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←いつも応援クリックをありがとうございます。日本は先の大戦で敗れました。
しかし日本は、いまも日本です。
なぜ、戦いに敗れても日本は壊れなかったのでしょうか。

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◆【お知らせ】◆
1月20日(土)18:30 第22回 百人一首塾
2月8日(木)18:30 第23回 百人一首塾
2月18日(日)18:30 第48回 倭塾公開講座
3月10日(土)18:30 第24回 百人一首塾
3月24日(土)13:30 第49回 倭塾公開講座
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のんびりしていてはいけない、もっと危機感をもたなければダメだ、亡国だ!!と右側の人は言います。
左側の人は、戦争をしたがっている、9条を守れ、安倍はどうのこうの、とテレビや新聞で騒ぎ立てています。
では、普通の大多数の日本人は何をしているかといえば、ただ淡々と日常を真面目に頑張って生きています。
右にも左にも同調できずに、自分の道を進んでいます。
大切なことは、右だとか左だとかではなくて、その対立のもっとずっと手前か、あるいはもっとずっと向こうの方にあるということなのではないでしょうか。
明治の頃、宮城県大崎市に、鎌田三之助という衆議院議員がいました。
その三之助がメキシコに視察にでかけているとき品井沼の排水工事をめぐって、工事推進派と中止派がそれぞれ対立して、住民を二分してしまうという、たいへんな騒動が起こりました。
三之助が急遽帰国して現地に向かうと、品井沼の排水工事は、三之助が一年前にメキシコに向けて出発したときからまったく進んでいません。
三之助がいなくなったあとに、それぞれの村の意見が対立してしまったのです。
品井沼の干拓工事について、そもそも工事自体が不要と言い出す者、干拓そのものが不可能だと言い出す者、決まったことだからやろうという者、それぞれ目先の利害で対立してどうにもならないのです。
宮城県の亀井県知事が仲裁に出張っても、まったく問題が解決しない。
三之助は帰郷するとすぐに村に向かいました。
そもそも品井沼は、四方を山に囲まれていて、排水ができないのです。
そこに水の出口、つまり排水路を築けば、広大な沼には、1000ヘクタールの水田が生まれるだけでなく、周囲800ヘクタールの土地は水害から守られます。
けれどもそのためには、岩盤でできた急な斜面に穴をうがって、トンネルを掘り、そこからさらに水路を伸ばしていかなければなりません。
それはいずれも山中での工事です。
たいへんな難工事です。
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けれども、その工事が完成すれば、そこに住む人々の暮らしは、まちがいなく豊かになる。
だから三之助は、私財を使い果たしてでも、村を水害から守り、新たな土地を拓こうと、この計画を推進していたのです。
村に向かった三之助は、反対派の人々の家を一件一件訪問し、ひとりひとりを粘り強く説得しました。
こうして反対派の人々もついには納得し、みんなが一致団結して工事を行うことになりました。
品井沼の干拓のために力をつくした三之助は、明治四十二(1909)年、村人たちの強い願いで鹿島台村の村長になりました。
元国会議員が、村の村長です。
見栄っ張りな人にできることではありません。
三之助にとっては、見栄など、愚の骨頂です。
三之介にとってたいせつなことは、村の人々が、いまよりもすこしでも豊かに安心して安全に暮らせるようにしていくことだからです。
そのための政治です。
なぜ三之助はそこまでしたのでしょう。
それには理由があります。
日本人だからです。
それでわからなければ、日本では、民こそが国家最高権威である天皇の「おほみたから」だからです。
そして天皇は神々の直系のご子孫であり、中つ国である地上社会を代表して神々とつながるお役目だからです。
これを「シラス(知らす、Shirasu)」といいます。
そしてそのシラス天皇によって、民衆こそが「おほみたから」とされている。
だからその「おほみたから」のために、自分にできる最大限のことをする。
これを「忠義」といいます。
「忠」と書いて、大和言葉では「まめなるこころ」と読み下します。
「義」と書いて、大和言葉では「ことはり」です。
義は、羊に我と書きますが、大昔は羊は神々への捧げ物です。
たいせつなもののために、我が身を捧げるのが「義」です。
