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「大人が読む日本書紀」にトライしてみようと思います。
いつまでかかるか、どれだけかかるかはわかりません。
しかし現代学会から荒唐無稽な作り話とされている日本書紀は、もともとはおよそ千二百年の長きに渡って、我が国の正史とされて続けたきた書です。
それをきちんと学ぶことに、意義がないということは絶対にないはずです。

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今回は、その第一回ということで、日本書紀の出だしのところを読んでみます。
日本書紀は古事記と異なり、対外的な公式史書です。
つまり我々日本人が、たとえば司馬遷の『史記』を読んで、Chinaの成り立ちを学ぶように、海外の人がこの書を読んで、日本について知ることができることを、大きな目的として書かれているわけです。
なぜ我が国に対外的公的史書の必要があったかは、これまでにも色々なところで述べてきた通りです。
白村江の戦いの敗戦後、唐と新羅は日本への侵攻を企てていたこと、唐という強大な軍事政権を前に、我が国が独立自尊を保つために、我が国が「侮られない国」であることを、様々な形で築く過程のなかのひとつとして、対外的史書が必要であったこと、および、ゆるやかな豪族連合の形にあった我が国を、あらためて天皇の知らす国として、統一していくこと等が、目的であったわけです。
この目的を実現するため、日本書紀は、飛鳥時代の天武十年(681年)に発せられた天武天皇の詔に基いて研究が開始され、奈良時代となる養老4年(720年)に完成しています。
古事記は、大和言葉にあたる表記について「以音(こえをもちいる)」と注釈していましたが、日本書紀も同様に「一書曰(あるふみにいはく)」と、分註と呼ばれる割注記事が本文に添えられています。
こうした注釈も含めて大切に読み進めていくことと、やはり大和言葉を漢文に直しているわけですから、古事記同様に漢字文字へのこだわりが相当あったものであろうことは、いうまでもありません。
ですから、日本書紀も、そうした注釈や漢字そのものが持つ意味によって、慎重に読み進めていくことが、やはり大人としての日本書紀の読み方なのではないかと思います。
日本書紀の解説は、この先、いつまでかかるかわかりません。
わかりませんが、少しづつ読み解いていくことによって、そこから現代日本に必要な様々な学びを得ることができたら良いなと思います。
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日本書紀
一 神代上(かみよのかみのまき)
<原文>
古天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟涬而含牙。及其清陽者薄靡而為天、重濁者淹滞而為地、精妙之合博易、重濁之凝竭難。故、天先成而地後定。然後、神聖、生其中焉。故曰、開闢之初、洲壊浮漂、譬猶游魚之浮水上也。于時、天地之中生一物、状如葦牙。便化為神、号国常立尊。(至貴曰尊、自余曰命、並訓美舉等也。下皆效此。)次国狭槌尊、次豊斟渟尊、凡三神矣。乾道独化、所以、成此純男。
<読み下し文>
古(いにしへ)に天地(あめつち)未(いま)だ剖(わかれ)ず、陰陽(めを)分(わ)れざりしとき、渾沌(まろか)れたる鶏子(とりのこ)の如くして、溟涬(ほのか)に牙(め)を含めり。
其(それ)清陽(すみあきらか)なるは薄靡(たなびき)て天(あめ)と為(な)り、重く濁(にご)れるは淹滞(つつ)ゐて地(つち)と為(な)る。及びて精(くはし)く妙(たへ)にて合(な)へるは博(ひろ)く易(か)はり、、重濁(おもくにご)りての凝(こ)りたるは竭(かたま)り難(かた)し。
故(ゆゑ)に、天(あめ)先(ま)ず成(な)りて地(つち)後(のち)に定(さだ)まる。
然(しかし)て後(のち)、神聖(かみ)、其中(そのなか)に生(あ)れり。
故曰(これゆゑにいは)く、開闢(あめつちひら)くる初(はじめ)に、洲壊(くにつち)の浮(うか)れ漂(ただよ)へること、譬(たと)へば游魚(あそふいを)の水上(みずのうへ)に浮けるが猶(ごと)し。
于時(ときに)、天地(あめつち)の中に一物(ひとつもの)生(な)り、状(さま)は葦牙(あしかひ)の如し。
便(すなは)ち神と化為(な)り、国常立尊(くにのとこたちのみこと)と号(まを)す。
(至(いた)りて貴(たふと)きを尊(みこと)と曰(い)ふ。自余(これよりあまり)をば命と並(かひ)て訓(よみ)を美舉等(みこと)と曰(い)ふ。下皆(しもみな)此(これ)に效(なら)ふ。)
