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先日ある友人が、
「先の対戦の一番の敗因は、
 アジアを救おうとしたからだ。
 世界を救おうとしていたら
 勝ったのではないでしょうか」
とおっしゃっいました。

まさにその通りだと思いました。

20171118 天国
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【お知らせ】
11月25日(土)18:30 第20回 百人一首塾
12月16日(土)18:30 第46回 倭塾 公開講座
12月23日(土)18:30 第21回 百人一首塾
1月6日(土)13:30 第47回 倭塾 公開講座
1月20日(土)18:30 第22回 百人一首塾
2月10日(土)18:30 第48回 倭塾公開講座
2月22日(木)18:30 第23回 百人一首塾
 *****
日本の神々というのは、我々日本人にとっては、各家系にとっての共通のご祖先にあたる祖霊です。
祖霊の存在は、私たちは見ることはできませんが、素直な心でいれば、必ず感じることができるものです。
武田節に、
 祖霊ましますこの山河
 敵に踏ませてなるものか
という歌詞の一節がありますが、私たち日本人が取り戻さなければならない心のひとつではないかと思います。
西洋社会の歴史というのは、暴力と支配の歴史です。
植民地支配のことを言っているのではありません。
それ以前も、そして近現代においても、その構造は実は変わりません。
弱い者が奴隷化されてきたのが西洋の歴史です。
私たち日本人は、戦後教育の中で、西洋は進んだ社会であり、素晴らしい人々がいて、素晴らしい文化を刻んできたといった印象を強く与えられています。
また西洋の映画を通じて、華やかな王国文化へのあこがれを抱きます。
教育だけではなく、少女漫画でも、リボンの騎士やベルサイユのばらなどを通じて、西洋へのあこがれをいだかれた方は多いと思います。
たしかに素晴らしい建築物、きらびやかな王朝文化、美しく着飾った女性たち、スマートな貴族たち、クラシック音楽に見る美しい調べなど、西洋社会には、我々東洋人が見習うべきたくさんのものがあります。
しかし、そうしたゴージャスできらびやかな生活を、では、誰もがしていたのかというと、決してそうではありません。
社会全体がピラミッド構造をしていて、その頂点にいるごくわずかな、ごく一部の人達だけが、特権階級として贅沢を手に入れてきたのがもともとの歴史です。


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古事記3の一部


その特権階級の人々も、中世までは、戦いに負ければ奴隷となりました。
逆に奴隷が、王国を築いた例もあります。
地位が逆転することも、ごく少数ながらあったとされています。
我々日本人は、奴隷というとすぐに黒人奴隷を思い浮かべますが、そうなったのは主に大航海時代以降のことです。
それ以前の奴隷は、同じ白人の、敗れた国の人々であったわけです。
多くの奴隷たちを働かせ、そこで生産される富によって、いわゆる宮廷文化が発達しました。
ちなみに奴隷は、モノとして扱われ、人としては認識されません。
我々日本人は、西洋における人として扱われた人々だけを見るから、優雅で美しい文化だけを目にすることになるわけです。
大航海時代になると、アフリカやインドなど、世界中から奴隷が運ばれるようになり、西洋の人々全部が市民となる生活を得るようになります。
つまり同じ国土の中で、「俺は貴族、お前はは奴隷」という形だったものが、「国家ごと貴族、国家ごと奴隷」という形に変化していきました。
そうして生まれた市民たちが、王を倒して市民としての権利を主張して王国を倒して成立したのがフランス革命以降の西欧型国民国家です。
しかしその国民国家も、そもそも労働を罪悪とするところに宗教的原則がありますから、富は、どこからか運んで来なければなりません。
だから世界中に植民地が広がっていきました。
我が国は先の大戦を自衛戦争として戦いました。
それはやむをえない、巻き込まれた戦争でした。