その字に、大和言葉の「ことはり」を当てています。
「ことはり」というのは、条理・道理のことです。
その「条理・道理」のために、打算や損得抜きの「まめなる心」で「我が身を捧げる」のが、日本的「忠義」であり、武士道です。
これは、儒教における「忠・義」、言い換えればChinaやKoreaにおける「忠・義」とは、使っている漢字は同じでも、意味がまったく異なるものです。
彼らの文化にとっての「忠・義」は、上司上長のために命を捧げることです。
上長が嘘やデタラメをしていても、それをかばいだてするのが、彼らにとっての忠義です。
これは我々日本人の感覚では、受け入れ難いものです。
鎌田三之介に限らず、武士道に生きる者は、そうして民が豊かに安心して安全に生きることができるようにしていくことに、全力を傾け、誠実を貫いたのです。
それが日本的な臣の生き様だったのです。
このことは大東亜の戦いで散っていった英霊たちも同じです。
彼らは祖国の自由と独立自存のために戦い、かつまた植民地政策による支配と隷属の関係に置かれた東亜の諸民族のために戦いました。
世界中、どこかの国や地域を征服したら、その国の民を先兵にして敵と戦わせるのが常識であった時代に、彼らは、むしろ現地の人々を激戦地から避難させ、より厳しい戦場へと出向いて行きました。
そうした中に、戦地で散華された多数の女性看護婦たちもいます。
彼女たちは、傷病兵のためにと、戦況厳しい前線へと出向き、そこで多くの彼女たちの命が失われています。
なぜ彼女たちはそこまでしたのか。
彼女たちもまた、民衆こそ「おほみたから」とする日本に生まれ育ち、日本人として生きたからです。
自分には火の粉がかからない安全な場所と時代にいて、他人の悪口を言うのは、個人主義の世の中では、なるほどそれは個人の勝手かもしれません。
しかしひとついえることは、お互いに非難や中傷をあびせあうだけでは、この世は決して良くはなりません。
私たちは、大人も子も、右も左も、みんなが「おほみたから」であるのだという自覚と誇りを取り戻さなければならないと思います。
なぜならそれこそが、「天の大御心」だからです。
日本は先の大戦で敗れました。
しかし日本は、いまも日本です。
なぜ、戦いに敗れても日本は壊れなかったのでしょうか。
それどころか、日本は、いまでも世界の大国の一角です。
東京に至っては、世界の都市別のGDPランキングで、なんと世界一です。
ロシアが大国と思っている人もいるようですが、2016年でいえば、ロシアのGDPは1兆2800億ドルで、日本(4兆9386億ドル)の4分の1でしかありません。
日本が見事に復活した理由、それもまた日本が「民こそをおほみたから」とするシラス国だからです。
国土が焦土となったとき、政治向きには◯◯闘争と呼ばれた対立や紛争が次々と起こりましたが、多くの民衆は、そんな「政治遊び」などに付き合っているヒマはないと、仕事の席では政治の話は御法度にして、みんなで力を合わせて瓦礫を撤去し、町を復興させていったのです。
日本がおかしくなりはじめたのは、そうした皇民教育を受けない戦後世代が、社会の中核を担うようになってからのことです。
ひとつ申し上げたいことがあります。
戦後、GHQは日本を壊そうとしました。
これは事実です。
しかし、結局のところ、傷は負わせましたが、壊すことはできませんでした。
なぜでしょう。
その答えは、日本人(日本に住んで日本語を話し日本人のような顔をした日本人でない人は除きます)の誰もが常に生涯を通じて「愛と喜びと幸せと美しさ」を求める民だからです。
そのことが日本人には、魂に刻み込まれています。
DNAであると言っても良い。
そして人が「愛と喜びと幸せと美しさ」を求めて生きることは、どこの国のどの民族にとっても普遍の大事です。
だからGHQは、日本の制度を壊しても、日本人の心を壊すことはできなかったのです。
これこそが日本が不滅の理由です。
「そんなことはない。日本には様々な問題がある」という方もいるかもしれません。
しかし、問題があるということは、問題を自覚できる感覚があるということです。
そして自覚ができることならば、それは改善し、乗り越えれば良いだけのことです。
それは神々が我々に与えてくれたチャンスです。
チャンスは、いつの時代にも、どんな場合にも「苦難」の形をとって目の前に現れます。
それを乗り越えていくことが、生きるということなのだと思います。
だから人類が「愛と喜びと幸せと美しさ」を求める限り、
日本は永遠に不滅です。
お読みいただき、ありがとうございました。

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