今になって後悔しております。
お身体を大切に、
そればかりがお願いです。
親に甘えた事、
叱られた事、
皆懐かしいです。
育子、昌子の二人は私の様に母に甘えたり叱られたり出来ないかと思うとかわいそうです。
いつまでも仲良くお暮らし下さい。
私も喜んで大空に散っていきます。
平常あちこちにご無沙汰ばかりしておりますから、
何卒よろしくお知らせ下さい。
お願いします。
御身大切に。ごきげんよう。
神風特別攻撃隊 大和隊員
一飛曹 塩田 寛 18才
昭和19年10月26日 レイテ沖にて特攻戦死
*******
お読みいただき、ありがとうございました。
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