ABCD包囲網によって日本は孤立させられました。
石油の輸入を失い、このままでは、日本は壊滅せざるをえないところまで追い詰められました。
だからやむを得ず自衛のために戦ったのが先の大戦です。
そもそも第二次世界大戦は、昭和14年にはじまっていました。
日本が戦争に打って出たのは、昭和16年の暮れです。
どれだけ日本が戦争をしたくなかったかということです
ちなみに日華事変は、事変であって戦争ではありません。
戦争のように大型化しましたが、この時点でChina国民党政権は、Chinaの正当な統一国家ではありません。
戦争は国と国が戦うものであり、国と一軍閥が戦うものを戦争とは言いません。
事変が大型化したのは、その背後に西欧の軍事支援があったからです。
やむなく日本が戦争に突入することになったとき、日本は欧米諸国が持つ東南アジアの油田に進出しました。
それは、ただ進出したのでは、侵略になります。
ちなみにこのときに油田を持っていたのは、東亜の有色人種国家ではありません。
そこを植民地支配していた西欧です。
だから日本は、「東亜の開放」という大目標を掲げました。
東洋諸国を植民地から開放し、石油の権利をいただきました。
しかしこのことは、東洋人にとっては積年の夢の実現となりましたが、植民地支配者である西欧諸国の金持ち層にとっては、被侵略です。
だから日本は、西欧諸国をまるごと敵にまわすことになりました。
このことは、戦後70年を過ぎた現在においてさえ、いまだに日本が連合国(United nations、国連)における敵国とされていることと決して無関係ではありません。
Koreaが、慰安婦問題などで日本を貶めようとする運動を世界各地で行うとき、それがなぜか西洋諸国で受け入れられてしまうのは、もちろん、裏でカネが動いたり、当該国にいるKoreanたちが、犯罪ギリギリの運動を行うことが原因ではありますが、同時に西欧諸国の中にいまだに、口には出せないけれど、
「日本のおかげで、俺の家は財産を失ったのだ」
という悔しさが、その背後にあるのです。
だから日本が叩かれると、その内容がいかに荒唐無稽なものであったとしても、どうしても内心では「ざまあみろ」とまではいかないけれど、黒い笑顔が浮かんでいます。
大航海時代にはじまる欧米諸国の植民地支配というのは、およそ500年続いたものです。
言いかえれば、500年間もの間、彼らの各家庭では、当該地を人工の居留地として、そこから莫大な富を得ていたわけです。
彼らの家に代々伝わる当時の彼らの生活というのは、植民地を支配する貴族であれば、子供の頃から衣服など、自分で着たことなどない。全部、現地の奴隷たちがやってくれるわけです。
広大な住まい、広大な庭、その維持管理も、すべて現地の奴隷たちが行います。
その奴隷たちは、人として認識されません。
ですから、白人の若い女性が素裸になって着替えているところに、男性の東洋人の奴隷が掃除に入ってきても、彼女たちはなんとも思わない。騒ぎにもならない。
同じことを白人の男性が行えば、もちろん悲鳴があがって大騒ぎです。
夏の暑い日に、目の前に美しい海が広がれば、着衣を砂の上に脱ぎ散らしながら海へと走る。
脱ぎ捨てた衣類は、ちゃんと奴隷たちが、後ろから来て拾ってくれるのです。
食事の際の洗い物なんてありません。全部、奴隷たちがやってくれる。
屋敷の中に塵などありません。いつも奴隷たちがピカピカに磨いてくれている。
かつては王侯貴族しか手に入れることができなかったような、そういう生活を、彼らは一般庶民であっても、アフリカやアジアのコロニー(Colony=入植地、植民地のこと)に行けば、誰もが得ることができたのです。
そんな生活が500年続いたわけです。
なるほど理屈で考えれば、有色人も人間です。
人を差別してはいけないということも理屈です。
しかし、祖父の代までは、実際にそういう生活を彼らは手に入れていたわけです。
ところが日本という馬鹿者が現れて、すべてを奪ってしまった。
時代が変わったのだから仕方がないとあきらめる人もいるでしょう。
けれど、悔しいと思う人は、それ以上に多いであろうことは、簡単に察することができるのではないかと思います。