次(つぎ)に国狭槌尊(くにのさつちのみこと)、次に豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)、凡(すべ)て三(みはしら)の乾道(けんどう)の神(かみ)は独(ひとり)で化(な)す。所以(このゆゑ)に、此(こ)の純男(をとこのかぎり)を成(な)せり。
<現代語訳>
太古の昔、まだ天地が別れていず、陰陽も分かれていず、混沌として生卵をかきまぜたような様子だった中に、ほのかな芽が含まれていました。
そのなかの清く明るいものは薄く広がって天となり、重く濁ったものは地(つち)となりました。
清妙なるものは広くかわり、重く濁ってい地となるものは凝り固まりにくかったので、
このため先ず天が成り、後に地が定まりました。
その後に神聖が、その中に生(な)られました。
天地開闢の最初に壊れたような洲が浮き漂う様子は、たとえれば游ぶ魚が水に浮かんでいるような様子です。
その天地にひとつのものが生まれました。
それはアシの芽に似たそれは、すなわち国常立尊(くにのとこたちのみこと)と号します。
(註:至って貴(たっと)い方を尊(みこと)と表記し、それ以下のものを「命」と書いて「みこと」と表記した。以下の記述はすべてこれにならう。)
次に成られた神が国狭槌尊(くにのさつちのみこと)です。
次が豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)です。
ここまでの三(みはしら)の乾道(けんどう)の神(かみ)は独(ひとり)で化(な)られ究極の若い男性神として成られました。
<解説>
ここは、日本書紀の一番初めに出てくる文です。
▼清陽が天に、重濁が地に
太古の昔にまだ天地が別れていなくて混沌としていた状態があったことが先ず示されます。
その混沌とした状態を、「まるで生卵をかきまぜたかのような様子(渾沌如鶏子)」と述べています。日本書紀はこのように比喩を用いた表現をしています。
古典文学者の中に、「比喩を用いている和歌があるからすごい」といったことを書いておいでの方がいますが、古事記にせよ日本書紀にせよ、比喩はあちこちに用いられています。
特段、それ自体が「すごい」ということにはならないと思います。
むしろ普通のことです。
そのその「生卵をかきまぜたかのような」中に、溟涬(ほのか)な萌芽があったというわけです。
溟涬(ほのか)というのは、自然の気のことです。原文ですと、その中に「牙(きば)」があったと書かれています。
これは、「芽」という漢字を略したという説、そうではなくて動物の「牙(きば)」は上下が交わって目立つものだからという説などがあります。いみはいずれも、萌芽があったといった意味になります。
ここで話がすこし戻ります。
混沌としたなかから、まず清く明るいものが薄くたなびくように広がって天となり、重く濁ったものが地(つち)になるのですが、それは先に「清妙」が広がり、後から重く濁ったものが地となったとしています。重く濁ったものは固まりにくかったために、「先に天が成り、後に地が定まった」と書かれています。
そして神聖が生(な)られます。
▼国常立尊
天地開闢の最初は、壊れたような洲が浮き漂っているような様子です。
それは、たとえれば游ぶ魚が水に浮かんでいるような様子であったと日本書紀は書いています。
その混沌から、ひとつのものが生まれます。
それはアシの芽に似たそれが、国常立尊(くにのとこたちのみこと)です。
至って貴(たっと)い方を「尊(みこと)」といいます。それ以下は「命」と書いて「みこと」です。以下の記述はすべてこれにならうと日本書紀は書いています。
国常立尊にある「国」は、もともと囗+戈で成り立つ字で、武装した村を意味する漢字です。
古事記では最初に成られた神様は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)ですが、日本書紀では、武装した神がはじめにあらわれるわけです。
「常」は、もともと長く変わらないものを意味する漢字、「立」は線の上に立つ人の象形文字です。
つまり「国常立尊」は、「永遠不滅の根源に立たれている武装した尊」を意味するとわかります。
ただし基本的に神様のお名前は、日本の神様なのですから、もともと大和言葉で神様のお名前があった、つまり表現する音(こえ)によって考えるべきです。
従って本当の意味は「くにのとこたちのみこと」の意味を紐解かなければなりません。
そしてその意味と、ほぼ等しくなるように漢字が後から当てられたわけです。
まず「くに」は、縄文以来、「むら」の外に「はら」がひろがり、それらの「むら」や「はら」が含まれる全部を
