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日本の「領土主権者」は誰でしょう。
もし「領土主権者」がいない、もしくは憲法上何の規程もないのなら、日本は「無主国」ということになってしまいます。
そうであれば「日本は日本人だけのものではない」というどっかの誰かの言い分は、正論ということになるし、どの国であれ侵略も侵犯も、日本国内での日本人からの収奪も思いのままです。

日本の領海と接続水域、排他的経済水域を意図的に逆さにしたもの
日本が東亜地域の安定にどれほど大事な位置にあるかわかります。
20180420 日本の排他的経済水域
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「主権」という言葉は誰でも知っている言葉です。
では「主権」の定義とはどのようなものでしょうか。
近代以降における国家主権(National sovereignty)とは、意思決定と秩序維持における最高で最終的な政治的権威を指します。
その国家主権が及ぶ範囲が領域です。
ここに領土領海が入ります。
主権の反対語は依存です。
宗主国に意思決定を委ねていれば、その国は宗主国に依存していますから、主権を持たない属国ないし保護国ということになります。
日本の領土は、北海道、本州、四国、九州に、沖縄や小笠原、あるいは佐渡ヶ島や竹島など、周辺の島嶼部が含まれます。
では、話を簡単にして、日本本土であるたとえば「本州の領土主権者」は誰でしょうか。
多くの方は「日本国民」とお答えになろうかと思います。
理由は「日本国憲法に国民主権(主権在民)と書かれているから」です。
けれども本当にそうでしょうか。
質問は「領土主権者」です。
領土主権は、特定の人である君主や、政府などの特定の法人が保有します。
国民は特定の個人でも法人でもありませんから、国民主権では答えになりません。

20180326 イシキカイカク大学


主権は、「意思決定と秩序維持における最高で最終的な政治的権威」のことです。
その政治的権威が国民にあるから、国民は選挙によって国民の代表者を選ぶのです。
ですから、国民主権という言葉は成立します。
しかし領土主権者となると、意味が違います。
領土主権というのは、国家が、領土内のすべての人と物に対して排他的に統治を行う領土権のことをいいます。
その領土主権を持つ者が、領土主権者です。
たとえば、日本の本州が他国から不当に攻撃を受けて占領されたとします。
これは日本の領土主権が脅かされた状況です。
当然、主権者がこれに反発しなければなりません。
場合によっては、相手国と戦争状態に突入することになります。
なぜかといえば、領土主権が侵犯されたからです。
質問は、その反発できる権利者が誰なのか、という質問です。
これまた、国民主権では答えになりません。
国民主権は、日本の1億2700万の日本人に均等に分散されていることを意味します。
領土主権も分散されているなら、国家としての迎撃も反撃もできず、それぞれの国民ひとりひとりが勝手に迎撃、反撃するしかないことになります。
つまり国民主権国家であっても、領土には、領土主権者がいなければならないのです。
それが誰なのかという質問です。
国民主権だから、国民が選んだ人が議員となり、その議員の中から行政の長である内閣総理大臣が選ばれます。
従って、日本国の領土主権がおよぶ範囲内を侵犯されれば、内閣総理大臣が迎撃の命令を発することができるという解釈も成り立ちます。
しかし、その内閣総理大臣も、他国との交戦権を持ちません。
なぜならそれは憲法によって明確に否定されているからです。
領土主権者は、排他的に領土権を持つ者です。
内閣総理大臣は、領土権の一部としての行政権は保持しますが、排他的領土権を持ちません。
つまりこの点において、領土主権者とはいえません。
では、日本の領土主権者は誰なのでしょう。
もし日本に領土主権がないとするならば、日本は「無主国」となります。
そうであるとすれば、他国に蹂躙されたとしても、それに反発する権利も権限も、反撃する権利さえもないということになります。
なるほど日本の北方領土や竹島は、日本の領土主権が外国に蹂躙されたままです。
日本には、日本国憲法上は、それを取り返す権限も権利も、憲法上何の規定もありません。
つまり、おどろくべきことにいまの日本の憲法には、領土主権者に関する取決めがないのです。
これは実はたいへんなことです。
日本に住む日本人を、同じく日本に住む日本人が殺害すれば、それは日本の国法によって裁かれます。
けれど、日本に住む日本人を、主権の異なる外国人が殺害した場合、本来であればそれは日本の国法で裁くことになるはずですが、無主国であれば、外国人による犯罪は、日本の法では裁けません。
日本に領土主権がないからです。
そういうきわめて不安定な状況下に、実は日本国憲法の主権は成り立っています。
わたしたちは、あたりまえのように、日本は主権国家であって、日本の領土は日本のものと考えていますが、日本国憲法には、その取決めがないのです。
それでも日本が独立国であり、日本には確固とした領土主権が存在するというのなら、わたしたちは日本国憲法以外のところに、領土主権者の根拠を求めざるを得なくなります。
具体的には、憲法以前からある日本の歴史、伝統、文化です。
成文憲法とは、本来その国の歴史、伝統、文化に基づくその国のカタチを文章化したものにすぎないというなら、憲法に書いてなくても領土主権者は成立します。
なぜなら日本の歴史、伝統、文化に立脚すれば、日本は天皇のおわす君主国だからです。
君主国であれば、領土主権者は君主その人です。
日本の場合は、憲法の規程に関わりなく、天皇が領土主権者ということになります。
この立場に立つと、天皇の存在は、日本国憲法にどのように書いてあろうが、憲法以上の超法規性を持ちます。
その超法規性を認めなければ、日本は領土主権のない無主国ということになってしまうのです。
これを否定し、天皇は日本国憲法に基づく象徴でしかないとするならば、その瞬間、日本は領土主権者のいない、無主国になってしまいます。
それこそ、誰かさんの発言ように、日本は日本人だけのものではなくなってしまうのです。
ということは、日本の領土主権は、日本の歴史伝統文化に基づく天皇の存在を抜きにしては、実は語れないものであるということになります。
もうひとつの考え方は、大日本帝国憲法が戦後も生きているという考え方です。
いまの日本国憲法上も、またその他の法令上も、大日本帝国憲法が廃止もしくは執行停止になったとは、どこにも書いてありません。
そしてそのどちらも、天皇の御名御璽をもって公布されたものです。
ということは「日本国憲法は、大日本帝国憲法という基礎の上に建てられた建物」という解釈ができます。
そうであれば、大日本帝国憲法の第一条にある、
「日本国は万世一系の天皇これを統治す」によって、明らかに日本の領土主権者は天皇という答えを導くことができます。
いずれにせよ、実は現行憲法のもとでは、日本の領土主権者が誰であるのかについて、「何も定めがない」ということは、極めて異常な状況であるのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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