では、このとき日本がもし「東洋の植民地支配されていた人々を救う」のではなく、「人種や民族の差別なく、民衆こそが世界のたからであり、民衆の幸せこそが世界の幸せなのだ」という日本的思想を前面に打ち出していたならどうなったでしょうか。
弱い者も強い者も、富める者もそうでない者も、それぞれのポジションのなかで、魂を浄化するために生き、ともに人生の愛と喜びと幸せと美しさを得ていくことができる。
そういう社会を民衆の力で築いて行こうというのが、日本の古くからの教えです。
そしてそれこそが、世界中のあらゆる宗教における神々の求めることでもある。
自分が贅沢をするために人を支配するのではなく、人々の幸せのために自分がある。
そういう日本的思想こそ、世界に向けて広げていくべきことだし、同時に世界が求めていることであったかもしれないのです。
これを実現するために戦う。
これを実現するために力をつける。
これを理解してもらうために教育を推進する。
それらは、植民地支配する人々の利権を決して損なうものではなくて、支配されている人々が優秀になっていくことによって、実は支配層はもっと豊かになることができるということは、その後の戦後の歴史が証明していることです。
明治以降の日本は、脱亜入欧の合言葉のもとに西洋の文物をひたすら取り入れることに注力してきました。
要するに、西洋の富に追いつけ追い越せであったわけです。
そして日本は、西洋の富にまたたく間に追いつきました。
しかしその過程において日本は、西洋諸国のような植民地支配も、被支配国からの収奪も一切していません。
これは、西洋的常識では、ありえないほど不思議なことです。
収奪しないのに豊かであり、収奪していないのに強国なのです。
「いやいや日本は、大陸や半島、台湾や太平洋諸国を植民地支配したではないか」とGHQによる洗脳的戦後教育を受けた一部の人達は言うかもしれません。
なるほど世界では、植民地を支配する側が植民地から収奪するのが常識です。
日本が入植した地域は、いずれも当該国の近代化のために、日本から大金を持ち出し、数多の人材を派遣しています。
これでは実質的には日本が植民地としての収奪や支配を受けたようなものです。
富を民衆の民度の向上と幸せのためのインフラに使う。
それによって民の生活レベルが向上すれば、民の生産力や購買力が高まり、結果として誰もが豊かになることができる。
それが日本的スタイルですし、それこそが神々が人類社会に求めるものなのではないかと思います。
そしてもし、日本が戦前から、そうした「民こそがたから」という思想と姿勢を前面に出していたならば、先の大戦においても、世界の民意、とりわけ欧米における民意を日本の味方にできたかもしれないのではないでしょうか。
これはあくまでも仮定の話ですが、しかしこれこそがおそらくは神々の求めるものであり、日本が果たすべき使命だったと思うのです。
そしてこのように考えるとき、先の大戦で「神々がなぜ日本の敗戦を望まれたか」の回答は、
「日本が単に東亜の開放という小さな大義にこだわってしまったため」
と見ることができます。
そしてこのように考えると、これから日本が進むべき道がはっきりと見えてきます。
それは「真に民衆がたからとされ、誰もが愛と喜びと幸せと美しさを得ることができる新たな人類社会の創出」です。
そしてそれは、まさに神々が望まれる人類社会の新しい姿なのではないかと思います。
なぜなら私たち日本人にとって、天国は、死んだあとにある世界ではなくて、まさにこの世の中にこそ、天国も地獄もあるものだということが、大昔からの考え方であるからです。
この世を天国にするのも地獄に変えるのも、すべては人の力です。
人がこの世を天国にもするし、地獄に変えもするのです。
ならば、人の力で、少しでもこの世を天国に近づける努力をすることは、むしろあたりまえのことといえるのではないかと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
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