「くに」と言いました。従って、現代人の語感でいえば、このばあい「全宇宙」といった意味となろうかと思います。
「とこ」は、一段高くなった「とこ(床)」の意で、そこから永久不滅の盤石という意味で「とこしえ(永遠)」などという語も生まれています。
「たち」は、もともとの日本の古語では、見えなかったものが見えたり感じられたりするようになったり、新たに出現することをいいます。煙がたつ、虹がたつ、音がたつ、風がたつ、などと用いられます。だから家は「たつ」のです。
すると「くにのとこたちのみこと」は、「全宇宙に成られた永遠不滅の神」という意味となります。
漢字の意味では、「国」が塀で囲われた武装した村を意味するため、やや闘争的な感じになります。
しかし大和言葉で読み解くと、もっと根源的で、もうすこし意味のやわらかな印象になります。
そして日本書紀は、ここで注釈をしています。「至って貴(たっと)い方を尊(みこと)と表記し、それ以下のものを「命」と書いて「みこと」と表記した。以下の記述はすべてこれにならう」というものです。
▼国狭槌尊・豊斟渟尊
国常立尊に続いて、国狭槌尊(くにのさつちのみこと)、次に豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)が成られたと書かれています。
この二神についても、同様に意味を探ってみたいと思います。
まず漢字の意味からです。
国狭槌尊(くにのさつちのみこと)の「狭(さ)」は、両手ではさむ象形です。
「槌(つち)」は、木槌ないし大鎚です。
そこから「大鎚を手にして全宇宙の境界を定める神」といった意味になります。
豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)の「豊(ほう)」は、もともとゆたかに盛られた足の長い食器です。
「斟(しゃく)」は、汲み取ることです。
「渟(てい)」は、水をためること意味する漢字です。
そこから「豊穣のための水を司る神様」といった意味になります。
大和言葉では、「くにのさつちのみこと(国狭槌尊)」の「さ」は、さおとめ(五月女)、さつき(五月)、さなえ(早苗)などにみられる神稲を意味します。
「つち」は、土です。
つまり全宇宙の神稲の土壌の神様といった意味になります。
「とよくむぬのみこと(豊斟渟尊)」の「とよ」は、稲の収穫の豊富なことを意味する言葉、「くむ」は「汲む」と同音で汲んで得ることを意味します。「ぬ」は低地の沼や原のことです。
するとそこから、「野の低地の沼や原から豊穣をもたらす神様」という意味を得ることができます。
ここまでの三神を、並べてみると、漢語的な意味では、
【国常立尊】永遠不滅の根源に立たれている武装した神
【国狭槌尊】大鎚を手にして全宇宙の境界を定める神
【豊斟渟尊】豊穣のための水を司る神
となります。イメージ的に図示してみますと、中央に根源神がいて、その左右に大槌を手にした神様と、水を支配する水神が配置されたような姿となります。
一方、この三神を大和言葉で並べてみると、
【くにのとこたちのみこと】全宇宙に成られた永遠不滅の神
【くにのさつちのみこと】全宇宙の神稲の土壌の神様
【とよくむぬのみこと】豊穣をもたらす神
となります。同じくイメージ的に図示すると、まず永遠不滅の神がおわし、その左右に神稲の土壌を司る神、五穀の豊穣を司る神となります。
意味からすれば、それらはすべて人々の生活に豊かさと繁栄と安心と幸せと喜びをもたらす神様となります。
ここは日本書紀を読み解く上において、とてもおもしろいところだと思います。
そもそも史書を編纂しようとした意図が、唐という軍事超大国との対等な関係保持にあるわけです。
そしてできあがった史書を見ると、もともと大和言葉では、中心核の両脇に農業と豊穣をもたらす神様が配置されてるのに、史書上は武神の両脇に大槌を手にした恐ろしげな神様と水を司る武神が配置されているわけです。
すくなくともこれを読んだ当時の漢字圏にある外国人は、日本はなんと恐ろしげな国であるかと思うにちがいありません。
そういう気持ちをもたせるように、日本書紀は大和言葉を漢字に変換しているわけです。
私たちはいまでも国常立神を、「くにのとこたちのかみ」と訓読みします。
「コクジョウリツシン」と音読みをする人はいません。
つまり日本人にとっての理解には訓読みを、外国向けには音読みを上手に利用して史書に仕立てているわけです。
まだ辞書がなかった時代のことです。
日本書紀を編纂した人たちの途方もない博識には驚くばかりです。
そしてそのことは、「国を護り、おほみたからである国民の生活を護る」という一点のために知恵の限りが尽くされたということです。
誰のために?
もちろん私たち子孫のためにです。
▼乾道・純男
次いで日本書紀は、「この三柱の神様は乾道(けんどう)の神(かみ)である」と書いています。
「乾道(けんどう)」というのは、乾坤一擲(けんこんいってき)という言葉がありますが、乾は陽、坤は陰を表します。
つまり「乾の道」というのは、陽の道を意味します。
冒頭に、「清陽が天になった」という記述がありますが、その清陽の神であるということ、もっといえば、この三柱の神様は、清く明るい天の神様であるということです。
そしてこの三柱の神様は、「独(ひとり)で化(な)す」とあります
つまりこれは、天の陽気のみを受けて成られた神様であるということです。
だからこの三柱の神様は「純男(をとこのかぎり)」として成られたと書かれています。
「純男」は、漢語読みなら、もちろん「純粋な男性神」という意味になります。
ところが大和言葉の読みは「をとこのかぎり(純男)」です。
古語では、若い男性が「をとこ」、年齢に関わらず男性全般は「をのこ」として区別します。
「かぎり」は、今風にいえば「究極の」です。
従ってこれらを続けて意訳すると、「それら三柱の神は、天の陽気のみを受けて究極の若い男性神として成られました」となります。
豊穣をもたらす田畑は、男たちの土木作業による開墾によって成ります。
つまり、屈強な若者たちの働きによって、我が国は豊かな田畑の広がる国土を形成したという意味になります。
▼日本人にとっての神
日本人にとっての神とは、得体の知れない全能神ではなくて、すべての家系に共通するご先祖のことをいいます。
各家系のご先祖は、仏様です。
ところがいま生きているひとりが生まれるためには、男女の二親が必要であり、その親が生まれるためには四人の祖父母が必要であり、祖父母が生まれるためには八人の曾祖父母、その曾祖父母のためには十六人の高祖父母が必要です。
こうして先祖をたどっていくと、およそ七百年前には、現代人ひとりが生まれるために、計算上は一億三千万人のご先祖が必要になることになります。
ところが七百年前といえば鎌倉時代で、その時代の人口はおよそ七百万人です。
全然数が足りません。
このことが何を意味しているかというと、誰もがご先祖がかぶっている、言い換えると、日本中のすべての家系が、実はみんな親戚であるということになります。
それらすべての家系に共通するご先祖のことを、ご先祖を上(かみ)にさかのぼったところにおわす方々という意味で、古語では「かみ」と呼んでいます。
縄文時代のはじまりは、いまから1万7千年前とされています。
それ以前には旧石器時代があり、その旧石器時代に造られた磨製石器は、赤城山麓から三万年前のものが出土してます。これは世界最古の磨製石器です。
そして千四百年前に建てられた法隆寺五重塔は、世界最古の木造建築物ですが、この塔は、建築にあたって釘が一本も使われず、しかも大工道具は「槍鉋(やりかんな)」と呼ばれる独特の形状をしたカンナだけで建造されています。
そしてその槍鉋(やりかんな)の形状は、なんと3万年前の磨製石器と同じです。
海に囲まれた我が国は、こうして先祖代々、子供たちが将来豊かに安全に安心して幸せに暮らせるようにと、国造りをしてきたのです。
もちろん、長い歴史の間には、海外からもたくさんの人達が日本にやってきました。
日本には、大陸や半島からやってくるのですが、ところがその先にあるのは太平洋です。
もはやどこにも逃げ場がないのです。
ですから海外から渡来してきた人たちは、日本で日本人となって、私たちとともに日本の歴史を刻んできました。
だから、ただやってきただけの「渡来人」と区別して、同化した人たちを「帰化人」と呼んだのです。
渡来人は、ただやってきただけですから、帰る場所は本国です。
けれど、渡来してきた後、帰る場所を日本国内のこの土地と定めて暮らした人たちだから、帰るところを化(か)えて日本にした人たちという意味で、「帰化」という言葉が生まれています。
最近では、その帰化人のことをさえ、意図的に渡来人と呼ぼうとする人たちがいるそうですが、果たしてその人達は、いったいどこの国に帰ろうとしているのでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございました。

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